K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
201709<<12345678910111213141516171819202122232425262728293031>>201711
戻りたる太陽の彩まぶしかり「トラキア人の墓」も明るむ・・・・・・・木村草弥
800px-Reproduction_of_Thracian_tomb_1トラキア壁画

     ■戻りたる太陽の彩(いろ)まぶしかり
       「トラキア人の墓」も明るむ・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

      ■シプカ村に鄙びし聖歌ひびくとき
         バルカン山脈晴れて果てなし・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るもので「皆既日蝕」──ブルガリア1999年8月11日──という一連11首のところに収録したものであり、
丁度、二十世紀最後という皆既日蝕に同地で遭遇した記念すべき作品群である。
掲出歌だけでなく現地の背景説明のためにつづく歌も出しておく。

私は当時まだ現役で仕事をしていたので、1999年のお盆休みを利用してJTBのツアーに乗っかって、ルーマニア・ブルガリアの旅に参加した。
丁度、その期間中に20世紀最後と言われる皆既日蝕に遭遇することになった。
もちろん私の旅は皆既日蝕を見るのが目的ではなかったのだが、現地の新聞などは、その報道一色だったことを思いだす。

ブルガリアでは「バラの谷」と呼ばれる地方に行った。
ここは広大なバラ畑がひろがり、バラ油が生産されているところ。
歌集の注書にも書いたが、ここで産するバラ油は世界シェア80%を占めるものである。
その辺りはシプカ村と称するが、その一角に「トラキア人の墓」の遺跡が存在する。
オリジナルの墓は現在、保存のため封印され、一般には非公開であり、その代わりに隣に忠実に再現したコピーを建ててあり、見学できる。
写真①は、そのコピーの古墳の内部に残る壁画の様子。

 ↓ 写真②はコピーの外部の建物。
bg-trakia-tombトラキア人墓

 ↓ 写真③は、その墓の内部の入り口付近である。
bg-trakia-in1トラキア墓コピー入り口

「トラキア人」と言われても、世界史の本にも余り出てこないことだが、トラキア人の名が歴史に登場するのは、ギリシアのヘロドトスの本によるという、もともとはユーラシア大陸の騎馬民族である。
ネット上ではGoogleで検索するとブルガリア科学アカデミー考古学研究所の記事の中で「トラキア人と魂の不滅」というディアーナ・ゲルコーヴァの論文などが見られるので参照されたい。
Googleでは「トラキア人」と検索すると多くの情報が載っている。

このコピーだが、忠実に再現された墓はBC4世紀ごろに造られた古墳で、中は大人4人しか入れない狭い空間。
しかし、そこには洗練された壁画の世界が広がっていた。
古墳は丘の上にあり、付近は公園になっている。1944年、軍が防空壕を掘っていて偶然に発見された。
その壁画はトラキア人が残した最大の遺産として、ブルガリアの誇りになっている。
壁画のなかで重要なのは、写真①に見るように、主室の葬送の様子を描いたものである。
丸天井に円環状に描かれ、中央に3台の戦車、その外側に多くの男女や馬車がある。
あの世に先だつ夫と、これを見送る夫人との決別の場と解釈されている。
トラキア人は、みな自らの意志によって死ぬことに敬意を払い、中には死者の魂が滅することなく、生存中よりも一層祝福されると信じたという。
この場所は、ブルガリア北部のカザンラク近くのシプカ=シェヨノボ地区である。
ルーマニアから国境を越えて、すぐの所。

ここの壁画の保存とコピー展示の様子を見ると、いま奈良県の高松塚古墳で問題になっている保存と公開のことが思い浮かぶが、
ここでも、このような方法を採用したらよいのである。
日本人はオリジナルを現地で保存し、かつ公開するのにこだわるが、オリジナルを破損してしまっては元も子もなくなるではないか。
トラキア人の墓だけでなく、アルタミラの洞窟などでも、オリジナルは非公開にして厳重に保存し、一般にはコピーを公開している。
世界的には、そういう趨勢なのである。



コメント
コメント
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
トラックバック URL
トラックバック
copyright © 2017 Powered By FC2ブログ allrights reserved.