K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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新井瑠美第三歌集『霜月深夜』・・・・・・・・・木村草弥
新井_NEW

──新・読書ノート──

       新井瑠美第三歌集『霜月深夜』・・・・・・・・・木村草弥
                 ・・・・・青磁社2016/01/27刊・・・・・・・

新井瑠美さんは塚本邦雄が健在で前衛歌人として活躍していたころ取り巻きとして活動されていたらしい。
その頃、私は歌壇とは無縁であったので詳しくは知らない。
その頃の評論などを見た記憶があるが、いま手元にないので引き出せない。とにかく活発に執筆されていたらしい。
私と同じ市にお住まいであり、亡夫君はプロゴルファーとして高名な新井進プロであったという。
私は新井プロとも知り合ったことはない。名前を知るのみである。
『朱金の扇―新井瑠美歌集』 (1978年) (短歌世代シリーズ〈第31篇〉)というのが第二歌集であるのか審らかではない。この本も私は未見である。
今回の歌集の「あとがき」で
< 『霜月深夜』は、三十有余年振りの三集目であります。
  あまりにも過ぎ去った歳月を、惜しむものではありますが、すべては私の断念と怠惰のもたらしたことであります。
  最晩年を迎えて、詠み放った歌の数々に未練がでておりました。
  始めの結社〈短歌世代〉で十年、自由に詠ませてもらって二冊の歌集を出した後、〈椎の木〉に移籍、経緯のことは省くとして、
  二十余年会員として在籍したものの・・・・・その間、一冊も纏め得ませんでした。・・・・・・
  在籍中、詠み残した歌稿も整理不十分のため大方を散逸し、残りを生きた証として纏めることにしました。・・・・・・
  二集目の書評をして下さった、河野裕子様の生原稿が三十数年振りに現れたり、ご家族がアメリカへ行かれる前、
  現代歌人集会の理事の端っこに加えて頂き、永田和宏様のもと、広報の使い走りをさせて下さったことも、
  又、平成十年には、城陽短歌大会の選者を河野裕子様にお願いし盛り上げて下さったことなど、
  このたび、ご子息の淳様にお世話になるとは、長いご縁があったとしか思えません。・・・・・ >

などと書かれている。
この中に出てくる「城陽短歌大会」という企画に私も首を突っ込んだが、私は新井さんを立ててやって行こうとしたが、知名度もないのに田舎宗匠風に威張る女の人が居て、まとまらず、
私も匙を投げてしまって降りた記憶がある。 私との縁は、そのときからである。
新井さんも、その折から「塔」に加入されたらよかったのである。塚本邦雄に可愛がられたというプライドが許さなかったのか。
私は、その後、米満英男氏や川添英一氏と知り合ったり、三井修氏にお世話になったり「塔」の若手と交友したりして視野を広げることが出来た。
米満氏とは大阪で一度お会いして酒食を共にしたことがあり主宰された歌誌「黒曜座」を送ってもらったり、山中智恵子さんの署名入りの歌集を何冊か頂いたこともあるが先年亡くなられた。
川添氏は新井さんの文にも出てくる現代歌人集会のパネリストなどをやられたらしいから新井さんも、ご存じかも知れない。
川添氏は奈良教育大学書道科の出身で、筆跡のきれいな人である。「流氷記」を出しておられ、大阪の中学教諭をされていたが今は再任用で教えておられるらしい。
もう何年も前になるが新井さんから「蔵書を整理したい」と連絡があって自宅を訪問して何冊かを頂いた。
塚本邦雄の同行者だけあって、彼の著作の殆どが揃っていたように記憶する。
好きな本を、と言われたが著名な本で一冊切りの本をもらうのは躊躇されて遠慮したが、これは後悔している。やはり主著というべきものをもらっておけばよかったのに。

回想は、このくらいにして歌に入りたい。
この本の「帯文」が掲出画像から読み取れると思うが、ここに書き抜いてみる。

< 言葉を鍛え、磨き、削ぐ。そうして彫琢された詩句が、
  完成された美意識のもとに統べられ、
  三十一音へと収斂していく。
  日々の些事は詩化され、韻きとなって読者のなかに長く揺曳する。
  底光りする華やかな佇まいをみせる、
  熟達の第三歌集。 >

とある。 誰が書いたか知らないが、これこそ、この本の要約として的確だと言えるだろう。

巻頭に「相聞の秋」という項目があり
  ■いちまいの柿の照葉を添へながら手紙(ふみ)ぞたぬしき相聞の秋

が巻頭の歌である。この一連は7首の歌から成るが、次のような歌がつづく。
  ■カメレオンの餌は生きたる蟋蟀と花野に狩れば百の叫喚

  ■赤まんま可憐なりしが秋を祝ぐ中野重治がよぎる目の前

  ■助数詞の弱りもぞすれ一頭とよばふ揚羽のむらさきの蝶

新井さんの男孫かが爬虫類とか虫とかを飼っているらしく、それらの題材から作歌に至っていると思われるが、それらをリアリズムではなく「現代短歌」たらしめている詠み方である。
二番目の歌も中野重治の詩の「赤ままを歌うな」を踏まえていると知るべきである。
三番目の歌も昆虫類をよぶときに「一頭」というように数詞では言うということである。
これらの表現技法こそ新井さんが塚本たちの前衛短歌運動から学びとったものと言えよう。
さりげないように見えながら「言葉を鍛え、磨き、削ぐ。そうして彫琢された詩句」へと昇華されている。
だから、読者の人よ。 「素通り」してもらっては困る。
帯文にある通り「日々の些事は詩化され、韻きとなって読者のなかに長く揺曳する」するのである。


  ■時ならぬ雷のとよみに断たれたる霜月深夜夢のあとさき

「夢のあとさき」という項目の、この歌から題名が採られているようである。
この一連には次のような歌が並ぶ。
  ■落花しきりの木下に佇てば花菩薩 蓬(ほほ)けゆくのも悪くはないか

  ■われの海馬汝れの海馬がそれぞれの見当識を言ひたて始む

  ■〈芸術でメシが喰えるか !!〉夏の夜の吊広告がはためきながら

日常に目にする些事も見事に詩句として昇華されて、珠玉の作品と化している。
「迷路」という一連の終りの歌は
 ■「そして誰も居なくなるのよ」歳晩の葉書ひそりと舞ひ込みきたり

晩年を迎えた老人の身には、ちくりと刺さる警句のような歌である。

  ■〈風景は心の鏡〉 かの画家は水辺のそばに白馬置きたり

高名な日本画家の作品に、そんな絵があった。「宇治」という項目の歌だが、私は別の風景を思い浮かべた。

  ■呆けるまで生くればたぶん捨てられる 盆灯籠がくるくる廻る

「しがらみ」という項目の歌である。

  ■ぶざまなる生きかたもせむ鳥串を横に啣へて未亡人(われまだ死なず)

「すぎゆき」という項目に、こんな歌がある。
  ■我武者羅に戦ひをりし頃ほひの書房〈さんぐわつ〉みつみつの棚

熟年歌人たちには懐かしい京都寺町の三月書房のことであろう。今でも短歌関係の本を置いて頑張っておられるようである。店主は宍戸さんと言ったか。
私などは今では本屋の店頭に行くことは無い。インターネット上でアマゾンから買う。昼前に発注すれば夜には届く。私の旧著も並んで売られている。

  ■長靴はひとりで履ける二歳児は黄の長靴で晴れの日も行く

多くは引かないが、こういう孫、ひ孫の歌が散見する。お子たちが、すぐ近くにお住まいのようである。

「浴衣の足穂」という項目がある。
  ■日帰りの旅といへども充ち足りぬ自然法爾の雪月花見て

  ■湯帰りの浴衣の足穂に出会ひしよその風采を鬼才と知らず

この歌は稲垣足穂の姿を見た昔の記憶から引きだされたものだろう。無頼の稲垣足穂として有名であった。
はじめの歌も、素通りしてもらっては困る。
「自然法爾じねんほうに」とは浄土真宗でいう自力を捨て、如来の絶対他力に任せること。「法爾」はそれ自身の法則に則って、そのようになっていること、を意味する。
このように各所にブッキッシュな仕掛けが施されていると知るべきである。
巻末の項目名は「しかと見よ」だが
  ■ひこまごは寝返り始む頭(つむり)あげ老いさらぼふをしかと見てをれ

という歌など自分を客観視して、突き放して見つめ、かつ表現していて、秀逸である。

多くの歌があるので佳い歌を見過ごしたかも知れない。不十分をお詫びしておく。
遅きに失した出版だが、帯文の「底光りする華やかな佇まいをみせる、熟達の第三歌集。」ということである。
ご恵贈に感謝して紹介の一文を終わる。



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