K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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冬日よりあをしイエスを描きたる・・・・・・・・・・・・・・野見山朱鳥
rouault_35ルオー キリスト

       冬日よりあをしイエスを描きたる・・・・・・・・・・・・・・野見山朱鳥

「冬日」とは、冬の太陽のこと、とも、冬の一日のこと、を指すこともある。
冬至が過ぎたので、昼の長さもどんどん長くなり、日差しも斜めから差していたものが、だんだん中天に向かって高くなってくる。
とは言え、まだまだ弱々しい太陽光線である。冬日というものを映像的に示すのは難しい。だから、掲出の野見山朱鳥(あすか)の句を挙げることにした。

rouault_20ルオー キリスト

写真はジョルジュ・ルオーの連作<ミゼレーレ>の描く「キリスト」像である。
野見山朱鳥という人については私は多くを知らないが、先にも引用したが

 北風へイエスの言葉つきまとふ・・・・・・・・野見山朱鳥

の句にもある通り、或る拘りがあるのは確かだろう。クリスチャンかも知れない。
「冬日よりあをし」という把握の仕方が独特である。ルオーの<ミゼレーレ>の連作のキリストは、確かに「青いキリスト」を描いているのである。

ここでジョルジュ・ルオー Georges Rouault について少し書いておきたい。
ルオーは1871年パリ北東部のラ・ヴィレット街で生れる。はじめステンドグラス職人の徒弟になる。1890年エコール・デ・ボザールに入学、エリ・ドローネの教室に入る。
92年ドローネの後任としてギュスターヴ・モローが教授に就任、ルオーはモローに師事。
98年モローが亡くなり悲嘆にくれるが、5年後の1903年モロー邸がモロー美術館になり、ルオーは初代館長となる。同年サロン・ドートンヌの創設に参加。
1924年レジオン・ドヌール勲章を受章。1958年2月13日、パリの自宅で死去。87歳だった。国葬がサン・ジェルマン・デ・プレ教会で営まれた。
フランスは熱心なカトリックの国であり、ルオーが生涯をかけてキリストを描いたという縁で絶大な国民的支持を得ていたからである。
キリストの生涯を Miserere ミゼレーレという把握の仕方で描く、という独特の視点を持った画家であり、世俗的にもレジオン・ドヌール勲章受賞や国葬という最高の待遇を受けたのであった。

ルオーの紹介が長くなったが、話を「冬日」に戻したい。

 冬の日や馬上に氷る影法師・・・・・・・・松尾芭蕉

という句が、総じて、日照時間の短い、弱々しく、うすぐらい太陽のことを描いた典型として知られている。
以下、冬日ないしは冬日和、冬晴、冬麗(うらら)などを詠んだ句を引いて終わる。

 冬の日の刈田のはてに暮れんとす・・・・・・・・正岡子規

 山門をつき抜けてゐる冬日かな・・・・・・・・・高浜年尾

 冬の日や前に塞がる己が影・・・・・・・・村上鬼城

 翔けるものなく天城嶺の冬日かな・・・・・・・・五所平之助

 冬の日を鴉が行つて落して了ふ・・・・・・・・橋本多佳子

 死や生や冬日のベルト止むときなし・・・・・・・・加藤楸邨

 冬落暉檻のけものら声挙げて・・・・・・・・三谷昭

 遺書父になし母になし冬日向・・・・・・・・飯田龍太

 山国や夢のやうなる冬日和・・・・・・・・阿波野青畝

 父の死顔そこに冬日の白レグホン・・・・・・・・森澄雄

 寒入日影のごとくに物はこばれ・・・・・・・・桂信子

 冬晴れの晴着の乳を飲んでをる・・・・・・・・中村草田男

 冬日和心にも翳なかりけり・・・・・・・・星野立子

 冬麗や赤ン坊の舌乳まみれ・・・・・・・・大野林火

 冬麗口紅のこる微笑仏・・・・・・・・古館曹人

 冬麗の微塵となりて去らんとす・・・・・・・・相馬遷子


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