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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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金原まさ子句集『カルナヴァル』 『遊戯の家』 エッセイ集『あら、もう102歳』・・・・・・・・・木村草弥
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 ↑ 第四句集『カルナヴァル』草思社2013/10/08第三刷
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 ↑ 第三句集『遊戯の家』金雀枝舎2010/10/12刊
金原
 ↑ エッセイ集『あら、もう102歳』草思社2013/10/11第三刷

──新・読書ノート──

     金原まさ子句集『カルナヴァル』 『遊戯の家』 エッセイ集『あら、もう102歳』・・・・・・・・・木村草弥

金原まさ子さんは、最近たいへん話題になった人である。

本の出版年月や版などについては画像の下に書いておいた。 はじめの二冊などは、よく売れて増刷されている。
というのはテレビの「徹子の部屋」などに出られてマスコミ的にも話題になったからである。
「100歳ではじめたブログ」と書かれているが、これは本人が全部やっているというものではなく、「管理者」が居て、金原さんがほぼ毎日新作の句をファックスで送ってくるもの。
『カルナヴァル』の「あとがき」によると、この「管理者」というのは小久保佳世子さんという編集者らしい。
「金原まさ子 百歳からのブログ」 ← はネット上で読める。
「週刊俳句」2/9号の103歳のお誕生会 ← の記事が面白い。ぜひお読みを。

前置きが長くなった。
作者の作品の紹介に入りたい。

    春暁の母たち乳をふるまうよ

    囀りのごときに耽り神々は

    真空に入り揚雲雀こなごな

    水を歩いて水に置き去り春日傘

第三句集『遊戯の家』の巻頭から引いた。
並の俳句とは違う「前衛的」な、敢えて言えば「短詩」「象徴詩」とも言える作風である。
この句集の作品の大半は定型通り575で詠まれているが、徐々に「破調」が頭を出してくる。
定型に収まりきらずになってくる。 それだけ作者は「自由」を求めている。
ここに引いた三番目の句の結句「こなごな」に、その片鱗が出ている。ここは普通なら「こなごな・に」となるところだが、金原さんは、それでは面白くないと「拒んだ」。

    梅咲いて腐乱はじまる遊戯(ゆげ)の家

この句から句集の題名が採られているようである。

    虹の根で抱きあうよユニクロとランバン

    金魚玉透かすとマチュ・ピチュが見える

    スワヒリ語もて雷を怖がれり

    白玉をきれいに丸め悪人よ

    スカラベの王位をねらう肢づかい

    老酒やテキーラや赤い目の虻や

    チンザノとミシマと鮎のハラワタと

    先ずウニやアワビやトロや草田男忌

カタカナ語の駆使が絶妙である。 それに、この頃すでに百歳だが、関心のある対象が時事的で、気持ちが若い。
これらの句を眺めていると、余計な解釈が馬鹿げてくる。
俳句の良質の「二物衝撃」の典型のような句もある。

    指一本挿してありライムジャムの壺

    すいつちょの髭触れている不整脈

    象色の象のかなしみ月下のZOO

    生牡蠣を朝食う貴族には勝てぬ

    耳袋一個鑑識に廻り来る

    夕顔はヨハネに抱かれたいのだな

    庭師老いヨルザキアラセイトウに憑きぬ

    月光中毒丁字花蒜花煙草

    薄荷油を塗りあってヨハネ・ルカ・マルコ

百歳まで生きてきたからというのではなく、深い読書による知識の蓄積と、何事にも「好奇心」を持って接する作者の「生きざま」が彷彿とする一巻である。
「奇想」とも言うべき着想のキラメキがあちこちに、ある。

第四句集『カルナヴァル』から引いてみよう。

    ひな寿司の具に初蝶がまぜてある

    ヒトはケモノと菫は菫同士契れ

    猿のように抱かれ干しいちじくを欲る

    貝塚氏ドトールを出て斑雪野(はだれの)へ

    衆道や酢味の淡くて酢海鼠の

    雲の峯まっしろ食われセバスチャン

「カルナヴァル」とはカーニバル(謝肉祭)のフランス語である。 あちらでは乱痴気騒ぎをするので、この句集は、それに因んであるらしい。
いささか乱痴気騒ぎ風である。 この句集では、金原さんの詠みたいように、一層「自由」度が増しているようである。
この本の装丁が凄い。
奥付によると装丁デザインはMalpu Designの清水良洋と佐野佳子によるものらしい。

    エスカルゴ三匹食べて三匹嘔く

    責めてどうするおおむらさきの童貞を
           「ひとつおとりよ。
              お星さまのかけらだ。
              空から落ちたんだよ」
                     シベールの日曜日


    鶴帰るとき置いてゆきハルシオン
            うつせみの世は夢にすぎず
                死とあらがいうるものはなし   (ヴイヨン「遺言詩集」)


    拝んでしまうキノコをお告げと思うので
     もう「韜晦」のねこ暮しよ

    テキーラをあびせよこんがらがった蛇に
              より目になるほど飲んでみたい。

    山羊の匂いの白い毛布のような性
                モリ・マリは「恋人たちの森」を
                     たった一枚のグラビア写真を見ただけで書いた。


    いなびかり乞食(かたい)とねむる妃にて
         うすの契りや はなだの帯の ただ片むすび  「閑吟集」

    少し狂いながく狂いて天の川
        「姉さん あなたの名は・・・・・」
                        「マリヨン」      「ふらんす物語」より


    冬バラ咥えホウキに乗って翔びまわれ
           天寿を二百年とすると青春も倍増だ。

Ⅱ章になると、こんな風に、しゃれたキャプションが句に付いている。
これはブログに毎日送られてくる作者の句にコメントとして付いてくる文章である。
これらには作者の深い読書と教養の片鱗が見えて、瞠目する。
ペダンティックな気風の持ち主である私など、面白くて、ゾクゾクする。

Ⅲ章の扉には<度を過ぎた好奇心は禍のもとですって。> というキャプションが付けられている。
百歳を超えての、この好奇心こそ金原さんの長寿の秘訣と言えるだろう。

    わが足のああ堪えがたき美味われは蛸

    眉青く剃って炎昼を着くずれて

    豊饒の首抱くカリンの木の下で

Ⅳ章はⅡ章と同じく句にキャプションが付く。

    凍蝶は天才イエズスを流眄(ながしめ)に
           ブルーシートの中。

    オムスクトムスクイルスノヤルスクチタカイダラボ春の雪
           シベリア鉄道

    カタツムリたちのこわいお遊戯長廻し
                グリーナウェイ「ZOO」より

    ちくちくするからスイカズラの垣根
        肉親への愛を断ち我を愛せ     マタイ伝六章 25-34

    アウラヒステリカ見開きに・あ・えび反りの蝦
         パリ精神病院の写真図像集

    青鮫が「美坊主図鑑」購いゆきぬ
              上半身が考え下半身が運命をきめるのですって。

    突発難聴むささびの爪ひかりだす
       音がしないのに
         扉がひらくしまる。


これらのキャプションの一つ一つが極めて的確であることに驚く。

Ⅴ章は、キャプションは付けられてはいないが、映像的な句が多い。

    藤房の重なりあって薄目して

    鶴に化(な)りたい化りたいこのしらしら暁の

    春帽子買いにふらりと往ったきり

    ない・ある・孔雀の肉を食う時間

    蛇衣を脱ぐ太陽を真つ向に

    月光で干された腕の血が青い

    二〇一二年三月十一日
    七十にんの赤い蝶々が、ネ、今日来るのです

この句集の「あとがき」に

< 目下の悩みといえば、昨年発症した突発性難聴のあと、聴覚の不具合が進み、音楽と無縁の日々になったことでしょうか。
 「東風」(とんぷう)を聴きながら、ねむりたかったのに。 >

と書かれている。 幸いなことに家族に囲まれて暮らせていることだろう。

エッセイ集『あら、もう102歳』に触れる余裕がなくなってきた。
実生活のこと、俳句とのなれそめ、などいろいろ書かれている。
草思社は、特色のある本を出す出版社で、金原まさ子という特異な才能を、旨く掬いあげるのに成功している。

金原さんについては、Wikipedia─金原まさ子 に詳しい。


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