K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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「夷酋列像」を見る─国立民族学博物館展示・・・・・・・・・・・・木村草弥
アイヌ
中村_NEW
↑ 中村真一郎 『蠣﨑波響の生涯』新潮社 平成4/01/15十刷
アイヌ_NEW
 ↑ 日本史リブレット 浪川健治 『アイヌ民族の軌跡』山川出版社 2016/03/30六刷

──新・読書ノート──

     「夷酋列像」を見る─国立民族学博物館展示・・・・・・・・・・・・木村草弥

かねてネットの上で色々お教えいただいているO君と同道して、上記の展示を一緒に見る機会を得た。 2016/04/16のことである。
もう何年も交友しているのだが、それはネット上のことで、お会いするのは初めてである。
同氏は茨木市に住んでおられ、民博には図書室などに、しょっちゅう通っておられるようで、JR茨木駅で待ち合わせ、バスで万博記念日本庭園前まで行き、庭園内を突き切って民博に至る。
私の次兄・重信が阪大教授と併任で、ここの教授を一時期つとめていたことがある。
私が、これらの絵に接したのは、中村真一郎 『蠣﨑波響の生涯』新潮社 平成4/01/15十刷 の本を読んだのが初めてである。
この本は絵を中心に書かれたものではないが、絵の筆者である「蠣﨑波響」なる人物について書いた精細な、学術的な本である。
箱入りの大部の本で、総ページ数687ページ、厚さ4センチ、定価5000円、私の買ったのは古書だが4200円した。
先ず、『夷酋列像』についてのWikipediaの記事を引いておく。
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『夷酋列像』(いしゅうれつぞう)は、江戸時代後期の松前藩の家老で、画家としても高名な蠣崎波響が、北海道東部や国後島のアイヌの有力者をモチーフに描いた連作肖像画である。

成立の経緯
寛政元年(1789年)5月、国後島とメナシのアイヌが和人商人の酷使に耐えかねて蜂起し、現地にいた70人余りの和人を殺害した。これがクナシリ・メナシの戦いである。
事件を受けた松前藩は260名の討伐隊を派遣したが、その指揮官の一人が蠣崎波響だった。
戦いを鎮圧した後に討伐隊は藩に協力した43人のアイヌを松前城に同行し、さらに翌年の1790年にも協力したアイヌに対する二度目の謁見の場が設けられた。
藩主・松前道広の命を受けた蠣崎波響は、アイヌのうちもっとも功労があると認められた12人の肖像画を描いた。これが「夷酋列像」である。
絵は寛政2年(1790年)11月に完成し、波響はクナシリ・メナシの戦いで失った藩の威信を回復するために絵を持参して上洛する。
大原呑響・高山彦九郎・佐々木良斎の尽力により、夷酋列像は光格天皇の叡覧を仰ぐことになる。

描かれた人物
1.マウタラケ(麻烏太蠟潔) - ウラヤスベツ惣乙名
2.チョウサマ(超殺麻) - ウラヤスベツ乙名
3.ツキノエ(貲吉諾謁) - クナシリ惣乙名
4.ションコ(贖穀) - ノッカマフ乙名
5.イコトイ(乙箇吐壹) - アッケシ乙名
6.シモチ(失莫窒) - アッケシ脇乙名
7.イニンカリ(乙唫葛律) - アッケシバラサン乙名
8.ノチクサ(訥窒狐殺) - シャモコタン乙名
9.ポロヤ(卜羅亜鳥) - ベッカイ乙名
10.イコリカヤニ(乙箇律葛亜泥) - クナシリ脇乙名
11.ニシコマケ(泥湿穀末決) - アッケシ乙名
12.チキリアシカイ(窒吉律亜湿葛乙) - ツキノエの妻、イコトイの母
松前廣長『夷酋列像附録』より

収蔵場所
『夷酋列像』は粉本・模写を含めると6種が存在する。
1.ブザンソン美術館:イコリカヤニを除く11人の肖像に松前廣長の序文2枚が附属する。来歴は不明。
2.函館市中央図書館:ションコ、イコトイの肖像。『御味方蝦夷之図』の名で伝えられる。
3.松浦史料博物館:12人すべての肖像。平戸藩主・松浦静山が松前道廣から原本を借りて、お抱えの画工に模写させたと伝えられる。
4.常楽寺(浜松市):イニンカリ、ノチクサ、ポロヤ、イコリカヤニ、ニシコマチ、チキリアシカイの6人の肖像。住吉派の画家・渡邊廣輝が文化元年(1804年)に模写する。
5.北尾家所蔵:12人すべての肖像。天保14年(1843年)に小島貞喜が模写する。
6.粉本(函館市中央図書館所蔵):波響からその子である蠣崎波鶩に与えられたもの。シモチが欠けている代わりに、人名未詳の者3名の肖像が加わる。北海道指定有形文化財。
なお、北海道新幹線新函館北斗駅構内の連絡通路には地元のロータリークラブが制作した「夷酋列像」の大型の陶板壁画が展示されている。
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明治維新のときには「廃仏毀釈」の風潮が吹き荒れ、古来の貴重な絵画、彫刻が散逸し、多くが外国に売られたりした。
今回の展示の主たる部分をなすのはフランスは「ブザンソン美術館」所蔵の絵などで、今回、里帰りで日本で展示されているもので、日本各地を巡回している
この絵がフランスに所蔵されるようになった経緯ははっきりしないが、フランス人宣教師が幕末に函館で布教していたので、その折に持ち出されたのかも知れない。
今でも函館にはフランス系のカトリック教会が現存する。
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蠣崎 波響(かきざき はきょう)/蠣崎 広年(かきざき ひろとし)は、江戸時代後期の画家、松前藩家老。

生涯
松前藩12代藩主・松前資広の五男に生まれる。13代藩主・道広は異母兄。母は松前藩の家臣・長倉長左衛門貞義の娘・勘子。家老職を継いだ長男・波鶩(広伴)も画家として知られる。
なお、幕末期の家老であった下国崇教も一時期波響の養子であったことがある。
生まれた翌年に父が亡くなり、兄・道広が跡を継いだため、家禄五百石の家老蠣崎家の養子になる。
幼い頃から画を好み、8歳の頃馬場で馬術の練習を見て、馬の駆ける様を描いて人々を驚かせたと伝えられる。
叔父・広長は波響の才能を惜しんで、安永2年(1773年)に江戸に上がらせ、南蘋派の画家・建部凌岱に学ばせた。
間が悪く翌3年に凌岱が亡くなると、師の遺言に従い宋紫石に師事。
天明20年(1783年)20歳の時松前に戻り、この年の冬から大原呑響が約一年松前に滞在し、以後親交を結ぶ。波響と号したのはこのころからである。
寛政元年(1789年)のクナシリ・メナシの戦い(寛政蝦夷蜂起)で松前藩に協力したアイヌの酋長を描いた『夷酋列像』(函館市中央図書館に2点所蔵。1980年代にフランスのブザンソン市立美術館で「夷酋列像」11点が発見)を翌年冬に完成させ、これらが後に代表作とされる。
寛政3年(1791年)3月に同図を携え上洛、『夷酋列像』は京都で話題となり、光格天皇の天覧に供され、絵師波響の名は一時洛中で知られた。
円山応挙につき、その画風を学び以後画風が一変する。文化4年(1807年)、幕府が北海道を直轄地にしたため、松前家は陸奥国伊達郡梁川藩に転封され、波響も梁川に移った。
文政4年(1821年)、松前家が松前に復帰すると、波響も翌年松前に戻り、文政9年63歳で没した。

画の門弟に、継嗣の波鶩のほか・高橋波藍・高橋波香・熊坂適山・熊坂蘭斎などがいる。

交友
画人では円山応挙を始め、岸駒、四条派の松村呉春、皆川淇園等と、文人では漢詩人菅茶山や六如、橘南谿、伴蒿蹊等と生涯を通じ交流があった。
また木村兼葭堂を通じ、大名家では増山正賢や松浦静山等と交流した。京都をたびたび訪れ、温和な性格で社交的な波響は歓待された。
また梁川に転封となった頃は度々江戸を訪れ、酒井抱一や俳人松窓乙二などとも交流している。

森鴎外は『伊澤蘭軒』で波響を紹介している。地元では度々展覧会が催されたが、全国的に知られたのは中村真一郎『蠣崎波響の生涯』からである。
自筆資料は函館市立図書館に所蔵されている。
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絵をすべて載せることは出来ないので、いくつか取捨して紹介する。

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↑ 「イコトイ」像
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 ↑ 「マウタラケ」像
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↑ 「ノチクサ」像
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 ↑ 「ツキノエ」像
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この展示に関連して私の畏敬するブログ友O君が、彼のブログ「竹林の愚人Ⅲ」に記事を載せているので参照されたい。
アイヌ_NEW
↑ 今回の展示内容を解説したパンフレット

展示をざっと見たあと、ランチを摂って、みんぱくゼミナール「夷酋列像を考える」を聴講。   
   開催時間:13:30~15:00(開場:13:00)
   場所:国立民族学博物館 講堂
    講師:右代啓視(北海道博物館学芸主幹)
       内田順子(国立歴史民俗博物館准教授)
       日髙真吾(国立民族学博物館准教授)

以下、少し見にくいかもしれないが、講義内容のレジュメを画像で出しておく。  ↓
アイヌ①
アイヌ②
アイヌ③
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O君が、これについての記事や写真を FB ←リンクになっています。クリックしてください。 に公開されたので、覗いてみてください。楽しい半日だった。
いろいろお世話になり感謝いたします。



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