K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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誰彼の生死気になる冬ごもり・・・・・・・・・・・・・・古賀まり子
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    誰彼の生死気になる冬ごもり・・・・・・・・・・・・・・古賀まり子

「立春」を目前にして、今に「冬ごもり」の作品を挙げておかないと時期を失するので急遽のせることにする。

「冬籠」ふゆごもり、とは冬の寒さを避けて、あたたかくした一間にこもって暮らすことをいうが、現代生活においては、そういうことは不可能である。
暑くても寒くても出かけて行って仕事などをしなくてはならないからである。
北国では外に出ずに家にこもる。こたつ、いろり、ストーブの周りで寒さを避けている。
樹木は支えをつけ、花の木も雪囲いをし、家の周りには雪を防ぐ特別の囲いをする。
古代では、冬のうちは、人は静止的な物忌みの禁欲生活に入り、仮死のような状態にあり、復活によって蘇生し、物忌み状態を脱却するのが「はる」であると考えられていた。
自然物も冬には同様の状態になる。それが「冬ごもり」であった。
俳諧では専ら「人」について言うようになった。

松尾芭蕉の

     冬籠りまたよりそはん此の柱

     折々に伊吹を見ては冬籠り

     金屏の松の古さよ冬籠り

与謝蕪村の

     桃源の路地の細さよ冬籠り

黒柳召波の

     住みつかぬ歌舞伎役者や冬籠り

などの句が「冬籠り」の典型的なものであるとされている。
今日では、多分に「比喩」的な意味で「冬ごもり」という表現を捉えた方がよいだろう。
中国からもたらされた表現だが、「一陽来復」という言葉があるように、それまでの季節は、せいぜい忍耐の、雌伏の季節だろうということである。
その方が、「春」になつたときの開放感、喜びも大きい、というものである。

去年の夏は記録的な酷暑だったので、暑気を越せなくて、老人がたくさん死んだ。
私のような齢になると、一年一年が勝負である。 まさに掲出のような心境である。

以下、「冬籠り」を詠んだ句を引いて終わる。

 書きなれて書きよき筆や冬籠・・・・・・・・正岡子規

 冬籠人を送るも一事たり・・・・・・・・高浜虚子

 冬籠座右に千枚どほしかな・・・・・・・・高浜虚子

 人間の海鼠となりて冬籠る・・・・・・・・寺田寅彦

 いまは亡き人とふたりや冬籠・・・・・・・・久保田万太郎

 死んでゆくものうらやまし冬ごもり・・・・・・・・久保田万太郎

 鏡とりて我に逢はばや冬籠・・・・・・・・原月舟

 読みちらし書きちらしつつ冬籠・・・・・・・・山口青邨

 香の名をみゆきとぞいふ冬籠・・・・・・・・竹下しづの女

 夢に舞ふ能美しや冬籠・・・・・・・・松本たかし

 木の洞にをる如くをり冬籠・・・・・・・・上野泰

 相寄りしいのちかなしも冬ごもり・・・・・・・・安住敦

 冬籠伴侶の如く文机・・・・・・・・上野泰

 戦へる闇と光や冬籠・・・・・・・・・野見山朱鳥

 もう急がぬ齢の中の冬籠・・・・・・・・村越化石

 冬ごもり鶏は卵を生みつづけ・・・・・・・・鈴木真砂女

 冬籠文来ぬは文書かぬゆゑ・・・・・・・・高木時子



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