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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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谷内修三詩集『注釈』 『谷川俊太郎の「こころ」を読む』・・・・・・・・・・木村草弥
谷内②_NEW
 ↑ 谷内修三詩集『注釈』 2015/09/20刊

──新・読書ノート──

     谷内修三詩集『注釈』 『谷川俊太郎の「こころ」を読む』・・・・・・・・・・木村草弥

私の敬愛する谷内修三(やち・しゅうそ)氏の最新刊である。 同氏の営んでおられる「象形文字編集室」の刊行になるもので、いわば「私家版」と言えよう。
これは「詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)」に載せられたものをまとめたものである。
全部で20篇の作品が収録されている。 私は、このブログを、ほぼ毎日覗いているので旧知の作品だが、こうして一冊にまとめられると、新鮮な気分で見られる。
先ず、巻頭に載る詩を引いてみよう。

          あのことば・・・・・・・・・・・・・・谷内修三

    ノートにことばを書き散らしていく男のことを書いていたとき、
   その男が、いま書いていることの三行目あたりで書かなければならない窓の描写の、
   いちばん大切なことばが出てこないことを予感する。
   何も起きないのだが、その起きないという同じことを、
   窓の内側と窓の外側という違った視点で書くための、あのことば。
    それからさらに先へ進んだところで男は、
    出て来なかったことばを思い出したいと苦悩する、あのことば。

    頭の中で血が沸騰して鼓膜のなかに響く。
   ボールペンが勃起してインクが溶ける。

    三日後にノートを開くと、熱かったことばが冷えて、
    皿にこびりついた魚の脂のようにノートにこびりついて濁っている。
   あのことばではないものが。
                         (初出・2014/12/03)


          明らかなこと・・・・・・・・・・・・谷内修三

   明らかなことは、この椅子から数歩離れた窓に西日が来ていること。
    いまはガラスに触れて自分の色を探している。
   あるものはガラスの厚みのなかにとどまり、あるものは横にすべり、
   あるものはガラスをくぐりぬけて部屋の隅まで椅子の影を伸ばす。

    明らかなことは、ベランダの花が色を主張することをやめるということ。
   静かな影のなかに花びらの影を重ねて、色をしまいこむ。
   明らかなことは、そのときの変化が美しく見える。
    明らかなことは、その変化を教えてくれたことばは
    きのうという時間にになって窓の外に来ているということ、
   去っていく西日みたいに。
                         (初出・2015/04/09)

          青いインク・・・・・・・・・・・・・谷内修三

    窓があった場所に「揺れる影」ということばが青いインクで書かれた。「影は私を見つめ
   ていないという思いが、私と影との距離を消し去った」は衝動に襲われたという「意味」
   を書こうとしていたのだが、何度読み返してみても、そういう「意味」にはならない。

    それより前だろうか、後だろうか、「河口」ということばが白く光っていた。窓から見え
   る遠さに潮がのぼってきて、「冬の日にあまく膨らんだ」ということばになった。しかし、、
   書かれなかった。きのうに戻って「泥をふくんだ水面に、雨上がりの空の色が静かに映っ
   た」という声になった。

   ことばは距離を消して並んでいた。
    同じ場所、同じことばなのに、同じ「意味」にならない。
    違った場所、違ったことばなのに、同じ「意味」になる。
   これは比喩である。

    「窓」ということばが一つだけ残った「窓」。「だれも聞いていないのに、弁解している顔のよ
   うに」ということばが、どこからか流れてきて詩を壊した。
                                             (初出・2015/03/02)

初出のままで、この本になっている訳ではない。
この詩などは少し推敲されて、詩が、きりっとした。


         前を歩いている男・・・・・・・・・・・谷内修三

   「前を歩いている男」ということばが書き出しを暗くした。「雨」ということばが横から
    降ってきて、「靴のなかがぬれた」。数日後「靴下がぬれた」と書き直された。
    坂になった舗道には、「降る雨の上を、筋をつくって流れる水があった」という一行が
    落ちていた。踏んだのは「前を歩いている男」なのか「後ろから歩いている男か」なのか。
    暗くなってしまって判別できなかった。ウィンドーの明かりや車のライトが「滲んでい
    た」ということばといっしょに宙に浮いていた。

   「前を歩いている男の頭のなかには」という聞いたことのあることばがあった。その後ろを「わ
   かりたいとは思わない」ということばが、聞いたばかりのことばを「踏み潰すように」歩
   いている。そんなふうにして、「前を歩いている男」になってしまうことばがあるのだが、「何
   の役目をしようとしているのかわからない」という憤りは、「きのうきょうの生活のなか
   から出てきたのではなく、積みかさなった日々の、押しつぶされた時間のなかから出てきた」に
   変わるために、あと二時間は歩かないといけない。
                                   (初出・2015/02/28)

この詩も推敲されている。 こういう「推敲」という作業が文筆を執ろうとする人間には必要な行為なのである。

なお詩集の題名になった「注釈」という言葉だが、2009年に出た岡井隆の詩集『注解する者』(思潮社刊)という本が「注解詩」「注釈詩」という新しい詩のジャンルを切り開いた、と言われている。
拙ブログでも採りあげたことがある。 アクセスされたい。

全部は引ききれないので、ここで「目次」を出しておく。

       目次

   あのことば
   破棄された詩のための注釈(35)
   ことばがあった
   橋
   破棄された詩のための注釈(11)
   跋棄された待のための注釈(9)
   午後四時、
   破菜された詩のための注釈(34)
   「ポルトについて」のための注釈
   明らかなこと
   わかりにくくさせている
   破棄された詩のための注釈(20)
   破棄された詩のための注釈(17)
   破棄された詩のための注釈(14)
   破棄された詩のための注釈(13)
   書かれなかった詩のための注釈(5)
   書かれなかった詩のための注釈(4)
   青いインク
   前を歩いている男
   比喩

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谷内①_NEW
↑ 「谷川俊太郎の『こころ』を読む」 思潮社2014/06/30刊

上記の『注釈』とセットで買い求めたものである。
この本は谷内ブログ「詩はどこにあるか」に連載されたものが下敷きになっている。
この本は、はじめに「まえがき」──谷川さんからの手紙 という見開きニページのものが置かれ、巻末に「本ができるまで──往復私信」という七篇の私信の文が載っている。
各記事は、ブログに載ったときの「日付」が書いてある、という特異な体裁である。
巻末の「あとがき」を引いておく。

  あとがき
この本に収録している「日記」はブログ「詩はどこにあるか」(http://blog.goo.ne.ip/sho
keimoji2005)に書いたものです。本のタイトルは「谷川俊太郎の『こころ』を読む」になって
いますが、実際は「再々読」の感想です。『こころ』が朝日新聞に連載されたとき何回か感想を
書き、詩集にまとまったときも感想を書きました。書く度に、感想が違っています。
出版の経緯は谷川さんと私の私信で見当がつくと思いますが、少し補足します。
二〇一三年一月、岩波文庫から『自選谷川俊太郎詩集』がでたとき、大変衝撃を受けた。大好
きな「父の死」が載っていない。「父の死」を含めた自分だけの「選集(10篇)」をつくりたい。
感想を書きたい。書くなら初めて谷川俊太郎を読んだときの感想、谷川俊太郎を知らない状態、
まっさらな気持ちで感想を書きたい。
「こころJの60篇で予行演習をしてみよう。読んだ瞬間の、感想にもならないごちゃごちゃした
思いをそのまま書いてみょう。「批評」「論」というのは確固としたものでなければならないのか
もしれないが、誤読や矛盾、ゆらぎにも、そういうものが生まれてくるだけの「理由」のような
ものがあるはず。その生のものをそのままことばにしたい。
そうやって、60日かけて書いたものです。
読み返してみると、変な読み方だなあ、いまならこんな感想にはならないと思うところもずい
ぶんある。でも、そのときそう読んだのだから仕方がない。次に違った感想を書けばいい、と思
ってそのままにしています。  (後略)

谷川俊太郎の詩集『こころ』も未読であり、引用が出来ないので、この本については、内容に触れないまま終わることを許されたい。
紹介だけに過ぎた。

私の詩集、歌集も上梓の都度、献本しているので、何度か同氏の「詩はどこにあるか」に採りあげていただいた。
ここに改めて感謝の念を表しておきたい。





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