
嵯峨菊が手花火のごと咲く庭に
老年といふ早き日の昏(く)れ・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るもので、自選にも採っているのでWebのHPでもご覧いただける。
今日は「嵯峨菊」について書く。
写真は、いずれも嵯峨菊の色違いである。



嵯峨菊は、嵯峨天皇の御代、嵯峨御所の大沢池の菊ケ島に自生していた野菊を、永年にわたって、王朝の気品ある感覚を持ったものに洗練し、
「天、地、人」の微妙な配置が仕立てあげた,格調高い菊である。
嵯峨菊は一鉢に三本仕立て、草丈は殿上から鑑賞するのに丁度よい高さの約2メートルに仕立てられる。
花は「弥彦作り」というが、先端が3輪、中程に5輪、下手に7輪と、七五三に。
葉は下部を黄色、中程は緑、上りの方は淡緑というようにして、春夏秋冬を表すことになっている。
花弁は平弁で54弁。長さは約10センチが理想とされ、色は嵯峨の雪(白)、右近橘(黄)、小倉錦(朱)、藤娘(桃)などの淡色が多く、あまり混植をしない。
大覚寺では、毎年11月に一般公開し、多くの参観者の目を楽しませている。
先に書いた「弥彦作り」などの菊作りの作法は、他の菊でも採用されているそうであり、嵯峨菊独特の作り方と、汎用の作り方と、併用されているようである。
もちろん私は菊作りにも素人であるから、間違いがあれば指摘してもらいたい。
掲出した私の歌も、嵯峨菊に仮託して「老年」というものの悲哀を詠ったもので、嵯峨菊そのものを詠んだものではないことを言っておきたい。
このように写真を見てくると、菊作りにかけた異常とも思える情熱を知るのである。
世上の現象に囚われず、些末的とも見えることに情熱を傾けた人々があったからこそ、嵯峨菊の今日があると知るべきなのだろう。
京都は、紅葉の美しい所も多く、それらもひっくるめた歴史的遺産のおかげで、11月になると入洛客で、一年中で、最も混むシーズンとなる。
ホテル、旅館は、この期間は予約で満室である。
以下、菊を詠んだ句を少し引いて終る。
虫柱立ちゐて幽か菊の上・・・・・・・・高浜虚子
腹当の紺のゆゆしき菊師かな・・・・・・・・野見山朱鳥
菊咲けり陶淵明の菊咲けり・・・・・・・・山口青邨
乱菊を垣に代へゐて御師の宿・・・・・・・・森田峠
菊提げて行きいつまでも遠ざかる・・・・・・・・山口誓子
大雅堂墓畔の黄なる菊畑・・・・・・・・石原八束
最後まで厚物咲の弁減らず・・・・・・・・三橋敏雄
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