K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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朱しるく落ちゆく夕日ゆゑもなく「叱られて・・・」の唄くちずさみゐつ・・・・・・・・木村草弥
taiyou084夕日本命

    朱(あけ)しるく落ちゆく夕日ゆゑもなく
         「叱られて・・・」の唄くちずさみゐつ・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るものである。
歌の意味は、夕日を眺めていて「ゆゑ」=理由もなく「叱られて」の唄が浮かんできたというものである。
そんな経験は誰にでもあるのではないか。

kokoronouta-sikararetehirota2弘田龍太郎

「叱られて」の唄は、清水かつら作詞、弘田龍太郎作曲になるものである。写真②は弘田。
この唄は大正9年(1920年)に、清水かつらの歌詞とともに雑誌『少女号』に発表された。
現代の子供たちには、はるか昔の大正時代の村はずれの寂しさなど想像も出来ないだろう。
夕暮れともなれば灯ひとつない小径は薄気味悪いくらいに、ひっそりと静まりかえっている。ひとり家路を急ぐ自分の足音だけが、なぜかやたらに大きく聞こえる。

弘田龍太郎の曲は、詩のもつ情感をそのまま表現することに成功した。
弘田は、明治25年(1892年)高知県安芸市生まれ。
写真③は郷里に建つ「叱られて」の歌碑。

shika叱られて歌碑

ここで、この唄の歌詞を書き抜いておく。

katura2清水かつら
 ↑ 清水かつら

 「叱られて」─────清水かつら

   ①叱られて
    叱られて
    あの子は町まで
    おつかいに
    この子は坊やを
    ねんねしな
    夕べさみしい
    村はずれ
    コンときつねが
    なきゃせぬか

   ②叱られて
    叱られて
    口には出さねど
    目になみだ
    二人のお里は
    あの山を
    越えてあなたの
    花の村
    ほんに花見は
    いつのこと

この歌詞から判ることは、この子たちは、年端もゆかないのに、「山のあなたの、花の村の里」から奉公に出されて来ている少女だということである。子守りや雑用に少女たちが携わっていたのである。

清水かつら、のことは、先に彼の写真だけ出しておいたが、ネット上には次のように載っている。
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 清水かつら
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

清水かつら(しみず かつら、1898年(明治31年)7月1日~ 1951年(昭和26年)7月4日)は男性詩人。
本名は、清水桂。特に童謡詩人として知られる。

生涯
本名は清水桂。東京深川生まれ。4歳で生母と父は離縁し、12歳で継母を迎え、本郷区本郷元町に住み、父と継母に育てられた。

京華商業学校(現在の京華商業高等学校)予科修了後、青年会館英語学校に進学し、1916年(大正5年)合資会社中西屋書店(書籍・文具店、東京市神田区表神田2番、後に丸善が吸収)出版部へ入社した。 中西屋書店は少年・少女向けの雑誌を刊行するため「小学新報社」を創設し、かつらは、少女雑誌「少女号」(1916年(大正5年)創刊)や「幼女号」「小学画報」を編集した。編集者には、鹿島鳴秋(「浜千鳥」「金魚のひるね」作詞者)や山手樹一郎がいた。

編集の傍ら童謡の作詞を始め、関東大震災で継母の実家に近い埼玉県白子村・新倉村(現・和光市)に移り、ここで生涯を送った。

1927年(昭和2年)小学新報社を退社。

1933年(昭和8年)-1943年(昭和18年)の間、花岡学院の講師となる。

1951年(昭和26年)7月4日に、「酒が飲めなくなったら終りだ」とつぶやいて、享年53で永眠。同年7月11日に、文京区本駒込の吉祥寺で音楽葬が行われ、弘田龍太郎や中山晋平の弔辞の後、ビクター児童合唱団と音羽ゆりかご会が「靴が鳴る」を斉唱、最後に四家文子が「叱られて」を歌った。

墓所は、文京区本駒込の吉祥寺。

主な作品
戦前
靴が鳴る(1919年(大正8年)9月11日作曲、「少女号」同年11月号に発表、弘田龍太郎作曲)
叱られて(「少女号」1920年(大正9年)4月号に発表、弘田龍太郎作曲)
あした(「少女号」1920年(大正9年)6月号に発表、弘田龍太郎作曲)
雀の学校(1921年(大正10年)12月7日作曲、「少女号」1922年(大正11年)2月号に発表、弘田龍太郎作曲)

戦後
みどりのそよ風(1946年(昭和21年)、草川信作曲) - 新時代を象徴するような明るい曲で、現在も人気が高い。

作品集
『清水かつら童謡集』 上笙一郎、別府昭雄 編、海沼実 解説(ネット武蔵野、2008年3月) ISBN 4944237464
存命中も含めて、かつら唯一の作品集。
歌碑など [編集]
東武東上線和光市駅前に、「みどりのそよ風」、「靴が鳴る」、「叱られて」の歌詞が刻まれた歌碑がある。

東武東上線成増駅の南口に「うたの時計塔」(主な作品に掲げている5作品に、「浜千鳥」を加えた楽曲が流れる。1976年(昭和51年)8月8日設置。)、北口に「みどりのそよ風」碑、アクトホール外壁に「雀の学校」の楽譜と歌詞を刻んだプレートがある。
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蛇足的に書いておくと、私の子供の頃は、私の育った農村の村の中の道を、明け方にキツネが「ギァー」と鳴いて通ったりしたものである。
この詩で「コンときつねが」と書いてあるし、キツネが「コン」と鳴くというのは、よく見る表現だが、キツネは「コン」とは鳴かない。
キツネは犬科の動物なので、どちらかというと犬に近い鳴声といえよう。ただし「ワンワン」とは鳴かない。
私が子供の頃に戸外で鳴く声を聞いたのは、先に書いたが「ギャー」というものであった。
農村でも「子守り」を雇えるのは地主などの富裕層だけであった。多くの農民は地主さんの土地を耕す「小作農」であった。
戦後、マッカーサーの指令で「農地解放」の政策が執られたので、その後、もう60年の年月が経つから、地主と小作人との関係などについても、
日本人の大半は、何らの知識も体験もない始末である。
第一、都市生活者が多くて、彼らは農村については、何も知らないのが実情であるから、何をや言わん、である。
こんなことを書くつもりはなかったのだが、「この子」「あの子」は、「哀しい」子たちであり、ほだされて、つい筆がすべってしまった。
この辺で終わりにしよう。





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