K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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ルノアルの女に毛糸編ませたし・・・・・・・・・・・・・・・・阿波野青畝
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img10551124952毛糸玉本命

     ルノアルの女に毛糸編ませたし・・・・・・・・・・・阿波野青畝

「毛糸編む」というのが冬の季語である。
この頃では、昔のように毛糸を編む人を余り見かけなくなったが、「ニット手芸」は相変わらず盛んで、
亡妻の学友であった人は、今やニットサロンを経営し、NHKの趣味講座の先生をするなど大活躍している。
この頃では男のニットの先生も出て来たりしている。
この句は、ルノアールの絵に出てくる豊満な女の人に毛糸を編ませてみたい、という、いかにも男の人らしい句である。

この句については亡妻との間の会話について、私には哀しい思い出がある。
もう10年も前の今ごろ、食事も録に摂れずの最悪期から食欲も出て、体力も戻りかけた時期に、私がこの句を見つけて、病院に行って妻に見せたら、
これが大変気に入ったらしく、いろんな人に、この句を披露していた姿を思い出す。
妻の死後、家の中を整理していたら、妻の仕事部屋にしていた二階の南向きの陽のよくあたる部屋に、未使用の毛糸玉がたくさん出てきた。
私の娘たちも仕事に忙しくて、毛糸編みなどはしないし、捨てるのも忍びないので、そのままにしてある。
こういう遺品というのは、見るのも辛いものである。
昔は私たち兄妹の着るセーターは、みな母の手編みだった。着込んだセーターは解いて皺を伸ばし、また編み直して新しいセーターに仕立てたものだった。
亡妻も編み機を使って私のセーターも手作りだった。
この頃では、そういう手芸を一切しない人と、ニット手芸の趣味に生きる人との両極端に分かれてしまった。
ひと頃はニット編み機が流行って、その教室というものもあった。
私の妹なんかは手早くて、人からも頼まれて結構収入になったらしい。ニット編みの機械の先生をしたりしていたものだ。

明治30年に

  襟巻を編むべき黒の毛糸かな・・・・・・・・高浜虚子

の句があり、これは「毛糸編む」という季語のもっとも早い用例だと言われている。
以下、毛糸編む、毛糸玉の句を少し引きたい。

 久方の空いろの毛糸編んでをり・・・・・・・・久保田万太郎

 こころ吾とあらず毛糸の編目を読む・・・・・・・・山口誓子

 毛糸編む気力なし「原爆展見た」とのみ・・・・・・・・中村草田男

 毛糸編はじまり妻の黙はじまる・・・・・・・・加藤楸邨

 離れて遠き吾子の形に毛糸編む・・・・・・・・石田波郷

 編みかけの毛糸見せられ親しさ増す・・・・・・・・山口波津女

 毛糸編み来世も夫にかく編まん・・・・・・・・山口波津女

 毛糸玉幸さながらに巻きふとり・・・・・・・・能村登四郎

 時編むに似たるが愛し毛糸編む・・・・・・・・余寧金之助

 毛糸編む冬夜の汽笛吾れに鳴り・・・・・・・・細見綾子

 祈りにも似し静けさや毛糸編む・・・・・・・・戸川稲村

 母の五指もの言ふごとく毛糸編む・・・・・・・・今井美枝子

 毛糸編む幸福を編み魅力を編む・・・・・・・・上田春水子

 毛糸編みつつの考へゆきもどり・・・・・・・・竹腰朋子

 毛糸玉頬に押しあて吾子欲しや・・・・・・・・岡本眸

 白指も編棒のうち毛糸編み・・・・・・・・鷹羽狩行


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