K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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残生はいかに過ぐらむ老いの目に苺は朱し一つ一つが・・・・・・・・・・・・・木村草弥
ichigo3-450いちご

   残生はいかに過ぐらむ老いの目に
    苺は朱し一つ一つが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。

今ではハウス栽培によって年中イチゴは出回っているが、本来は今の時期のものである。
年中出回るのには、訳がある。洋菓子の苺ショートケーキなどは一年中切らすわけにはゆかないし、年末のクリスマスの時期はデコレーションケーキの書入れ時であり、ケーキ会社ではイチゴ栽培農家と契約して供給を受けている。
今の時期は完全な露地栽培ではなくハウス栽培ではあるが、露地に近い時期で、あちこちで「いちご狩」が行なわれている。
その場で取って口に入れるので、地面にはビニールシートを敷いてある。

ph_ichigo1いちご畑

写真②は、その様子である。
苺農家にとっては、市場に出荷してもシーズンには、思わしいような値がつかないので、手間はかかるが、いちご狩をして現金収入を得る方が採算がいいのである。
この頃では品種改良されて「大粒」のイチゴが好まれる傾向にある。
私の住む近くでは、奈良県産の「アスカルビー」とかがある。
大きさと甘さが勝負のポイントで、他に「とちおとめ」「あまおう」「さがほのか」「ベリープリンセス」「女峰」「アイベリー」などがある。
一時日の出の勢いだった「とよのか」なども今では影が薄い。
「イチゴ狩」でも小粒の品種は見向きもされないというから恐ろしい。

10いちご棚作り

この頃では写真③のように「棚」作りの栽培があるらしい。
これらは「いちご狩」専用の施設だが、この方がお客さんが、屈まなくてもよいので体が楽である他に、地面に接していないので「衛生的」な印象を与えることが出来る、という利点があるらしい。
世はまさに「お客様」本位の時代である。
この写真は愛知県渥美半島での一駒である。
いちご狩は結構値段の高いもので、値段だけで比べるなら、市販のものを買って腹いっぱい食べても、その方が安いらしいが、それはそれで自然の中で食べるというプラスアルファーが付加されているのである。

ところで、掲出の私の歌のことであるが、上句の「残生はいかに過ぐらむ」というフレーズと下句の「苺は朱し一つ一つが」というフレーズには、直接の関係はない。
俳句でいう「二物衝撃」のように、この両者の間に「老いの目に」というフレーズが接着剤の役目を果たして一首のうちに「融合」させているのである。
私自身では、結構、気に入っている歌である。「老いの目に」赤いイチゴという取り合わせも成功している、と自画自賛している。いかがだろうか。

なお参考までに申し上げると「苺」「苺摘み」というのは「夏」の季語であり、今のようにビニールハウスとかが無い自然栽培の下では、もっと暑くならないと実らなかったのであった。
だから「春」の季語としては「苺の花」を指すことになっているので念のため。

e88bbae381aee88ab111苺の花
「苺の花」の句としては

 満月のゆたかに近し花いちご・・・・・・・・・・飯田龍太

 花の芯すでに苺のかたちなす・・・・・・・・・・飴山実

 惜しみなく日のふりそそぎ花苺・・・・・・・・・・水原京子

 花苺気丈な母になれず居る・・・・・・・・・・近藤美智子

「苺」の句としては

 青春の過ぎにしこころ苺喰ふ・・・・・・・・・・水原秋桜子

 怠たりそ疲れそ苺なども食べ・・・・・・・・・・中村草田男

 音もなき苺をつぶす雷の下・・・・・・・・・・石田波郷

 苺紅しめとりて時過ぎいまも過ぐ・・・・・・・・・・森澄雄

 ねむる手に苺の匂ふ子供かな・・・・・・・・・・森賀まり

 胎の子の名前あれこれ苺食ぶ・・・・・・・・・・西宮舞

などである。佳い句として挙げるようなものは多くはない。



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