K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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深海魚光に遠く住むものはつひにまなこも失ふとあり・・・・・・・・・・・・・・・堀口大学
2-5堀口大学

     深海魚光に遠く住むものは
        つひにまなこも失ふとあり・・・・・・・・・・・・・・・堀口大学


今日3月15日は詩人・堀口大学の忌日である。
先ず、彼のことをネット上から引いておく。
掲出歌に関しては、この引用記事の終りの方に書いてある。

堀口大學
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

堀口 大學(ほりぐち だいがく、1892年(明治25年)1月8日 ~ 1981年(昭和56年)3月15日)は、日本の詩人、フランス文学者。

略歴
1892年、東大生堀口九萬一(のち外交官となる)の長男として、東京・本郷に生まれる。大學という名前は、出生当時に父が大学生だったことと、出生地が東大の近所であることに由来する。幼児期から少年期にかけては、新潟県長岡で過ごす。旧制長岡中学校を卒業し、上京。

17歳のとき、吉井勇の短歌『夏のおもひで』に感動して新詩社に入門。歌人として出発する。

1910年、慶應義塾大学文学部予科に入学。この頃から、『スバル』『三田文学』などに詩歌の発表を始める。

19歳の夏に、父の任地メキシコに赴くため、慶大を中退。メキシコでフランス語を学んでいた時、メキシコ革命に遭遇。メキシコ大統領フランシスコ・マデロの姪と恋愛を経験。

この頃、肺結核を患う。以後も父の任地に従い、ベルギー、スペイン、スイス、ブラジル、ルーマニアと、青春期を日本と海外の間を往復して過ごす。

1919年、処女詩集『月光とピエロ』、処女歌集『パンの笛』を刊行。以後も多数の出版を手がける。その仕事は作詩、作歌にとどまらず、評論、エッセイ、随筆、研究、翻訳と多方面に及び、生涯に刊行された著訳書は、300点を超える。彼の斬新な訳文は当時の文学青年に多大な影響を与えた。三島由紀夫もまた、堀口の訳文から大きな影響を受けた一人である。

1957年に芸術院会員となり、1979年に文化勲章を受章。1981年、歿。享年89。

娘の堀口すみれ子も詩人でエッセイスト。

1967年、歌会始で(お題は「魚」)、「深海魚光に遠く住むものはつひにまなこも失ふとあり」と詠んだ。
生物学者である昭和天皇はたいそう喜んだというが、一部には天皇に対する、本人を目の前にしての批判であると解する向きもまたある。

著訳書
月光とピエロ(1919年)
パンの笛(1919年)
訳書・夜ひらく(1924年)
訳詩集・月下の一群(1925年)
砂の枕(1926年)
人間の歌(1947年)
夕の虹(1957年)
月かげの虹(1971年)
沖に立つ虹(1974年)
ルパン傑作集(翻訳年はかなり以前で近年再版されている。)
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はじめに、昭和25年、住んでいた高田を去るときに彼が詠った詩が詩碑として残っている写真をかかげておく。

hori2大学詩碑

高田に残す(堀口大学詩碑)

ひかるゝおもひうしろがみ
のこるこヽろの なぞ無けん
すめば都と いふさへや
高田よさらばさきくあれ
おほりのはすよ 清う咲け
雪とこしへに白妙に

堀口大学は父親が外交官であったために、家族として同行して海外生活が長かった。
外国語に堪能であったので、西欧詩の翻訳家として出発した。
引用したところにも書いてあるように「ミラボー橋の下セーヌは流れる」というのが有名だが、近年、詩の翻訳としては、その適否について、とやかく言われている。

人間よ

知らうとするな、自分が、

幸か不幸だか、

問題は今そこにはない。

在、不在、

これが焦眉の間題だ、

灼きつくやうな緊念事。

生きて在る、死なずに在る、

感謝し給ヘ、今日も一日、

調和ある宇宙の一點、

生きものとして在つたこと。

神にでもよい、自然にでもよい、

君の信じ得るそのものに。

知らうとするな、

知るにはまだ時が早い、

人聞よ、

墜落途上の隕石よ。

(人間の歌・隕石)の詩より。(詩集『人間の歌』昭和22年宝文館刊)

この堀口大学の詩は、人の世の愁色感と一種の軽快さ漂わせ、多くの人の青春を流れていった。
先に逝った詩兄弟・佐藤春夫に胸の張れる詩が出来たといった、辞世の詩

「水に浮んだ月かげです つかの間うかぶ魚影です 言葉の網でおいすがる 万に一つのチャンスです」

というのが知られている。

昭和56年、堀口大学は永い詩人生の最期を、春一番の風雨が去ったこの日正午、急性肺炎により葉山の自宅で妻の手を握りながら静かに迎えた。
89歳という長寿であったが、今は鎌倉霊園に眠っている。写真③が、その墓碑。

horigutidaigaku大学墓碑

以下は、この記事を書いた人のコメントである。

<ミラボー橋の下をセエヌ河が流れ われ等の戀が流れる わたしは思い出す 悩みのあとに楽みが来ると>アポリネール・ミラボー橋のこのあとにつづく、<日が暮れて鐘が鳴る 月日は流れわたしは残る>の一節は今になっても私の耳元に小波をうって渡ってくる。この高台の芝垣で囲まれた墓碑のある塋域には、広い谷から吹き上がってきた梅雨の風が抜けきれず、どことなく空しさを携えて残っていた。



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