K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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げんげ田にまろべば空にしぶき降る 架かれる虹を渡るは馬齢・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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   げんげ田にまろべば空にしぶき降る
     架かれる虹を渡るは馬齢・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(((角川書店)に載るもので、沓冠(くつかぶり)という昔からの歌遊びの形式による連作「秘めごとめく吾」の巻頭の歌。

この一連については2004/05/22のTB■<沓冠>という遊び歌について──草弥の<秘めごとめく吾>に則して──という「エッセイ」に全文と解説を載せたが、
下記に再録しておくので、ご覧いただきたい。
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──初出Doblog・2004/05/22のBlog
  <沓冠>という遊び歌について・・・・・・・・・・木村草弥

──エッセイ──

<沓冠>(くつかぶり)という遊び歌について──

 ───木村草弥の作品<秘めごとめく吾(わ)>の場合── 

或る人との交信の中で「沓冠」(くつかぶり)という、中世から和歌の世界でやられてきた「遊び歌」について触れたところ、どういう仕組みかという質問があった。
そこで私の作品を例にあげて説明してみたい。

これは「秘めごとめく吾(わ)」という題名の沓冠15首であるが、雑誌『未来』誌1996年9月号に、特集・異風への挑戦③で「課題・沓冠」が編集部から指名で課されてきたものに応じて発表したものである。
「くつかぶり」は漢字で書くと「沓」と「冠」とになる。
<冠>とは一首の歌の頭の音(おん)を①~⑮へ。
<沓>は歌の末尾の音を⑮~①へと辿ると
「現代短歌に未来はあるか
 そんなことは誰にもわからない」 となる。
この文をよく覚えておいてほしい。
これが「くつかぶり」という歌の遊びであるが、15首の歌の頭と末尾が、事前に決っているので、それに基づいて歌を作り、連ねて行かなければならない、
という難しさがある。
この、沓冠に宛てる「文」は作者の自由に決めてよい。
なお沓冠には二種類あり、私は一首の頭と末尾に沓冠をあてはめたが、
もう一種類は、各歌の5、7、5、7、7の各フレーズの区切りに、沓冠に選んだ字(音=おん)を当てはめてゆく、というもの。

では、実際に、私の作品を見てみよう。なお歌の頭に便宜的に①~⑮の数字を付けておいた。
実際の作品にはついていない。

 秘めごとめく吾(わ)──沓冠15首・・・・・・・・・・・・・・・・木村 草弥

①げんげ田にまろべば空にしぶき降る 架かれる虹を渡るは馬齢

②ん、といふ五十音図のおしまひの大変な音(おん)が出て来ちやつたな

③だいぢやうぶ、忘八といふ大仰な題名つけた人がゐるから

④生きものはみな先ず朝を祝福せむ、徹夜してまで作るな短歌

⑤たまさかの独り居の夜のつれづれに十指を洗ふ秘めごとめく吾(わ)

⑥ん、ならね 人の世の運などといふ不確かなるに縋りてをるも

⑦革ジャンに素乳房を秘めハーレーに跨る少女、血を怖れずに

⑧にちげつを重ねて揃ふ茶のみどり摘むゆびさきは陽光(ひかり)に刺され

⑨みどりなす陽ざしに透ける茶摘女の肌うるはしき茶ばたけの段(きだ)

⑩ライラックそのむらさきの髪ふさの舞姫ソフィゆめに顕(た)てるは

⑪いなづまのびりりと裂きし樹の闇を殻もゆらさず蝸牛ゆく音

⑫花火果てて元のうつろな河となり晩夏の水を眺むるをとこ

⑬アポトーシス自然死なるにあくがれて華甲も六とせ越えし吾かな

⑭るいるいと海松(みる)の朽ち藻に身をまかせ記憶の森にトラウマ尋(と)めん

⑮愛(かな)しさは遠浅なして満ちくるをもくれんの花は昼もだすとぞ

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お判り頂けただろうか。見ていただけば判るように、かなりの習練と、当意即妙な自由さ、が必要である。
私などは、かなり遊びの要素の多い人間で、こういう遊びは大好きであり、もう20年も前のことだが、これを制作中は、嬉々として楽しく作品作りに当った。
実際の制作期間は2日ほどである。
先ず、当てはめる<冠>と<沓>になる「文」を作り、それを歌の頭と、歌の末尾に配置してから、歌の制作にかかる。
作ったあとには、大きな達成感があるのである。
並べる歌の数は15とは限らない。10でもよいし、30でも、よい。
ただし、30となると、かなり難しさが増すだろう。どんな数にするかは、課題を出す編集者の裁量である。
この一連は第二歌集『嘉木』に収録してあるが、自選50首には載せていないので、Web上では、ご覧いただけない。
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「げんげ」はレンゲ草というのが一般的な呼び方であるが、文芸の世界では「げんげ」と呼んで「非日常的」な演出をするのである。
レンゲ草は休耕田などに秋に種を蒔いて田一面にレンゲを生やし、春先に田植えのための田こなしの前にコンバインなどで土に鋤き込む。
「緑肥」というものである。
レンゲは根に「根瘤バクテリア」というのが着いて空気中の窒素を固定化する作用をする。
昔から、このことは経験的に農民には知られていて、冬の季節に広く栽培されたのである。
しかし現在、栽培されているレンゲは西洋レンゲといって、茎も葉も花も大型のもので、昔の在来種のニホンレンゲとは、比べ物にならないお化けのような大きさである。
この方が緑肥としての効率は、いいのだそうである。
ご参考までに申し上げると「根瘤バクテリア」を利用する植物としては「大豆」がある。
これも根に根瘤バクテリアがつくので、後作に土の中に窒素分が多く含まれることになるのである。
耕作すると作物が土中の栄養素を吸ってしまい、地味が痩せるのが普通で、したがって肥料を補充しなければならないが、
こういう根瘤バクテリアのつく植物は、そのような肥料の補充が助かるというものである。
もっとも、肥料には窒素、燐酸、加里という肥料の三要素が均衡していることが必要であることは言うまでもない。

掲出した私の歌については、先に書いた「エッセイ」をみて鑑賞してもらうとして、別に書き添えることもないが、
「馬齢」というのは、いたずらに年齢を重ねることを言い、私のことを指している。

「げんげ」「げんげん」「紫雲英」などと書くが、それらの句を引いて終わる。

 野道行けばげんげんの束のすててある・・・・・・・・・・正岡子規

 桜島いまし雲ぬぎ紫雲英の上・・・・・・・・・・山口青邨

 げんげ田の鋤かるる匂ひ遠くまで・・・・・・・・・・阿部みどり女

 げんげ田はまろし地球のまろければ・・・・・・・・・・三橋鷹女

 頭悪き日やげんげ田に牛暴れ・・・・・・・・・・西東三鬼

 切岸へ出ねば紫雲英の大地かな・・・・・・・・・・中村草田男

 おほらかに山臥す紫雲英田の牛も・・・・・・・・・・石田波郷

 青天の何に倦みてはげんげ摘む・・・・・・・・・・鈴木六林男

 紫雲英野の道たかまりて川跨ぐ・・・・・・・・・・清崎敏郎

 睡る子の手より紫雲英の束離す・・・・・・・・・・橋本美代子

 げんげ田が囲む明日香の后陵・・・・・・・・・・石井いさお

 死ぬ真似をして紫雲英田に倒れけり・・・・・・・・・・山崎一生

 げんげ田に寝転ぶ妻を許し置く・・・・・・・・・・三好曲

 子山羊にも掛けて蓮華の首飾・・・・・・・・・・沢 聡

 紫雲英野を発つくれなゐの熱気球・・・・・・・・・・塩出佐代子

 畦ひとつとんで咲きたる紫雲英かな・・・・・・・・・・中山世一



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