K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
201707<<12345678910111213141516171819202122232425262728293031>>201709
うすべにのゆく手に咲ける夕ざくら父なる我の淡きものがたり・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
entry_24しだれ桜円山公園
  
   うすべにのゆく手に咲ける夕ざくら
     父なる我の淡きものがたり・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るもので、自選にも採っているのでWebのHPでも、ご覧いただける。
掲出した写真は京都の円山公園のしだれ桜の夜景である。

私の歌は「夕ざくら」という具象に仮託して、父として生きて来た歳月を振り返って、家族の中で、どんな位置を占めてきたのだろうか、
極めて「淡いものがたり」にとどまっていたのではないか、という寂寥感を詠ったものである。
家族の中で、父親という存在は、家族の生活を担って生きて来た割には、母親に比べて極めて「淡い」存在であるように私には、感じられる。
それは男としての性生活でのありように大きく関係すると思う。
私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載せた歌

   後の世に残し得つるはこれのみか我が放精し生(な)せる三人娘・・・・・・・・・・・・木村草弥

のように、男性として子作りに参画したのは、精液の一雫のみであり、10ヶ月間も腹に子を抱いて、かつ分娩の苦痛をした末に産み落とす母親、
との「産みの記憶」がケタ違いにスケールが違うからである。
その故に、私は「父なる我の淡きものがたり」という自覚に至るのである。
世の男性諸氏、いかがであろうか。

今しも「桜」のシーズンであるから、以下、桜を詠んだ句を引いておく。

 夕桜家ある人はとくかへる・・・・・・・・小林一茶

 ゆふ空の暗澹たるにさくら咲き・・・・・・・・山口誓子

 生涯を恋にかけたる桜かな・・・・・・・・鈴木真砂女

 ひらく書の第一課さくら濃かりけり・・・・・・・・能村登四郎

 会ひ別れあと幾そたび桜かな・・・・・・・・六本和子

 遠桜いのちの距離とおぼえけり・・・・・・・・林 翔

 乱世にあらずや桜白過ぎる・・・・・・・・沢木欣一

 じつによく泣く赤ん坊さくら五分・・・・・・・・金子兜太

 桜咲くを病みて見ざりき散るときも・・・・・・・・草間時彦

 さきみちてさくらあをざめゐたるかな・・・・・・・・野沢節子

 命終の色朝ざくら夕ざくら・・・・・・・・小出秋光

 さくらさくらもらふとすればのどぼとけ・・・・・・・・黛まどか

 みどりごのてのひらさくらじめりかな・・・・・・・・野中亮介

 朝ざくら家族の数の卵割り・・・・・・・・片山由美子

 夕桜ふつくらと橋かかりけり・・・・・・・・大嶽青児

 婆と孫に筵一枚田のさくら・・・・・・・・竹鼻瑠璃男

 人に生まれ桜に生まれ星遠し・・・・・・・・三輪初子



コメント
コメント
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
トラックバック URL
トラックバック
copyright © 2017 Powered By FC2ブログ allrights reserved.