K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺・・・・・正岡子規
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     柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺・・・・・・・・・・・・・・・・正岡子規

この句は多くの人の口に愛唱されるもので広く知られている。今や「古典」となった感じがある。

この句については、下記のようなエピソードがあるのである。

     < 正岡子規は夏目漱石に俳句を教えていたそうで
       漱石は、愛媛の新聞に俳句を投稿しています。

          鐘つけば銀杏ちるなり建長寺

       この漱石の作品を讃えようとして感謝と友情の印に
       子規が作った作品が

          柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺

       下敷きとなる句があったとは面白いもんです。 >

このいきさつについては、ネット上に次のような記事がある。引いておこう。
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坪内稔典氏いわく

「鐘をついたらはらはら銀杏が散るというのは,これ,寺の風景として平凡です。はっとするものがありません。」
「「柿くへば鐘が鳴る」は意表を突く。あっと思うよ。」
(『俳人漱石』坪内稔典(岩波新書,2003年))

 正岡子規自身,次のように書いています。

「柿などヽいふものは従来詩人にも歌よみにも見離されてをるもので,殊に奈良に柿を配合するといふ様な事は思ひもよらなかつた事である。
余は此新たらしい配合を見つけ出して非常に嬉しかつた。」
(「くだもの」明治34年)

 坪内稔典氏いわく

「子規の代表句は,漱石との共同によって成立した。それは愚陀仏庵における二人の友情の結晶だった。」

 「愚陀仏庵」とは,松山における漱石の住まいのことです。子規は,ここに50日余り暮らしていました。つまり,漱石と子規がいっしょに住んでいたのです。
 「柿くへば…」は,子規が松山から東京へ帰る途中,奈良に立ち寄ったときに作られました。この奈良行きが,子規にとっては最後の旅となりました。この後7年間,子規は病床に伏し,ついには亡くなるのです。
 この旅の費用を貸したのが漱石でした。つまり,「柿くへば…」は,元ネタも費用も漱石に頼っているわけです。

「個人のオリジナリティをもっぱら重んじるならば,子規の句は類想句,あるいは剽窃に近い模倣作ということになるだろう。だが,単に個人が作るのではなく,仲間などの他者の力をも加えて作品を作る,それが俳句の創造の現場だとすれば,子規のこの場合の作り方はいかにも俳句にふさわしいということになる。」
(『柿喰ふ子規の俳句作法』坪内稔典(岩波書店,2005年))
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学校の教科書にもでてくるこの著名な句には「法隆寺の茶店に憩ひて」と前書きがついています。
明治二十八年十月、病後の体を休めていた松山を立って、子規は上京の途につきます。
途中須磨・大阪に寄って奈良に入りました。大阪では腰が痛み出し歩行困難になりましたが医師の処方で軽快し、念願の奈良に赴いたのです。
このときの腰痛は、脊椎カリエスによるものだったようですが、本人は、リウマチと思っていました。
奈良の宿で「晩鐘や寺の熟柿の落つる音」とまず詠みました。奈良という古都と柿との配合に子規は新鮮さを感じたようです。
この句の改案が上掲の「柿くへば」です。この鐘の音は実際には東大寺の鐘だったようですが、翌日法隆寺に行って、
東大寺とするより法隆寺とした方がふさわしいと思って、そう直したということです。
子規は写生の唱導者ではあっても事実通りの体験に固執したわけではないのでした。
評 者 村井和一  「現代俳句協会」のホームページより
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松尾芭蕉の「虚構」の句作りについては前に書いたことがある。
「リアリズム馬鹿」には堕したくないものである。

「柿」は日本原産と言われるが、16世紀にポルトガル人によってヨーロッパに渡り、その後アメリカ大陸にも広まった。
今では世界中「KAKI」で通用する。学名もDiospyros Kaki という。
パーシモンはアメリカ東部原生の、ごく小さなアメリカガキを指すので、日本の柿とは種が違う。
パーシモンというと、ゴルフをやる人には懐かしい名前でウッドクラブのヘッドには、このアメリカガキの硬い木が使われて来た。
今ではメタルウッドが全盛だが、パーシモンで打った時の打球音は特有の響きがあった。Powerbiltという名器があった。
柿は日本原産とは言うが、一説には、氷河期が終わった後に、中国から渡来したらしく、縄文、弥生時代の遺跡から種が出土し、時代が新しくなるほど量が増えるそうだ。
今のような大きな柿は奈良時代に中国から渡来したらしい。
中国では3000年前から柿があったそうで、BC2世紀の王家の墓から多数の柿の種が出土している。その頃は干し柿として保存していたようだ。

kaki006柿の花
写真②は柿の花である。白い花で五月下旬頃に咲く。
先に「干し柿」のことも詳しく書いたので、参照してもらいたい。
柿には「甘柿」と「渋柿」があり、干し柿は渋柿の皮を剥いて天日にあてて甘く変化させたものである。
渋柿は、結構種類が多くて、全国各地の独特の干し柿がある。
以下、柿を詠んだ句を引いて終る。

 よろよろと棹がのぼりて柿挟む・・・・・・・・高浜虚子

 渋柿のごときものにては候へど・・・・・・・・松根東洋城

 我が死ぬ家柿の木ありて花野見ゆ・・・・・・・・中塚一碧楼

 柿の竿手にして見たるだけのこと・・・・・・・・池内たけし

 雲脱ぐは有明山か柿赤し・・・・・・・・水原秋桜子

 柿を食ふ君の音またこりこりと・・・・・・・・山口誓子

 柿日和浄明寺さまてくてくと・・・・・・・・松本たかし

 渋柿たわわスイッチ一つで楽(がく)湧くよ・・・・・・・・中村草田男

 柿啖へばわがをんな少年の如し・・・・・・・・安住敦

 朝の柿潮のごとく朱が満ち来・・・・・・・・加藤楸邨

 柿食ふや命あまさず生きよの語・・・・・・・・石田波郷

 柿の種うしろに吐いて闇ふかし・・・・・・・・秋元不死男

 柿うまし鶫の嘴あとよりすすり・・・・・・・・皆吉爽雨

 八方に照る柿もぐは盗むごと・・・・・・・・中川輝子

 吊鐘の中の月日も柿の秋・・・・・・・・飯田龍太

 柿の冷え掌にうけて山しぐるるか・・・・・・・・鷲谷七菜子

 少しづつ真面目になりて柿を食ふ・・・・・・・・山田みづえ



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