
わが一生(ひとよ)にいくたりの族(うから)葬(はふ)りしや
春の疾風(はやち)はすさまじく吹く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
この歌に詠んだように、私が物心つくようになってから何人の肉親を葬っただろうか。
はじまりは、昭和18年5月の長兄・庄助を22歳で送ったことである。
その同じ年の12月には庄助の名づけ主である祖父・木村庄之助が亡くなった。
そのお供に父の妹の婿養子・木村保次郎が亡くなった。この人は祖父と共にお茶の仕事をしていた人である。
引続いて母の兄・堀井東次郎が急死した。この人は小学校の校長だった。
その翌年昭和19年2月には私の長姉・登志子が亡くなった。このことは2月19日付けのBLOGで書いておいた。
そして敗戦後の昭和20年12月には私たちの末の妹・京子が結核性髄膜炎で亡くなった。小学校二年生だった。
このように親しい人々が短期間の間にバタバタと死んで、思春期の少年だった私には、この世は、一体どうなるのか、という「死」と向かい合う時期だった。
その後は少し肉親の死はなかったが、父と母を送った。父を昭和40年に送って51年。
一昨年、その五十回忌を命日の十月に営んだ。
また母が平成5年に死んで今年の四月は24回忌になる。
そして妻・弥生が先年亡くなって、この四月は満10年になる。
春の疾風は季節の変わり目で、すさまじく吹く。
普通「疾風」はハヤテと呼ばれるが、私の歌に使った呼び方「はやち」は、昔の古い呼び方なのである。
疾風というのは映像にならないので、プリズムの画像を出しておいた。
ここで春の季語「春疾風」の句を引いて終わりたい。「疾風」は秋の季語なので俳句では「春疾風」と書く約束である。
春疾風すつぽん石となりにけり・・・・・・・・・・水原秋桜子
春嵐奈翁は華奢な手なりしとか・・・・・・・・・・中村草田男
春颷ききゐて沼へ下りゆかず・・・・・・・・・・加藤楸邨
春疾風屍は敢て出でゆくも・・・・・・・・・・石田波郷
春嵐鳩飛ぶ翅を張りづめに・・・・・・・・・・橋本多佳子
春嵐足ゆびをみなひらくマリヤ・・・・・・・・・・飯島晴子
春疾風吹つ飛んで来る一老女・・・・・・・・・・山田みづえ
なびきつつ女あらがふ春疾風・・・・・・・・・・松尾隆信
煮え切らぬ男撫で切る春疾風・・・・・・・・・・石田静
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