K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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をみなへしそよろと咲きて賞でらるるをとこへしの茎逞しかりき・・・・・・木村草弥
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  をみなへしそよろと咲きて賞(め)でらるる
     をとこへしの茎逞しかりき・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


「おみなえし」は古来、秋の七草の一つで、詩歌にもよく詠まれて来た。
『万葉集』に

   手に取れば袖さへ匂ふをみなへしこの白露に散らまく惜しも

という歌があり、その風情が詩歌のテーマになって来た。女性のやさしさ、なまめかしさを思わせる花である。
写真①は接写したもので、生えているオミナエシの全体像は写真②の方が自然に近い。
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小野頼風を愛した女が、頼風の心がわりを恨み、八幡川に身を投げて死ぬが、その衣が朽ちて、オミナエシになったという伝説があり、謡曲「女郎花」にもなっている。
女性の恨み、嘆きを表す花とも言える。
私の方の庭にも二株いまオミナエシが咲き誇っている。私の歌は第二歌集『嘉木』(角川書店)に載せたものである。
歌の中に「オトコエシ」が対象として出てくるが、この草も同じオミナエシ科の多年草である。
『万葉集』に

  秋の野に今こそ行かめもののふのをとこをみなの花匂ひ見に・・・・・・・・大伴家持

というのがある。男郎花と書くがオミナエシと対比させて詠まれている。
以下、オミナエシ、オトコエシの花を詠んだ句を引いておく。

 ひよろひよろと尚露けしやをみなへし・・・・・・・・松尾芭蕉

 霧深き野のをみなへしここに挿す・・・・・・・・山口青邨

 をみなへし又きちかうと折りすすむ・・・・・・・・山口青邨

 夕冷えの切石に置くをみなへし・・・・・・・・日野草城

 壺の花をみなへしよりほかは知らず・・・・・・・・安住敦

 をみなへしといへばこころやさしくなる・・・・・・・・川崎展宏

 女郎花月夜のねむり黄にまみれ・・・・・・・・六角文夫

 女郎花揺れ合ふ霧の船つき場・・・・・・・・岩城のり子

 相逢うて相別るるも男郎花・・・・・・・・高浜虚子

 藁屋一つ祈るかたちの男郎花・・・・・・・・丸山海道

 これやこの富士の裾野のをとこへし・・・・・・・・村松ひろし

 不退転とは崖に咲くをとこへし・・・・・・・・鷹羽狩行

IMGP0548オトコエシ
参考までに「オトコエシ」の花を出しておく。
そして「葉」は、こんな感じ。 ↓ オミナエシに比べると、葉がとても大きい。下の方の葉は、もっと大きく、そして深く裂ける。
IMGP0549オトコエシ葉

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「をみなへし」の歌としては、下記のようなのがある。ネット上の「古今和歌集の部屋」から引いておく。


朱雀院の女郎花あはせの時に、女郎花といふ五文字を句のかしらにおきてよめる

439 をぐら山 峰たちならし 鳴く鹿の へにけむ秋を 知る人ぞなき ・・・・・紀貫之

たちならし ・・・ 足で土地を平らに均す(ならす)ほど頻繁に行き来して (立ち均す)
410番の業平の 「かきつばた」の歌と同じく、各句の先頭の文字をつなげると「をみなへし」になるという折句(おりく)の歌であるが、この歌が何故、物名の部に入れられているのかは不審である。
確かに折句は一字づつ散らした隠し題であるとも言えるが、それにしては物名に含まれる折句の歌はこの貫之の歌一つだけである( 468番に僧正聖宝の 「は」ではじまる 「る」で終わる歌というのが採られているが、それは同時に 「ながめ」の隠し題も含んでいる)。

先行する友則の二つの女郎花の歌( 437番と 438番)からのつながりとも言えるが、その二つ自体があまり出来がよいものとは思われないので、まるでこの歌の前振りのようにしか思えない。
秋歌下に紛れ込ませてもよさそうなものだが、撰者たちの感覚では、これは物名の部類であるということだったのだろう。
422番の藤原敏行の 「うぐひす」、453番の真静法師の 「わらび」の二つの歌とはまた違った意味で、この歌は物名の部の中の例外と考えられる。

歌の意味は、小倉山の峰を均すほど行き来して鳴く鹿が過ごしてきただろう秋を知る人はいない、ということ。 「そうして秋を過ごしてきた鹿の気持ちを知る人はいない」という意味である。

歌の中では 「たちならし」という言葉が気になる。この歌では 「鳴く」とあるので 「たち鳴らし」のように見えるがそうではなく、一般的には上記のように 「たち均し」と解釈されている。
1094番の 「さがみうた」にも 「こよろぎの 磯たちならし」とあり、「峰」も 「磯」も足で平らに均すには固すぎるような気もするが、一種の慣用句としておくのが妥当か。
「たち習し」であるという説もあるが、それだとじっと立っているようなイメージがあるので、「頻繁に行き来する」という意味が欲しいために 「たち均し」の方の説が優勢になったものであろう。

貫之には 「をぐら山-鹿-声-秋」と似た言葉を使った次の歌があり、この歌は、それを元にしているように見えるが作成時期の前後はわからない。
「鹿」を詠った歌の一覧は 214番の歌のページを参照。

312 夕月夜 小倉の山 に 鳴く鹿の 声 の内にや 秋 は暮るらむ

さて、詞書にある 「朱雀院の女郎花あはせ」とは宇多上皇が朱雀院で催した歌合であり、その時の女郎花の歌が古今和歌集の秋歌上に七つ集められている。
そのうち五つが古今和歌集の撰者三人のものである。貫之の歌は次の一つ。

232 たが秋に あらぬものゆゑ 女郎花 なぞ色にいでて まだきうつろふ

躬恒の歌は次の二つ。

233 つま恋ふる 鹿ぞ鳴くなる 女郎花 おのがすむ野の 花と知らずや

234 女郎花 吹きすぎてくる 秋風は 目には見えねど 香こそしるけれ

忠岑の歌は次の二つ。

235 人の見る ことやくるしき 女郎花 秋霧にのみ 立ち隠るらむ

236 ひとりのみ ながむるよりは 女郎花 我が住む宿に 植ゑて見ましを

ただし、古今和歌集で 「朱雀院の女郎花あはせ」の時の歌とされているもののうち、現存する「亭子院女郎花合」に載っているものは三首のみ(上記の躬恒の 234番、忠岑の 235番、そして藤原時平の 230番)である。
この八首中三首という数は微妙であるが、一応 「朱雀院の女郎花あはせ」=「亭子院女郎花合」と見てよさそうである。
そして 「亭子院女郎花合」が昌泰元年(=898年)という記を持つので、「朱雀院の女郎花あはせ」は898年の秋に催されたものとされる(宇多上皇=朱雀院=亭子院)。

この貫之の 「をぐら山 」も「亭子院女郎花合」に載っていない歌だが、「亭子院女郎花合」には「これはあはせぬうたども」という前書きがあって、二種類の言葉遊びの歌が記録されている。
一つは 「をみなへしといふことを句のかみしもにてよめる」歌で、

折る花を むなしくなさむ 名を惜しな てふにもなして しひやとめまし
折る人を みなうらめしみ なげくかな 照る日にあてて しもにおかせじ

というようなものである。 「をみなてし」となっているのは 「へ」ではじまり 「へ」で終わるものは難しかったからか、発音が似ていたからか。
もう一つは 「これはかみのかぎりにすゑたる」というタイプのもので、この貫之の歌と同じ趣向である。

尾の上は みな朽ちにけり なにもせで へしほどをだに 知らずぞありける
をぜき山 みちふみまがひ なか空に へむやその秋の 知らぬ山辺に
折り持ちて 見し花ゆゑに なごりなく てまさへまがひ しみつきにけり

これも三つ目が 「をみなてし」となっている。これらと比較すると貫之の 「をぐら山」の歌がだいぶ引き立って見える。
恐らく古今和歌集で選ばれた他の物名の歌のうしろにも、こうした感じの歌が大量にあったのだろう。

秋歌上には十三、そして雑体には四つの女郎花の歌があるが、それらはすべて初句か三句目で 「女郎花」という名詞単体で使われている(「亭子院女郎花合」の中でも五十一首中、例外は一つしかない)。
好まれた花とはいえ、古今和歌集の中に限っても、すでにマンネリ化していると言えるだろう。折句や物名(隠し題)は、その流れから外れてみたいという試みとも感じられる。

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