K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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あらざらむこの世のほかの思ひ出にいまひとたびのあふこともがな・・・・・・和泉式部
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──<恋>の歌鑑賞──

   あらざらむこの世のほかの思ひ出に
        いまひとたびのあふこともがな・・・・・・・・・・・・・・・和泉式部


『後拾遺集』巻13・恋に「心地例ならず侍りけるころ、人のもとにつかはしける 和泉式部」として見える歌で、病のため不安を感じ、ある男性に送った歌なのだが、
何よりも『百人一首』中の名歌として、あまねく知られている。

歌の意味は「自分は病気が重くなって、命は長くないかも知れない。「この世のほか」である「あの世」に移ってからの思い出のために、せめてもう一度あなたにお会いしたい、会ってください、ぜひとも」との思いをこめて男に贈った歌である。贈られた相手が誰であるかは判らない。
図版は狩野探幽が描いた百人一首のための和泉式部像である。
izumi和泉式部画探幽

和泉式部は23歳で和泉守(いずみのかみ)橘道貞と結婚し、翌年には娘・小式部をもうけたが、道貞が仕える太皇太后宮(冷泉帝皇后)が病気療養の「方たがえ」のため、太皇太后宮の権大進でもあった道貞の家に移り、そのままそこで崩御されたことから式部の運命は狂った。太皇太后宮のもとへ、異母子の為尊親王(冷泉帝第三皇子)が見舞いに訪れるうち道貞の妻・式部と知るところとなったためだ。親王22歳、式部は27歳くらいだったらしい。この情事はたちまち評判になった。道貞は妻を離別し、式部の父も怒り悲しんで娘を勘当する。ところが、為尊親王は24歳で夭折される。式部は悲嘆にくれるが、運命は彼女のために更に数奇な筋書きを用意していた。亡き親王の弟・帥宮敦道(そちのみやあつみち)親王が新たに式部に言い寄り、彼女もまもなくその恋を受け入れたからである。当時、敦道親王は23歳、式部は30歳くらいだったらしい。親王はすでに結婚していたが、年上の恋多き女・和泉式部にうつつをぬかし、彼女を自邸の一角に移り住まわせる。親王の妃は屈辱に耐えず邸を去った。年若い男の恋の激しさは異常なもので、式部の方も、この眉目秀麗な皇子を深く愛した。
しかし式部はこれほどの仲だった敦道親王にも、4年あまり後に先立たれる。式部は悲しみの底から恋の尽きせぬ思い出によって染めあげられた悲歌を124首にものぼる多くの歌を詠んだ。

     捨て果てむと思ふさへこそ悲しけれ君に馴れにしわが身と思へば

     鳴けや鳴けわが諸(もろ)声に呼子鳥呼ばば答へて帰り来(く)ばかり

     たぐひなく悲しきものは今はとて待たぬ夕のながめなりけり

だが、このような深い嘆きを詠いながらも、彼女は男に寄り添わねば居られなかったし、男たちもまた言い寄ったらしい。女として、よほど魅力があったのだろう。
一条天皇の中宮・彰子に仕えたのはその後のことだった。紫式部、赤染衛門らも同僚であった。
ある日、中宮の父・藤原道長が、彼女の扇に戯れに「うかれ女(め)の扇」と書いたことがあった。
平安朝の、一種、自由恋愛過剰とも言うべき時代ではあっても、時めく権力者から「うかれ女」の異名を奉られるのはよほどのことで、彼女の生き方が周囲からどれほどかけ離れていたかを鮮明に示すエピソードだろう。

     枕だに知らねばいはじ見しままに君語るなよ春の夜の夢

この歌は、彼女が予想もしない時に言い寄られ、枕さえない場所で「春の夜の夢」のように短い、しかし激しい逢引をした後、男に贈った歌だ、と窪田空穂は解釈している。
醜聞を嫌って「君語るなよ」と言わずにおられなかったほどの情事であり、また思いがけない相手であったと思われる。
しかし、そのように男から男へ遍歴を重ねても、彼女の生の渇きそのものだったと言えるほどの十全な恋への夢は、満たされることがなかったようだ。
恋によって傷つき、その傷を癒そうとして新たな恋に走る。得体の知れない苛立ちのような不安が、和泉式部の歌の中で、暗い命のほむらとなって燃えているように見える。
そういう意味で、次の有名な歌は和泉式部の心の本質的な暗さを象徴しているような歌である。男に忘れられて、鞍馬の貴船神社に詣でたときに作ったものという。

     もの思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂(たま)かとぞ見る

古代以来のものの考え方からすると、魂が肉体を遊離することは「死」を意味する。
和泉式部は恋を失うことが、そのまま自らの死を意味するほどの激しさで、恋に生の完全な充足を求めた女性だったらしい。しかし、現実には、そのような要求に応え得る男は居なかった。
恋に身を焼かれながら、ついに魂の満たされることのなかった彼女の叫び──それが彼女の歌である。

     如何にせむ如何にかすべき世の中を背けば悲し住めば住み憂し

     とことはにあはれあはれは尽すとも心にかなふものか命は

この引き裂かれた心の嘆きは、遠い平安朝の女の歌とは思えない現実感をもって私たちに迫ってくるものがある。


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