K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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原田マハ 『暗幕のゲルニカ』・・・・・・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

      原田マハ 『暗幕のゲルニカ』・・・・・・・・・・・木村草弥
          ・・・・・・・新潮社2016/03/28刊・・・・・・・

        反戦のシンボルにして20世紀を代表する絵画、ピカソの〈ゲルニカ〉。
        国連本部のロビーに飾られていたこの名画のタペストリーが、2003年のある日、突然姿を消した
        ――誰が〈ゲルニカ〉を隠したのか? ベストセラー『楽園のカンヴァス』から4年。
        現代のニューヨーク、スペインと大戦前のパリが交錯する、知的スリルにあふれた長編小説。
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原田マハは私の愛読する作家である。
先ず新潮社の読書誌「波」2016年4月号から記事を引いておく。

       [原田マハ『暗幕のゲルニカ』刊行記念特集]【インタビュー】
         「暗幕のゲルニカ事件」が伝えたもの      原田マハ

「どうにかしてピカソに挑んでみたい」。そう思ったのは二〇歳のときでした。私は当時関西の大学に通っていました。ちょうどそのころ京都市美術館で大規模なピカソ展があったんです。忘れもしない、一九八三年七月一四日。自分の誕生日にピカソを見て強く衝撃を受け、それが小説『暗幕のゲルニカ』に結実したときにはすでに三〇年以上の時間が流れていました。
 二〇世紀絵画の巨匠、ピカソ。多くの作品の中でも〈ゲルニカ〉は特別な絵です。一九三七年にドイツ軍がスペインの街ゲルニカに行った無差別空爆をモチーフに、パリ万国博覧会のパビリオンの壁画として描かれた巨大な油彩画です。
『暗幕のゲルニカ』を書く直接のきっかけも、やはり実際に起こった出来事でした。〈ゲルニカ〉には、油彩と同じモチーフ、同じ大きさのタペストリーが世界に3点だけ存在します。ピカソ本人が指示して作らせたもので、このうち1点はもともとニューヨークの国連本部の会見場に飾られていました(ちなみに1点はフランスの美術館に、もう1点は高崎の群馬県立近代美術館に入っています)。しかし事件は二〇〇三年二月に起こります。イラク空爆前夜、当時のアメリカ国務長官コリン・パウエルが記者会見を行った際、そこにあるはずのタペストリーが暗幕で隠されていたのです。私はそれを、テレビのニュースで知りました。
 同じ年の六月、スイスのバーゼルで行われた印象派の展覧会を訪れたところ、会場のロビーにそのタペストリーが飾られていたのです! 横には、暗幕の前でパウエル国務長官が演説をしている写真と、展覧会の主催者にして大コレクター、エルンスト・バイエラー氏のメッセージがありました。「誰が〈ゲルニカ〉に暗幕をかけたかはわからない。しかし彼らはピカソのメッセージそのものを覆い隠そうとした。私たちはこの事件を忘れない」と。そしてタペストリーは所有者の意向により、国連本部から他の美術館に移されました。
 結局、誰が暗幕をかけたのかは未だにわかりません。アメリカがイラクに軍を向ける、その演説にそぐわないと考えた何者かでしょう。けれど、その何者かは〈ゲルニカ〉に暗幕をかけることで、作品の持つ強いメッセージを図らずも世界中に伝えることになったのです。
 名画と呼ばれる作品は世界に多くありますが、〈ゲルニカ〉ほどメッセージ性が強くインパクトのある絵画を私は知りません。この作品を実際にマドリッドで見たことがありますが、六〇年以上前のことがなんら色あせず、カンヴァスの中にありました。空爆がまさに今起こったかのような生々しさでした。恐怖を描いて、平和を訴える。絵画なんだけど、ドキュメンタリー。忘れたい、でも忘れてはいけない出来事。〈ゲルニカ〉はそれらの矛盾をすべて内包している――抽象化することで逆にリアリズムを感じさせる傑作だと思います。
 ピカソは決して反戦主義者、平和主義者ではありませんでした。けれども〈ゲルニカ〉は、アートが強いメッセージを持ち、政治や国を動かすこともありうると信じさせてくれる作品です。現代では政治的なモチーフを取り扱う作家はたくさんいますが、彼らはみんなゲルニカの子どもたちだと私は思っています。
 実際は、美術が戦争を直接止められることはないかもしれません。それは小説も同じでしょう。けれど「止められるかもしれない」と思い続けることが大事なんです。人が傷ついたりおびえたりしている時に、力ではなく違う方法でそれに抗うことができる。どんな形でもクリエイターが発信していくことをやめない限り、それがメッセージになり、人の心に火を灯す。そんな世界を、私はずっと希求しています。     (はらだ・まは 作家)
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    [原田マハ『暗幕のゲルニカ』刊行記念特集]
          ピカソをめぐる壮大な美術ドラマ      大森 望

 絵画ミステリーの新機軸と高く評価され、二〇一二年の第25回山本周五郎賞を受賞した『楽園のカンヴァス』。その続編というか、姉妹編にあたる長編が登場した。その名も『暗幕のゲルニカ』。アンリ・ルソーの〈夢〉が焦点だった前作に対し、今回の核はパブロ・ピカソの名画〈ゲルニカ〉。『楽園のカンヴァス』では、若き日のピカソが脇役のひとりとして重要な役割を果たしたが、本書では壮年のピカソが舞台の中央でスポットライトを浴びる。
 物語は、一九三七年四月二十九日、グランゾーギュスタン通りにあるピカソのアトリエ兼住居で幕を開ける。視点人物は、ピカソの若い愛人で、〈泣く女〉など多くの名画のモデルをつとめたことでも知られる写真家のドラ・マール。のちに〈ゲルニカ〉制作過程の写真を撮影し、後世に貴重な記録を残す彼女の目から、〈ゲルニカ〉誕生のドラマとその後の数奇な運命が描かれてゆく。そのタッチは細やかで、ピカソの人となりや息づかいをありありと伝える。

 ピカソが絵を描き出す瞬間は、いつも唐突だった。雑談したり、くだらない冗談を言ったりしたあとに、モデルをほんの数秒間みつめて、さらさらとコンテを、あるいは鉛筆を動かし始める。……気がつくと、世にも不思議な絵ができ上がっている。どこからどう見ても写実的な像ではない、けれどこれ以上ないほどにモデルの特徴を瞬時にとらえ、デフォルメした造形。目をそむけたくなるほど醜くもあり、天上の美しさをも兼ね備えた人物像。

 ピカソは、内戦のさなかにあるスペイン共和国政府の依頼を受け、この年の五月に開幕するパリ万国博覧会のスペイン館のために、壁を埋めつくすほど巨大な新作を描くことになっていた。アトリエに届けられたキャンバスは、約三五〇センチ×七八〇センチ。何を描くべきか思い悩むピカソだが、その朝の新聞がすべてを変える。「ゲルニカ 空爆される/スペイン内戦始まって以来 もっとも悲惨な爆撃――」
 そこから、物語は二〇〇一年九月十一日のニューヨークに飛ぶ。二一世紀側の主人公は、日本出身のピカソ研究者、瑤子。ニューヨーク大学で美術史修士、コロンビア大学で美術史博士号を取得し、三十五歳でニューヨーク近代美術館(MoMA)に採用され花形部門である絵画・彫刻部門でアジア人初のキュレーターとなった(前作の主役のひとり、ティム・ブラウンも、瑤子の上司として登場する)。愛する夫、イーサンはアート・コンサルタント。だが、幸福な結婚生活は、ワールド・トレード・センターを襲った二機の旅客機により、とつぜん断ち切られる……。
 ゲルニカ空爆と9・11テロ、二つの大きな悲劇が対置され、ピカソの〈ゲルニカ〉が第二次大戦とイラク戦争をつなぐ。題名の“暗幕のゲルニカ”とは、ニューヨークの国連本部、国連安全保障理事会の入口に飾られている〈ゲルニカ〉のタペストリーのこと。しかし、二〇〇三年二月、コリン・パウエル米国務長官がイラク空爆を示唆する演説をそこで行った際、くだんの〈ゲルニカ〉は、なぜか青いカーテンと国旗で隠されていた。
 この史実を下敷きに、原田マハは空想の翼を広げ、大胆不敵な物語を紡ぐ。実在の人物が実名で登場する二〇世紀パートと違って、二一世紀パートでは、米国大統領や国務長官も架空の名前に置き換えられ、小説は虚実皮膜の間を縫うように進んでゆく。後半の焦点は、瑤子が企画する「ピカソの戦争」展と〈ゲルニカ〉をめぐる策謀。物語はクライマックスに向かってどんどん加速し、『楽園のカンヴァス』をも凌ぐ壮大な美術ドラマが展開する。驚愕のラストまで目が離せない。 (おおもり・のぞみ 書評家)




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