K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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ほろほろと桜ちれども玉葱はむつつりとしてもの言はずけり・・・・・・・・・・・・・・・・・岡本かの子
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      ほろほろと桜ちれども玉葱は
         むつつりとしてもの言はずけり・・・・・・・・・・・・・・・・・岡本かの子


岡本かの子は画家・岡本一平の妻。岡本太郎は長男である。跡見女学校在学中に与謝野鉄幹、晶子と知り合い、「明星」「スバル」などに投稿。
一平、太郎と共にヨーロッパへ渡り、以後、小説家として活躍する。
昭和14年没。

掲出の歌は、玉葱を擬人化して「むっつりとして物言わず」という表現が面白い。
歌集としては『かろきねたみ』『浴身』など。
以下、少し歌を引いてみる。
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ともすればかろきねたみのきざし来る日かなかなしくものなど縫はむ

あきらめて蚕を飼ふほどの優しさを誰が恋故に覚えたまへる

春の風やや気色ばみ出でて行く人の後姿(うしろで)ゆるやかに吹く

桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命(いのち)をかけてわが眺めたり

林檎むく幅広ないふまさやけく咲き満てる桜花(はな)の影うつしたり

おのづからなる生命のいろに花さけりわが咲く色をわれは知らぬに

金の蜂ひとつとまりて紅のかんなの色はいやふかきかも

鶏頭はあまりに赤しよわが狂ふきざしにもあるかあまりに赤しよ

はてしなきおもひよりほつと起きあがり栗まんじゆうをひとつ喰(たう)べぬ

美しき亡命客のさみえるに薄茶たてつつ外は春の雨

春雪は降りかかる直ち汽鑵車の黒赫の鉄に溶けてしたたる

かなしみをふかく保ちてよく笑ふをんなとわれはなりにけるかも

梅はまだはつはつなれや丹頂の鶴の素立ちの足さむげなり

こうこうと鶴の啼くこそかなしけれいづべの空や恋ひ渡るらん

春はやく生れし虫のをさなきを籠(こ)にいたはりて死なしめにけり

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ネット上に載る記事を転載しておく。

岡本かの子 【おかもと・かのこ】
小説家、歌人、仏教研究家。本名、岡本(旧姓、大貫)カノ。明治22年3月1日~昭和14年2月18日。
東京赤坂青山南町の大貫家の別荘に生まれる。大貫家は神奈川県の三百年来の大地主。
明治39年、与謝野晶子に師事し、雑誌「明星」などに短歌を発表しはじめる。
明治43年、岡本一平と結婚。翌年、後に芸術家として大成する太郎を出産。
結婚生活は波乱の連続であったが、二人は危機を乗り越えるため宗教遍歴をし、大乗仏教にたどり着く。
かの子は歌人としての名を上げるが、昭和4年から7年にかけての渡欧を機に小説家へ転進。
昭和12年の「母子叙情」により文壇的地位を確立。その後も精力的に文学活動を続け、大器晩成型の才能を開花させる。
創作以外にも、仏教に関するエッセイを多数発表している。昭和14年2月18日、脳溢血により死去。享年49歳。
代表作は「母子叙情」、「老妓抄」、「東海道五十三次」、「家霊」、「雛妓」など。

回想録
 かの子女史はある時女ばかりの会合の席で――その席には、長谷川時雨、平林たい子、森田たま、板垣直子、その他四五人の顔があつた――相変らずゆるゆるした口のきゝ方で一平氏の自分に対する敬愛をこんな風に語つた。
「私がね、少し帰りに晩かつたりすると、顔をみると拝むのよ。ほんたうに拝むの。有難いんですつて……それはねえ、私が器量がいゝとか、才能があるとかいふためではないのよ。」
 そのあとをかの子女史がどう説明したかは忘れてゐる。たゞその「拝むのよ」といふ言葉が臆(お)めずにゆる/\と語られた雰囲気だけが記憶にこびりついてゐる。
 その時にもう一つ、異様に見えることを言つた。かの子女史がらんらんとした眼でゆつくり一座を見まはして
「私、この中に好きな人がたつた一人ゐるのよ。」
 と言つたのだ。かの子女史に愛され度いと思つてゐる人は恐らく一人もゐなかつたが、何だか籤(くぢ)を引かされたやうな気分にさせられたことは事実である。
 それから数日して、森田たま女史にあつた時、森田さんは顔をしかめて、
「岡本さんて気味がわるいわ。あの日の帰り道にそつと私の傍によつて来て、さつきこの中に好きな人が一人ゐるといつたのあなたのことよつて凝つと私の顔をみるの。」
 といつた。なるほどと私は思つて、その次平林さんにあつた時そのことを話した。(読者よ、私のチヨコマカしたおしやべり癖のいやらしさには私自身もうんざりしてこれを書いてゐるのです)平林さんは怒つたやうな顔できいてゐたが、ふうむと深い息をついて、
「さうですか……実は、私もあの帰りに岡本さんに同じことを言はれたのよ。」
 といつた。さうして大きな声で笑出した。私も笑つた。化かされた当人より色の浅い笑ひ方だつたが、あとはひどく索漠とした。事をかまへて強ひて他人の心を自分にひきつけようとする岡本かの子その人の孤独の深さが身に食入つて来た。かの子女史の死後追悼会の席で、一平氏がかの子女史の写真の前で落涙滂沱と頬を伝ふのを現に私はみたが、涙を流しても拝んでも、一平氏によつてかの子の孤独は救はれなかつたのである。

円地文子「かの子変相」
昭和30年7月
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 かの子は妻と片付けられる女ではなかつた。
 僕にとつて母と娘と子供と、それから師匠でもあり友だちでもあつた。
 日常生活で一ばん濃厚なお互ひの感じは、子供同志といふ感じであらう。ひたむきな性格で、如才なくとか、いはゆる要領よくとか、いふ事が出来なさうに見ゆるかの女を、僕は憐んだ。かの女はまた僕の粗笨で、時にはどうでもいゝやと投げてしまひさうな性格を、危いものに思つた。しかしその実、僕の方には多少、世故に慣れた狸のところもあるのだが、かの女は自分のひたむきな性格の鏡に写して、その方面は見えないから、たゞ危ないものに思つて一生懸命、庇ふやうにした。相手が自分の好意に従はないと互に怒つた「なんだ子供の癖に」「なんです子供の癖に」
 かの子のひたむきで思ひ入る性格の現れた例を一つ想ひ起す。かの女は嘗てある雑誌から桜百首を一週間の期限で頼まれた。昼夜兼行で桜のあらゆる姿態を胸裏に描いて詠んだ。それが出来上つたので雑誌社へ渡し、ちやうど季節も桜が咲いたので、上野の山へ実物の桜を見に行つた。足は清水堂の辺にかゝつて、そこの崖にちらほら咲き始めた桜が眼に入ると、急にかの女は胸を悪るくし実際に嘔吐した。空想でも桜の姿をかの女はすでに満喫し、もうそれ以上、事実の桜の如きは嗜慾に受容れるに堪へなかつたのだ。かの女のひたむきな性格が精神と肉体を分たず自由に馳せ廻つたかういふ例はいくらもある。

岡本一平「妻を懐ふ」
昭和14年4月
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岡本 僕は、僕の母親には、いわゆる母性というものはなかったと思うよ。
有吉 わたくしもそう思うんですよ。作品読んでも、ぜんぜん母性というものを感じないもの。金切り声をあげて「母性、母性」と叫び続けているんだけれども、まるで実体がないんですよ。わたくしは、大変失礼な言い方をしてごめんなさい、岡本太郎は、はたして彼女の子かという疑問を持つくらいなんです。つまり、産んでいるのかしら、と思うときがあるんですよ。というのは、あんなに母性母性というのなら、やはり、産むときの苦しみとか、身ごもつているときの母親の感慨とかが当然、出てこなければならないと思うんだけれども。(中略)
岡本 産んだことは事実だろうけれど、岡本かの子の場合は、そんなこと関係ないんだな。そこが彼女の凄いところ、素晴しいところですよ。僕はしよっちゅういっていることだけれども、岡本かの子の場合は、母性というものがないんですよ。もしあるとすれば、大母性だな。大母性と母性とは違うと思うんだ。そういった意味で、かの子は大母性だったと思う。ということは、いわゆる母性というものにぜんぜんこだわらない。
 一番、僕としてかの子に困っちゃったのは、まあ、母親ぶってはいたけれども、僕が中学生になったら、甘えちゃってねえ。ときどき母親的権力的な態度をとることが、たまにはあったが。こちらの妹みたいなふうになっちゃって、どうも、こっちから見れば、おばあちゃんともいえないけど、えらい年上で、お母さんなのに、甘えられると困っちやうんだねえ。これ、どうも始末に悪い。甘えて甘えて、妹みたいになって、うっかりすると、こっちがお父さんになったような錯覚を起こすくらいにね。非常に困ったよ。ときには嫌気を覚えたね。だけども大きく考えると正しかったと思うんだ。ということは、人間というのは同時に母親であり、娘である。

岡本太郎・有吉佐和子「“母”なるかの子」
昭和49年3月


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