K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
201705<<123456789101112131415161718192021222324252627282930>>201707
デュフィの海のやうなる空にさやぎ欅若葉は一会のさみどり・・・・・・・・・・・・・・島田修三
bin070326191301009デュフィ「波止場」

      デュフィの海のやうなる空にさやぎ
         欅若葉は一会(いちゑ)のさみどり・・・・・・・・・・・・・・島田修三


梅雨が上って、いよいよ照りつける太陽の季節が巡ってきた。
青葉、若葉が萌える時期である。
この島田修三の歌は、そんな季節の一風景をトリミングして見事である。『シジフォスの朝』(砂子屋書房01年刊)
掲出した画像は、デュフィ「波止場」である。

ラウル・デュフィについてWeb上から記事を引いておく。

ラウル・デュフィ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ラウル・デュフィ(Raoul Dufy, 1877年6月3日 ~ 1953年3月23日)は、野獣派に分類される19世紀~20世紀期のフランスの画家。「色彩の魔術師」20世紀のフランスのパリを代表するフランス近代絵画家。

画風
アンリ・マティスに感銘を受け彼らとともに野獣派(フォーヴィスム)の一員に数えられるが、その作風は他のフォーヴたちと違った独自の世界を築いている。デュフィの陽気な透明感のある色彩と、リズム感のある線描の油絵と水彩絵は画面から音楽が聞こえるような感覚をもたらし、画題は多くの場合、音楽や海、馬や薔薇をモチーフとしてヨットのシーンやフランスのリビエラのきらめく眺め、シックな関係者と音楽のイベントを描く。 また本の挿絵、舞台美術、多くの織物のテキスタイルデザイン、莫大な数のタペストリー、陶器の装飾、VOGUE表紙などを手がけ多くのファッショナブルでカラフルな作品を残している。

生涯
1877年 北フランス、ノルマンディーのル・アーヴルの港街に 貧しいが音楽好きの一家の9人の兄弟の長男として生まれる。父親は金属会社の会計係で、才能ある音楽愛好家。教会の指揮者兼オルガン奏者。母はヴァイオリン奏者。兄弟のうち2人はのちに音楽家として活躍。家計を助けるため14歳でスイス人が経営するコーヒーを輸入する貿易会社で使い走りとして働くためにサン・ジョセフ中学校を離れる。後にル・アーヴルとニューヨークを結ぶ太平洋定期船、ラ・サヴォアで秘書をする。
1895年 18歳のときに美術学校ル・アーヴル市立美術学校の夜間講座へ通い始めた。生涯愛したモチーフとなるル・アーヴルの港をスケッチ。右利きのデュフィは技巧に走り過ぎることを懸念し、左手で描いた。学校の友人フリエスらと共にアトリエを借り彼らとアーブル美術館でウジェーヌ・ブーダンを模写。ルーアン美術館でニコラ・プッサン、ジャン=バティスト・カミーユ・コロー、テオドール・ジェリコー、ウジェーヌ・ドラクロワを学ぶ。
1898年~99年 兵役 戦争から戻り病身でヴォージュ地方のヴァル・ダジョルに滞在
1900年 兵役の1年の後にル・アーブル市から1200フランの奨学金を得て23歳のときに一人故郷を離れパリの国立美術学校エコール・デ・ボザールへ入学。モンマルトルのコルトー街で暮らす。レオン・ボナのアトリエで学ぶ。ジョルジュ・ブラックと学友だった。印象主義の画家クロード・モネ、ポール・ゴーギャン、フィンセント・ファン・ゴッホ、カミーユ・ピサロなどに影響を受ける。
1902年 ベルト・ヴェイルを紹介されて、彼女のギャラリーにパステル作品を納入。
1903年 アンデパンダン展に出品。
1905年 アンリ・マティス、マルケと知り合い、アンドレ・ドラン、モーリス・ド・ヴラマンク、パブロ・ピカソなどの若いアーティストの作品をサロン・デ・ザンデパンダンを見てフォービズムに関心を向けリアリズムに興味を失う。
1906年 ベルト・ヴェイル画廊で個展を開く。
1907年 34歳の時に結婚。生活の為、木版画の制作を始める。
1908年 ブラックとレスタックで制作。セザンヌ風様式を採用。フォービズムから離れていく
1909年 フリエスとミュンヘンに旅行。
1910年 ギヨーム・アポリネール と親交を結ぶ
1911年 当時豪華王と呼ばれたファッション・デザイナーのポール・ポワレと知り合う。彼との仕事で木版刷りで布地のテキスタイルデザインをプティット・ユジーヌ工場で創る。アポリネールの動物誌の木版挿絵を制作。
1912年 フランスのシルク製造業を率いたリヨンのビアンキーニ・フェリエ商会とデザイナー契約を結ぶ。
1913年 南仏イエールに滞在。
1914年 第一次世界大戦が起こり陸軍郵便事業に従事。
1917年 翌年まで、戦争博物館の図書室員となる。
1918年 ジャン・コクトーの舞台デザインを手がける。
1919年 ヴァンスに滞在。
1920年 パリに戻りモンマルトルのジョルジュ・ブラックの近所に居を構える。
1922年 フィレンツェ、ローマ、シチリアに旅行。
1925年 「シャトー・ドゥ・フランス」シリーズが国際装飾美術展で金賞
1936年 ロンドンに旅行。
1938年 パリ電気供給会社)の社長の依頼でパリ万国博覧会電気館の装飾に人気の叙事詩をフレスコ画の巨大壁画「電気の精」を描く。イラストレーターと兼アーティストとしての評判を得る。多発性関節炎発症。ポール・ヴィヤール博士は、デュフィの主治医
1943年~44年第二次大戦中はスペイン国境に近い村に逃れて友人と共に暮らす
1945年 ヴァンスに滞在。
1950年~52年 リューマチのコーチゾン療法を受けるために米国のボストンへ。
1952年 ヴェネツィア・ビエンナーレの国際大賞を受賞。
1953年3月23日にフランス、心臓発作のためフォルカルキエにて死去。75歳没。ニース市の郊外にあるシミエ修道院墓地に埋葬される。

代表作
サンタドレスの浜辺(1906 年)(愛知県美術館)
海の女神(1936年)(伊丹市立美術館)
電気の精(1937年)(パリ市立近代美術館)長さ60メートル、高さ10メートルの大作
三十年、或いは薔薇色の人生(パリ市立近代美術館)

画集
小学館ウィークリーブック 週間美術館 ルソー/デュフィ 小学館
ユーリディス・トリション=ミルサーニ著 太田泰人訳 デュフィ 岩波世界の巨匠 岩波書店
島田紀夫 千足伸行編 世界美術大全集 第25集 フォービズムとエコールド・パリ 小学館
ドラ・ベレス=ティピ著 小倉正史訳 デュフィ作品集 リブロポート

収蔵
オルセー美術館
ポンピドーセンター
パリ市立美術館等の有名美術館
大谷美術館
国立西洋美術館
石橋財団ブリヂストン美術館
愛知県美術館
メナード美術館
三重県立美術館
島根県立美術館
大原美術館
ひろしま美術館
鎌倉大谷記念美術館
青山ユニマット美術館
ブリヂストン美術館
--------------------------------------------------------------------------
島田修三は、こういう人である。

島田 修三(しまだ しゅうぞう、1950年8月18日 - )は、歌人、日本古典研究者、愛知淑徳大学学長。

神奈川県生まれ。歌誌「まひる野」所属。1975年横浜市立大学文理学部日本文学専攻卒業、1982年早稲田大学大学院博士課程中退。専攻は万葉集。
愛知淑徳大学文化創造学部教授、副学長を経て、2011年学長。短歌は窪田章一郎に師事。
現・角川短歌賞選考委員。

受賞歴
2002年、『シジフオスの朝』で第7回寺山修司短歌賞受賞。
2008年、『東洋の秋』で第6回前川佐美雄賞受賞。
2009年、『東洋の秋』で第9回山本健吉文学賞短歌部門受賞。
2010年、『蓬歳断想録』で第15回若山牧水賞受賞。
2011年、『蓬歳断想録』で第45回迢空賞受賞。

著書
晴朗悲歌集 砂子屋書房 1991
離騒放吟集 砂子屋書房 1993
東海憑曲集 ながらみ書房 1995
風呂で読む近代の名歌 世界思想社 1995
古代和歌生成史論 砂子屋書房 1997
短歌入門 基礎から歌集出版までの五つのステージ 池田書店 1998
島田修三歌集 砂子屋書房 2000(現代短歌文庫)
シジフオスの朝 歌集 砂子屋書房 2001
「おんな歌」論序説 ながらみ書房 2006
東洋の秋 歌集 ながらみ書房 2007
蓬歳断想録 短歌研究社 2010

コメント
コメント
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
トラックバック URL
トラックバック
copyright © 2017 Powered By FC2ブログ allrights reserved.