K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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加山又造・前本ゆふ 画文集『ゆふ』・・・・・・・・・・・・木村草弥
ゆふ

──新・読書ノート・・・初出Doblog2006/10/07──

  加山又造・前本ゆふ 画文集『ゆふ』・・・・・・・・・・・・木村草弥

つい先年、他のBLOGから、ハンドルネーム「ゆふ」という人が訪問されて、一時交信していた。「ゆふ」というのは九州の九重連山の「由布」岳に由来するらしい。
そんな「ゆふ」という名前からの連想で、「そう言えば、むかし『ゆふ』という画文集を読んだっけ」と思い出して書架から引っ張りだしてきた。1993年中公文庫。

はじめにお断りしておくが、そんないきさつだから、今日書くことと、ハンドルネーム「ゆふ」さんとは何の関係もないことである。

加山又造は1927年京都生まれの画家で「新制作協会」「創画会」などに所属。東京芸術大学教授を勤めた。彼の筆致は一目みただけですぐにわかる独特なものである。
前本ゆふは1949年生まれ。多摩美術大学日本画科の「加山教室」で、後に夫となる前本利彦に出会いモデルを始める。1970年、同大学を中退。1976年より加山又造のモデルを務める。自身も日本画家として個展を中心に作品を発表している。

事典には、次のように載っている。
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加山 又造(かやま またぞう、男性、1927年9月24日~2004年4月6日)は、昭和~平成の日本画家。

1927年、京都府に西陣織の図案家の子として生まれる。京都市立美術工芸学校、東京美術学校(現・東京芸術大学)を卒業。山本丘人に師事。東京芸術大学名誉教授。日本画の伝統的な様式美を現代的な感覚で表現した。1997年文化功労者に選ばれ、2003年文化勲章を受章。

代表作品
「春秋波濤」(1966) 東京国立近代美術館
「雪」「月」「花」(1978) 東京国立近代美術館
「黄山霖雨・黄山湧雲」(1982) 京都国立近代美術館
「横たわる裸婦 '84(黒衣)」(1984)
「墨龍」 身延山久遠寺大本堂天井画
「濤と鶴」 ブリティッシュエアウェイズワールドイメージ尾翼デザイン
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学習研究社の出版で1983年に出た「裸婦」シリーズ全8巻というのがあり、第一回配本が加山又造だった。
名前の通り「裸婦」を描いた油彩、水彩、デッサンなど100ページほどのものである。
図版②は、その本から採った。

加山又造

話を画文集『ゆふ』に戻す。
この本の裏表紙に

<一人の女を描きつづけて十数年、選び抜いた素描150点と、画家とモデルの二人のエッセイによるユニークな画文集。裸婦画に独自の境地を拓いた加山又造氏とモデルをつとめるゆふさんが、互いの歩みと美の創造の過程を折々の心境をまじえて綴る>

というキャッチコピーが載っている。けだし的確な要約と言えるだろう。
図版③も「裸婦」シリーズからだが、下に引用する「ゆふ」さんの文章に関係するので、敢えて出しておく。

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この本のはじめの部分で「ゆふ」さんは書く。

<鶴見のアトリエ
 初めての仕事の日、私は丁寧にお化粧してでかけた。運転していった車の色や、着ていった青い服のこともはっきり覚えているのに鶴見のアトリエに着いてからのことはあまり覚えていない。・・・・・アトリエには、それまで先生が描いていたモデルのデッサンなどがあり、それらを見るにつけ私は不安になった。先生が描いていた女達のような、白く透きとおるパセティックなイメージを表現することは、マエモトサンのモデルをして養った「モデル術」を駆使しても難しいと思われた。私は、背も低く、女らしいやさしい体つきではなかったし、何より気になったのは健康的なことであった。夏と海だけを待ちつづけて残りの季節を過ごしていたような私の体には、十二月になってもくっきりと水着の跡がついていた。ちょうど、小麦色の肌に白い水着を着ているようだった。・・・・・先生はやっぱり少し驚いたように思えた。水着の跡を着た裸を珍しそうにみていたが、意外にもとても面白がって、さっそくスケッチに取りかかった。・・・・・三回だけの約束は延び延びになって、とうとう13年もたってしまった。仕事場は鶴見から藤沢に移り、あんなに焦がれた海沿いの道を通ってアトリエに通うようになったが、今では窓越しの太陽さえまぶしすぎる。私は、39歳になった。>

引いた文にも書かれているように、このデッサンにもはっきりと水着の跡が描かれている。
また違う個所の文を引いてみよう。

<アトリエの中
 自ら「屑屋の仕切り場」と称する先生のアトリエの中は、美大のときの「加山教室」そのままであったから、私には居心地が良かった。あらゆるものが雑然としている中で、私達もまとまりなく自由に仕事をした。先生はいつも京都弁独特のイントネーションで「自由にやろう」と言う。私達は仕事の合間にテレビを見たり、みどりさんが用意してくれるくだものやお菓子を食べながらお茶を飲んで話をする。しゃべってばかりでちっともはかどらないときもあるが、考えてみると話しているのは絵のことばかりである。・・・・・>

うらやましいような師弟として、またモデルとしての過ぎ行きが活写されている。
「ゆふ」さんとの交信から、むかし読んだ、ほのぼのとした本を再読させてもらった。




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