
──新・読書ノート──
山本登志枝歌集『水の音する』・・・・・・・・・・木村草弥
・・・・・・・ながらみ書房2016/03/18刊・現代女性歌人叢書⑦・・・・・・・・
この本は山本登志枝さんの第三歌集で、『神かも知れぬ』 『風のミロンガ』につづくものである。
「あとがき」に
<平成十三年より平成二十六年、五十代半ばから六十代後半の作品408首を収めました。
平成十六年に二人の娘が相次いで結婚して寂しかったのもつかのま、七人の孫に出会うことになり、
あっというまに十年が過ぎてしまいました。
そんな日々のなかに、風に吹かれていると、ふと生きているという思いになる、水の音が聞こえてくると、
ほっとしている私がいました。
風は地球の息吹、水の音は鼓動のなつかしさなのかもしれません。
風に吹かれながら、水音をききながら、自然の中の一部となって歌えればという思いをこめて『水の音する』を歌集名にしました。>
とある。
山本登志枝さんとの関わりは、私の歌集『昭和』を読む会で書評をしていただいたのが最初である。詳しくは『昭和』を読む会─記録抄で見られる。
あと所属される「晶」の作品を紹介したり、久保田登編『定型の広場─吉野昌夫評論集』の校正をなさった際に同書を恵送されて拙ブログに採りあげたことがある。
さて歌集のことである。
項目名としては「虹の輪」 「夏のふかみ」 「まがりくねつた道」 「すみれも咲けり」 「水の音する」が掲げられる。
巻頭の歌は
・雪しまき視界たちまちにくらみしがまた冠雪の木々が見えくる
であるが、総体に自然をよく観察した、落ち着いた詠み方に終始している。
題名の採られている歌は巻末の項目に載るものである。
・青き空そよげる若葉したたれる水の音するそれだけなれど
「帯」裏に歌が五首抄出されている。自選か、編集者が選んだものか判らないが、この一巻を表すものと捉えていいだろう。
その五首を引いておく。
・翡翠はぬるめる水に零しゆく色といふものはなやかなものを
・吹く風はさびしかれども幾つかづつ寄りあひながら柚子みのりゆく
・書きながら見知らぬ人に書くごとく水に書きゐるごとく思へり
・青き空そよげる若葉したたれる水の音するそれだけなれど
・かなかなの声をきかむとだれもみな風見るやうな遠きまなざし
「あとがき」に見られるように娘さんたちの妊娠のことなどが詠まれている。 目に留まった歌を引く。
・花芽大の胎児の写真示しつつ「心臓ばくばく動いてゐたの」
・地震つよく揺れゐるときもみどりごはいのちの泉深く眠れり
・上目づかひに確かめながら眠りたり腕のなかのいとしきものが
・夕道を帰りゆくなりあゆみが丘の子の家に点る窓の灯胸に
・お腹の子がしやつくりしてゐるわかるのと愛しげに手を当てながら言ふ
・新しき命と出会ひかけがへなき人を失ふ夏のふかみに
・この秋の句点のやうなひとときか何おもふなく砂浜に立つ
・をのこごはわが草傷に唱へたりイタイノイタイノトンデイケ
・月光に照らされゐたる線路ありきどこへ行かうとしたのだらうか
・死は〈かねてうしろに迫れり〉何ひとつ分からぬことを知るのみなのに
・生まれたるばかりのみどりご何ゆゑにまぶしがりゐる眉しかめつつ
・みなどこに行つたのだらう本の背にこの世の名前のこしたるまま
・幼子をあやしゐたりしがほどもなく撃たれき戦場ジャーナリストの女性
・オリオン座のきれいな季節めぐり来ぬ吸ひ込まれさう夜更けの空に
・飛んでしまつた風船を追ひ泣きゐし子腕たくましく四人子の母
ここに引いた歌のように、作者の歌は、地味な、目立たない詠いぶりである。
師事された吉野昌夫氏の歌が、このようであったのか、私には判らない。
ご恵送に感謝して、拙い感想の一文を終わる。 有難うございました。
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