K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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垢じみたこころ洗ひたし 冴えわたる極月の夜に月の利鎌だ・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

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      垢じみたこころ洗ひたし 冴えわたる
          極月の夜に月の利鎌(とがま)だ・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
ご存知のように「月」にはほぼ29日周期で満ち欠けがあるが、写真のような「利鎌」の形をするのは月齢の中で2回ある。
写真①のような新月から満ちはじめ上弦の月から満月に至る途中の利鎌と、次に出す写真②のような満月から欠けが更に進んだ利鎌、である。この二つの場合には「弧」の向きが逆になる。

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詳しくは「下弦の月」というのをご覧いただきたい。

今年は十二月十一日が「新月」=朔であった。だから今日は「三日月」になった頃である。写真①のような月を、そう言う。
「上弦」とか「下弦」という表現については逆の説明がなされる場合があるので、ご注意を。
詳しくは、ネット上の国立天文台の「こよみの計算」にアクセスすれば簡単に知ることができる。

「利鎌」の説明をしていて、つい月の話になったが、本来、話題にすべきは「垢じみた心」を洗いたい、ということであろうか。
私のように長い年月を生きて来ると、体も心も、すっかり「垢」じみたものになってしまっている。
「冴えわたる」極月(12月の異称)の夜の月の「利鎌」を見ていると、それで自分の心の垢を削ぎ落したい、という想いに捕われるというのである。
これらは「比喩」表現であるから、言葉のあれこれの詮索は無用である。

俳句には「寒月」「冬の月」「月冴ゆる」「月氷る」「寒三日月」などの季語が見られる。
さむざむとした青白い月で、毎月見られる月ではあるが、この時期に見ると、厳冬を思わせる月の凄まじさがある。
透徹した空気のため、研ぎ澄まされたような、刺すような寒さが感じられて、美しい。
「寒月」と言えば、特に冷厳な凍りついたような月を言い、氷輪というようで、人を離れて寂として輝いている。
「冬三日月」は仰向きはじめた形で、ひえびえと利鎌のように鋭くかかる。
『枕草子』には「すさまじきもの、おうなのけさう、しはすの月」と書かれている。
『源氏物語』朝顔の巻では「花紅葉の盛りよりも、冬の夜の澄める月に、雪の光りあひたる空こそ、あやしう、色なきものの、身にしみて、この世のほかのことまで思ひ流され、おもしろさもあはれさも、残らぬ折りなれ。すさまじきためしに言ひ置きけむ人の、心浅さよ」とある。

 寒月や僧に行き合ふ橋の上・・・・・・・・与謝蕪村

の句は、そういう雰囲気を、よく表現し尽している。

以下、冬の月を詠んだ句を引いて終る。

 我影の崖に落ちけり冬の月・・・・・・・・柳原極堂

 冬の月をみなの髪の匂ひかな・・・・・・・・野村喜舟

 吹雪やみ木の葉の如き月あがる・・・・・・・・前田普羅

 冬三日月羽毛の如く粧ひ出づ・・・・・・・・原ヨウ子

 寝ぬる子が青しといひし冬の月・・・・・・・・中村汀女

 あたたかき冬月幸を賜はるや・・・・・・・・石田波郷

 寒月に大いに怒る轍あり・・・・・・・・秋元不死男

 人穴を掘れば寒月穴の上・・・・・・・・富沢赤黄男

 寒月や耳光らせて僧の群・・・・・・・・中川宋淵

 降りし汽車また寒月に発ちゆけり・・・・・・・・百合山羽公

 煙突と冬三日月と相寄りし・・・・・・・・岸風三楼

 寒の月酒にもまろみありとせり・・・・・・・・相生垣瓜人

 寒三日月不敵な翳を抱きすすむ・・・・・・・・野沢節子

 寒月光いつか一人となるこの家・・・・・・・・古賀まり子

 寒月の作れる陰につまづける・・・・・・・・高木貞子

 寒月にまぶたを青く鶏ねむる・・・・・・・・田中祐三郎


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