K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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蓮の葉は静かになりぬ戦いにさやぎて死にし兵のごとくに・・・・・・・・・・・・・・・香川進
a0019858_2277睡蓮②

     蓮の葉は静かになりぬ戦いに
         さやぎて死にし兵のごとくに・・・・・・・・・・・・・・・香川進


今日八月六日は広島に原子爆弾が投下された日である。 その鎮魂の日に因んで、この歌を載せる。
掲出の歌は『角川現代短歌集成』③巻から引いたが、初出は歌集『湖の歌』(84年刊)。
香川進については ← リンクに張ったところなどを参照されたい。
私も一時、彼の主宰する短歌結社「地中海」に席を置いていたことがあり、その「地中海」誌に一年弱ほど彼の自由律の第一歌集『太陽のある風景』について記事を載せたことがあるが、今は纏まっては引き出せないので失礼する。
香川の活躍したのは塚本邦雄や岡井隆らの活動した「前衛短歌」運動に対して、いわば「前衛狩り」を強行したことで知られている。
これは彼一存ということではなく、そういう前衛の運動に対する「短歌界」の保守派の委任を得たような形ではなかったか。
当時、私はまだ歌壇には関係しておらず、事情には詳しくはないが、むしろ関係が無かったからこそ、今となっては客観的に見られると思うのである。
「前衛狩り」は、角川書店発行の月刊誌「短歌」の編集長に山本友一や片山貞美などを送り込むなどの画策の前面に出たのが香川進であったらしい。
今となっては、いろいろの事実が明らかにされているので調べられたい。
毎年一月半ばに皇居で催される「歌会始」の行事の選者や召人として一時香川進が参列していたが、その頃は一種の批判勢力だった岡井隆が、今や、その中心メンバーとして人選などを牛耳っているようであり、世はまさに隔世の感がある。今や会に招かれる人の顔ぶれを見ると専ら岡井隆の息の掛かっている人ばかりと言える様相である。

a0019858_22541睡蓮

『角川現代短歌集成』③巻には「蓮」「睡蓮」の項にいくつか歌が出ているので、それを引いておく。(出典は省略)

   冲(むな)しきが若(ごと)くしあれと念じけむ墨もて描く蓮(はちす)白花・・・・・・・片山貞美

   睡蓮の円錐形の蕾浮く池にざぶざぶと鍬洗ふなり・・・・・・・・・・・・・・・石川不二子

   水上の雅歌の如しも睡蓮の花ことごとく発光すれば・・・・・・・・・・・・・・山下雅人

   大賀ハス水のうえしげく咲きほこるその下いかに根っこの修羅場・・・・・・・・・・加藤隆枝

   長江のほとりゆ来たる乾草の中より拾ふ蓮実四つ・・・・・・・・・・・・・石川不二子

   睡蓮の葉はなまけもの水面にひつたりと青き己れを伸べて・・・・・・・・・・・・・奥村晃作

   花びらを散らすことなく身を閉じて睡蓮水に帰りゆきたり・・・・・・・・・・・・・陣内容子

   陶酔はきみだけでない睡蓮がぎつしりと池に酔ひしれてゐる・・・・・・・・・・・・・前川佐重郎

   睡蓮の閉ぢて色濃き花びらに明日も開かむ明るさのあり・・・・・・・・・・・・・・林三重子

   交配をみづから拒む蓮の話今朝の思ひのすがすがしけれ・・・・・・・・・・・・・・大河原惇行

a0019858_194529花蓮②

今日、八月六日は、広島に原爆が落とされた日である。
今日は朝から慰霊の行事が例年通り行われる。
今日一日、犠牲者を偲ぶとともに、過去に人間が犯してきた「間違い」を思い起し、平和の意味を問い直したいものである。
掲出した香川進の歌も、それを思い出す「よすが」にしたいからである。
私の「意」のあるところを汲んでもらいたい。



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