K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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家毎に柿吊るし干す高木村住み古りにけり夢のごとくに・・・・・久保田不二子
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     家毎に柿吊るし干す高木村
        住み古りにけり夢のごとくに・・・・・・・・・・・・・久保田不二子


「高木村」は長野県諏訪郡下諏訪町高木。作者の久保田不二子は同地で生まれ、昭和40年79歳で没した。
同じ高木村の久保田家の養子・俊彦、つまりアララギ派歌人の島木赤彦と結婚し、みずからも「アララギ」に参加している。

彼女は本名・ふじの、であり、赤彦(旧姓・塚原俊彦)はもともと彼女の姉・うた、と結婚したのだが、明治35年に死去したため、義妹の「ふじの」と再婚したものである。
赤彦の上京中は一緒に東京に出て暮らしたこともあるが、赤彦は病を得て帰郷、そこで病没した。
彼女は生涯の大部分を、この故郷で過ごすことになる。
「吊るし柿」は初冬の山村の風物詩、その柿がいたる所に吊るされている故郷の村で「住み古りにけり夢のごとくに」と詠んでいる。
「夢のごとくに」というところに、若くして赤彦と死別して79歳まで故郷に生きつづけた感慨が出ている。調べは滑らかだが、思いは深い。
『庭雀』所載。

参考までに赤彦の旧居・「柿蔭山房」 ← のリンクを貼っておくので参照されたい。

私が敬慕する自由律歌人で、同じ下諏訪町にお住まいの光本恵子さんにお聞きしたところ、下記のようなメールをいただいたので転載しておく。 ↓

< 久保田不二子については、先妻(うた)の子である政彦を育て、さらに自分(不二子)と赤彦との間に3男2女を育てた。政彦は1917年に十八歳で死去。
不二子との長男の建彦には、私の夫の垣内敏広が伊那北高校時代に漢文の先生として習ったと言っています。
次男の夏彦さんには私もお目にかかったことがあります。
赤彦は先妻のうたさんのことをあまりに愛していたので、再婚した不二子さんは哀しい思いをされたようですね。
二人で養鶏所をなさっていたころはよかったのでしょうか。
まあ赤彦は大正15年に50歳で亡くなり、不二子さんは昭和40年(1965年)まで長く生きられたので、子供様は教師として、お母様を守ったのでしょうね。
高木は我が家から割と近いです。昔の甲州街道筋にあり、赤彦の暮らした柿蔭山坊は多くの人が今も訪ねます。またお出かけください。私がご案内させて戴きます。 >

島木赤彦については ← を参照されよ。

「吊るし柿」と言っても、さまざまな柿の形がある。写真②は丸い形の柿である。

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私の方の南山城地方の柿は「鶴の子」柿といって大振りでない砲弾形の柿である。
専門的に作る農家では竹や杭で骨組みを立ち上げ、菰などで周りを囲い、風通しは良くした素通しの「柿屋」というものに柿を吊るさずに、藁で編んだ菰や莚の上に平らに並べて干す。
柿を剥く時に、柿の「蔕」(へた)も取り去る。「古老柿」ころ柿と称している。
冷たい風が吹きすぎるようになると、順調に白い粉のふいた干し柿になるが、気候が暖かいと、よい製品が出来ないという。
自家消費の場合は量が限られているので、納屋の窓の外などに「吊るし柿」にして陽にあてることが多い。
以下、吊るし柿を詠んだ句を引いて終りにしたい。

 吊し柿すだれなしつつ窓を占む・・・・・・・・和知清

 吊し柿作りて老婆いつまで生く・・・・・・・・長井哀耳

 干柿を軒に奥美濃雪を見ず・・・・・・・・塩谷小鵜

 甘柿の粉を吹く風の北となる・・・・・・・・梅田久子

 軒端より起れる恵那や柿を干す・・・・・・・・大橋桜坡子

 干柿や同じ日向に猫がゐて・・・・・・・・榎本虎山

 夜空より外しきたりぬ吊し柿・・・・・・・・八木林之助

 干柿の緞帳山に対しけり・・・・・・・・百合山羽公


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