K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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八十の少年にして曼珠沙華・・・・・・・・・・・・高島茂
aaoohiganb3ヒガンバナ大判
高島茂

   八十の少年にして曼珠沙華・・・・・・・・・・・・高島茂

この句は高島茂の遺句集である『ぼるが』(卯辰山文庫刊)の巻末に「原風景」(遺句11句)として載るものである。
今の晩夏から初秋の句として惹き出せる句が意外と少なく、この一連を引くことにする。
高島茂は平成11年8月3日に亡くなった。行年79歳であった。

彼については何度も書いたので繰り返さないが、当該記事のリンクを見てもらいたい。
掲出の写真は句集『ぼるが』の巻頭に載るものをスキャナで取り込んだが私の腕が未熟なので鮮明でないが、ご了承ねがいたい。
高島茂筆跡0001

写真②は、同じく句集『ぼるが』の表紙裏から「見開き」にかけて載る彼の「筆跡」である。
几帳面な、かっちりとした字が彼の性格を表すように原稿用紙の升目に並んでいる。

以下、掲出句を含む一連を引いておきたい。
なお、原文の漢字は「正字体」で書かれているが、私の独断で「新」字体に変えさせてもらったので、ご了承願いたい。

 原風景(遺句11句)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・高島茂

雷鳴が腹中に棲み駆け狂ふ

つつがなく腹中を涼風ふきぬけよ

手を籠にして蕾の翁草ながめけり

黄華に咲きゐしきすげ寒風たつ

はまなすの紅実のこりて海猫遠し

崖に一羽の海鵜声なきは淋しかりし

八十年顧みしことありおぼろなり

八十の少年にして曼珠沙華

踏まれ鬼に青い蜘蛛来て糸を巻く・・・・・(七月二十一日)

 □

黒牛の地を蹴る時は戦詩興る

白牛の地にまろびしは平和なりし・・・・・(七月二十三日)
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これらの作品は高島茂の死後、ご子息で結社を引き継がれた高島征夫氏が句帖から引かれたものだが、
死の床にあって、彼の脳裏にさまざまのことが去来したのが、よく判るのである。
はじめの二句などは、体の中に取りついた死霊が惹き起こす「騒擾」との戦いを句に表現したようにも受け取れる。
「戦い」という表現は不適切かも知れない。もはや一種の「諦観」みたいなものが漂っているから、
「せめて苦しまずに死なせてくれよ、病よ」ということかも知れない。
「八十年顧みしことありおぼろなり」「八十の少年にして曼珠沙華」の句からは、幼い頃の回想が、走馬灯のように脳裏を駆け巡っている様子がみてとれる。
掲出句のように、八十になっても心は依然として「少年」なのである。
私自身が、いまや八十を超えた年齢に達しているので、彼の心中が手にとるように判る気がするのである。
終りの二句は一種の「対」句のようになっていて「戦争と平和」ということを「黒牛」と「白牛」という対比によって表現されたのであろう。
書かれるように戦争中には「戦詩」が「興っていた」ことがある。今となっては、その善悪を云々するのは止めたほうが良さそうである。
「いまわの際」になっても高島茂という優れた俳人は、詩人としての「性」(さが)を示されたと思う。
敬服に価いする立派な最期だった。
その後を継承された、ご子息の征夫氏も亡くなられた今となっては、うたた感慨新たなるものがある。


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