K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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過呼吸の不安きはまるわが胸郭にアマデウスの鳴りやまざり、未明・・・・・・・・・・・・・・・吉田隼人
wolfgang_amadeus_mozartモーツァルト
 ↑ ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト

       過呼吸の不安きはまるわが胸郭(むね)に
            アマデウスの鳴りやまざり、未明・・・・・・・・・・・・・・・吉田隼人


この人は第59回角川短歌賞に輝いた二人のうちのお一人である。
掲出の歌は短歌誌「率」3号に載るものである。

この人の経歴を書いておこう。
1989年、福島県伊達市生まれ。(つまり平成生まれ、ということ)
早稲田大学文化構想学部(表象・メデイア論系)卒業。現在は大学院文学研究科(フランス語フランス文学コース)修士課程に在学中。
「早稲田短歌」「率」に短歌や評論を発表。

この近年、高学歴の学者の卵のような才能豊かな人が受賞者になっているが、この人の作品「忘却のための試論」も知的な遊戯のような作品群である。

掲出歌に戻ろう。
「アマデウス」とは、基本的に、アマデウス(「神に愛される」の意味)だが、ここは単純に作曲家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトのミドルネームのことだろう。

ついでに書いておくと、『アマデウス』(Amadeus)は、イギリスの劇作家ピーター・シェーファーによって著された戯曲。
宮廷楽師として社会的な地位がある音楽家サリエリが、台頭してきた理解されぬ若き音楽家モーツァルトの天才を理解「できてしまった」ことによる確執と苦悩を描く。
初演は1979年のロンドンのオリヴィエ劇場(ナショナル・シアター)。演出はピーター・ホール。
翌年にはアメリカ合衆国に渡り、ニューヨーク・ブロードウェイのブロードハースト劇場で上演された。1981年には戯曲部門でトニー賞を受賞した。
映画化もされた。

作者の歌作りの底には、このような知識が底通していると知るべきだろう。
そのようなことを思い出すと、この歌の理解が一層深まるというものである。
こういう知的遊戯のような歌作りが、私は好きである。
何だか日常の些末を歌にする、なげやりな、訳の判らないような若者の歌もあるが、こういう知的遊戯の出来る才能のある新人の出現が待たれていたのである。
この人は、まだ学生であり、これからどういう方向に伸びてゆくのかは未知数だが、着実に成長してほしい。
こんな歌もある。

  あさきゆめ そのなかで聞く詩に生ふる撞着語法(オクシモオル)といふ薔薇のとげ

撞着語法(どうちゃくごほう、英語: oxymoron)とは、修辞技法のひとつ。
「賢明な愚者」「黒い光」など、通常は互いに矛盾していると考えられる複数の表現を含む表現のことを指す。
形容詞や連体修飾語、句、節などが、修飾される名詞と矛盾することとしては、形容矛盾(けいようむじゅん)とも言う。
集合論・論理学的には、「Aであって、かつ、not A」であるということはありえない(矛盾律)のにもかかわらず、そうであるかのように語ることである。
狭い見方をすればつじつまがあわず、単なる誤謬にすぎないように見えるが、複雑な内容を簡潔に表現する修辞法として用いられている場合もある。

撞着語法の例
一目瞭然の撞着語法
急がば回れ
負けるが勝ち
黒い白熊
良い悪人
優しい悪魔
小さな巨人
無知の知
見えざるピンクのユニコーン

こういうことを学べるのは文学科ならではのことで、他の学部では、おそらく教えないだろう。
これらは大きくいうと「修辞法」ということになるが、ここで学んだことは後々、彼の人生に生きてくると思うので、深く学んでほしい。

角川短歌賞受賞作から少し引いておく。
この一連は、物語性のある作品で、恋人、相手は女性、その人の自死を扱ったものだろう。それで題名も「忘却のための試論」となっている。

  曼珠沙華咲く日のことを曼珠沙華咲かぬ真夏に言ひて 死にき

  わが脳に傘を忘るるためだけの回路ありなむ蝸牛のごとき

  あるひは夢とみまがふばかり闇に浮く大水青蛾も誰かの記憶

  恋すてふてふてふ飛んだままつがひ生者も死者も燃ゆる七月

  いくたびか摑みし乳房うづもるるほど投げいれよしらぎくのはな

  供花といふ言葉を供花として去ねば寺院のうへにくらむ蒼空

  すいみんと死とのあはひに羽化の蝉。翅のみどりに透いてあるはも

  あをじろくあなたは透けて尖塔の先に季節もまたひとつ死ぬ

  忘却はやさしきほどに酷なれば書架に『マルテの手記』が足らざり

  思ひだすがいい、いつの日か それまでの忘却のわれに秋風立ちぬ
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私的なことだが、今日二月七日は私の八十六歳の誕生日である。
歳をとるというのは、努力してなる、というものではなく、歳月が腰のうしろをぐいぐいと押して、強制的に齢を重ねるもので、有難いものでも、何でもない。
思えば、すごい歳になったものである。 年齢の数字を聞くと、そら恐ろしくなる。
今年の冬は寒くて、ずっと風邪気味で、深刻な症状ではないが、調子が悪い。
朝のウォーキングも休みがちだし、恐る恐る生きているようなものである。
風邪気味、というのが良くない、と思って慎重になっている。
ともかく春になって暖かくなるまで辛抱である。







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