
薮入や彩あでやかにアロハシャツ・・・・・・・・・・・・・・・・・・吉田北舟子
「やぶいり」というのは、旧暦の7月16日に奉公人が休暇をもらって家に帰り親に会うことが出来る日である。
正月16日にも薮入りがあるので、この日を「後の薮入り」というのが正式である。
掲出の絵は大阪の記念館で展示する薮入りのひとコマで、お内儀に頭を下げて丁稚が帰ってゆくところである。
昔は奉公人の休みは1カ月に一日、十五日の二日だけであり、年端の行かない幼い丁稚たちにとって、親に会えるのは、一年に「薮入り」の日二回だけだった。
と言っても遠方から勤めに来ている者にとっては、それもままならぬことだったろう。

二番目の写真も展示の商家の風景である。
関西では、今でも8月16日は「薮入り」の日と呼ぶ。丁稚たちの実家帰りの風習は薄れたので、他所に暮らしている子供たちが家に帰ってくる日とされる。
もっとも、今では、こんな風に日を決めて帰ってくるというのではなく、勤務先の休暇の都合や土曜、日曜に引っ掛けて帰ってくるのが普通である。
それでも「今日は薮入りやなぁ」と言ったりする。
先に書いたように8月15日のお盆前後は、日本の特異日であって、民族の大移動の時期で、その中に「薮入り」の日も含まれる。

三番目には、これも直接に関係はないが、昔の台所には、こういう「かまど」があったということで出してみた。
京都では「へっつい」さん、などと呼ぶ。
日本は八百万の神さんの居る国だから、「かまど神」も当然いるわけで、朝晩には灯明をあげ、ご飯を供えるのである。
──中元ということについて──
もともとは、中国の「三元」という考え方があり、上元が1月15日。中元が7月15日。下元が10月15日と称した。
元というのは「はじめ」のことで、一年を三分して考えたのである。
本来は天の神を祀る中国の風習が、かの地でも、中元は節供にあたるものとなり、それが日本に入って贈答習俗と変わったのである。
「中元」という言葉自体が変化してしまい、「お中元」という贈答の中元になってしまった。
8月は、本当に行事が多くて、書くことはいろいろあるので、今回は「薮入り」と「中元」の二つを同時に書くことになった。
以下に「薮入り」と「中元」の句を引いて終りにしたい。
薮入や皆見覚えの木槿(むくげ)垣・・・・・・・・正岡子規
薮入して秋の夕を眺めけり・・・・・・・・松瀬青々
薮入り子の窺ふや萩薄・・・・・・・・松瀬青々
薮入の姉の下駄履き野菊摘む・・・・・・・・南南浪
薮入に実生の桐の育ちかな・・・・・・・・菊地赤水
盆礼に忍び来しにも似たるかな・・・・・・・・高浜虚子
盆礼やひろびろとして稲の花・・・・・・・・高野素十
中元や老受付へこころざし・・・・・・・・富安風生
中元の使患者にまじり来る・・・・・・・・五十嵐播水
母居ぬ町に手受けて中元広告紙・・・・・・・・中村草田男
中元の新聞広告赤刷に・・・・・・・・上野泰
中元や萩の寺より萩の筆・・・・・・・・井上洛山人
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