
湧きいづる泉の水の盛りあがり
くづるとすれやなほ盛りあがる・・・・・・・・・・・窪田空穂
信州の松本在に明治10年に生れた窪田空穂は、高等小学校の時、二里ほど離れた松本市の、早い時期に建てられた洋風建築で名高い開智学校に通った。その通学の途中に広い柳原があり、奥に泉が湧いていた。少年は、夏の日、泉のほとりの青草に寝そべり、ごぼごぼと湧き止まぬ泉の語る言葉に魅せられて、時の経つのも忘れることが多かった。この歌は後年になって、その思い出を詠んだものだが、そのかみの泉は、この歌の中で、作者がこの世を去った今も、こんこんと湧きつづけている。
空穂は90年の生涯に19冊の歌集を編み、「万葉集」「古今集」「新古今集」全評釈の偉業を残した。結社「まひる野」主宰。東京専門学校(早稲田大学)卒。早稲田大学名誉教授。昭和42年没。子息は同じく早稲田大学教授の窪田章一郎。大正7年刊『泉のほとり』所載。
私の住むあたりも、昔は打ち抜き井筒から、勢いよく清水が湧き出る所だった。こういう井筒を詩歌では「噴井」(ふきい)という。この頃では、地下水の汲み上げ過ぎからか、こういう「自噴」する井筒を見かけない。みなポンプで汲み上げる。だから田圃などでも細い水路に足踏みの水車などがあったものだが、今では全く見かけない。
以下、空穂の歌をいくつか書き抜きたい。
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夢くらき夜半や小窓をおし開き星のひとつに顔照らさしむ
鉦鳴らし信濃の国を行き行かばありしながらの母見るらむか
麦のくき口にふくみて吹きをればふと鳴りいでし心うれしさ
獣かとわが身思ほゆ日に照りて林も空も真青きを行き
かはたれと野はなりゆけど躍り落ち井堰の水のひとり真白さ
人呼ぶと妻が名呼べり幾度をかかる過ちするらむ我れは
円(つぶら)なる瞳を据ゑてつくづくと我れ見る子かな其の母に似て
生れかへり歌は詠まめと言道も曙覧もいひぬかなしやも歌は
鳴く蝉を手握りもちてその頭をりをり見つつ童走(は)せ来る
腹太の身重の目高は今日明日に目高の母とならむとすらし
松蔭に丹頂の鶴二羽ならび一羽静かにあなたに歩む
平安のをとこをんなの詠める歌をんなはやさしきものにあらず
測りがたき世に生くる身かたちまちに昼を夜となし夏の雹ふる
しきりにも瞬(まばたき)をする翁ゐて鏡の中より我を見おろす
桜花ひとときに散るありさまを見てゐるごときおもひといはむ
妻が蒔きし椿の実椿の木となりて濃紅(こべに)白たへ花あまた咲く
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2首目の歌は母を送る葬送の歌として空穂の絶唱として有名な歌である。
9首目の歌は「じーじー」と鳴く蝉を手に握って、疾走して来る子供が、途中で気になって、何度も見ながら駈けてくる、という精細な写生がぴったり決った秀歌である。情景が目に浮かぶようだ。
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「泉」の適当な写真が手元にないので、噴水の写真で代用した。手に入れば差し替えたい。
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