K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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笠原真由美歌集『幻想家族』・・・・・・・・・・木村草弥
笠原_NEW

──新・読書ノート──

     笠原真由美歌集『幻想家族』・・・・・・・・・・木村草弥
            ・・・・・現代短歌社2016/10/07刊・・・・・・・

笠原真由美さんは1960年の生まれで東京の短大の国文科を出られ、2012年に光本恵子さん主宰「未来山脈」に入って会員になられた。
下諏訪町立図書館に勤務していて、2002年頃「口語の短歌の作り方」と題して話す光本を聴講したのが、短歌に接するきっかけだったようである。
この本には「序」として10ページにわたって光本恵子が詳しく述べている。
この文章は、この本の要約として的確なもので過不足がなく、私が此処に改めて書くことは何もないのであるが、そう言ってしまっては実も蓋もないので少し書いてみたい。

読書や音楽やサッカーの松本山雅FCを愛する笠原さんだが、そういう豊富な読書や音楽鑑賞などが身に付いていることが読み取れる。
この歌集では、彼女の一代記が時系列ではなく、かつ過去形ではなく現在形で綴られる。
故郷の信州を出て東京の大学を出て就職し、会社で経理の仕事をしていて、あと帰郷して、同じ中学校の彼と結婚するが、彼の生家は精密機械の工場を経営していた。
そんな葛藤が「Ⅱ幻想家族」に描かれる。彼女が題名とした一章である。だから私は此処に並ぶ50首の歌に彼女の思いが凝縮している、と思うのである。

 *優雅ね、と言われて優雅に暮らしてみせる ジャスミンの影に幻想家族
 *リビングにレース模様の影ゆれて 失望のなかの幻想家族
 *ネクタイは色別にして収納する その赤い実を食べてはいけない
 *四人家族在るべきかたちにととのえて もう求めるな、人生は私物
 *見ぬふりをしてきたものたち一斉に衣ぬぎすてて襲いくる春
 *冷たいね、と言われてこたえる「そうかもね」 手放しはしない幻想家族

その後に並ぶ歌からも読み取れるように、彼女が今もこの「幻想家族」というものに捉われていると、私は言うつもりはない。
彼女は「あとがき」の中で、こう書く。
  <「本当の話がしたい」と、いつも思っていた。・・・・>
  <私はようやく長年の精神的酸欠状態から脱し、深い呼吸ができるようになった。>
  <この歌集のなかには二十代から五十代までの“わたし”がいる。>
  <光本恵子先生はいつも私に「短歌があれば生きられます」と言う。>

ここに「幻想家族」の域を脱して辿りついた彼女の「今」が語られている。

ここで、一般的には余り触れられないことだが、「詩句」としての日本語の「韻律」のことを書いてみたい。
上古から日本語の韻律は、さまざまに試みられてきた。
それらは五音、七音の繰り返しによる「音数律」の創造として結実した。
それらは「和歌」定型詩として今に至るまで機能している。
「口語短歌」を標榜する非定型の歌とて例外ではない。「散文」と「詩」との違いは、どこにあるのか。それは「韻律」─美しい詩としての「調べ」があるかどうか、であろう。
だから現代の口語短歌と言えども、この韻律を無視できない。限りなく「五音」「七音」の流れに「沿う」ものが美しい。
笠原さんの作品に即して見てみよう。

 リビングに/レース模様の/影ゆれて/ 失望のなかの/幻想家族
 ネクタイは/色別にして/収納する/ その赤い実を/食べてはいけない
  四人家族/在るべきかたちに/ととのえて/ もう求めるな、/人生は私物

いま便宜的に歌の区切りを入れてみた。見事に五音、七音の韻律に近いものにまとまっている。だから「美しい」。流麗である。
私は此処に彼女の豊富な読書の裏付けを感じるのである。
短歌は「詩」である。「日常」とは違う。「非日常」であるから、歌を詠むときには工夫が要る。
笠原さんの歌からは、そういうことを深く感じ取ることが出来て秀逸である。
ついでに書いておくと「その赤い実を/食べてはいけない」 「もう求めるな、/人生は私物」などのフレーズは、見事に詩句と化している。

この歌集を読んでいて気付くことに独特の「ルビ」が付られていることである。
例えば、「花群」─むれ。 「削除して」─けして。 「家庭」─いえ。 「背後」─せなか。 「起立つ」─たつ。 「坂道」─さか。 「現在」─いま。 
これらを読んだときに違和感があったが、じっくりと見てみると、先に私が書いた韻律を整えるための「読み」であることに気づいたが、その良し悪しについては人それぞれだろう。

先に書いたように「序」の光本恵子の文章に主たる要約は尽きているが、私の好きな歌をいくつか引いて終わる。

 *わけもなく岬という字に憧れる 果てない私の脱出願望
 *雨に顔を打たれ銀色の空を見る 無数の粒になり私は消える 
 *“ママ”だから私は帰る丘の上 ライラックの香のまつわる家に
 *叱られて「ニセモノのママはあっちいけ!」と泣いた息子がスーツを着る
 *名古屋風味噌おでんにて地酒を呑む 夫の学生時代聴きつつ
 *樹影ゆれ鳥のひと啼きに風炉点前が一瞬止まる 和敬清寂
 *丘の上から光る湖を見わたして人生と和解した ここで生きてゆく
 *山雅が好きアルウィンが好きそれだけで名も知らぬ人と二時間話した
 *東京ヴェルデイ戦にかけつけた山雅サポーターが京王線をジャックする
 *この手から叩き落とされた台本を冬野に拾う まだ終われない
 *短歌はいい 読めば似た人を見つけられる 一緒に泣ける
 *フォーマット作業を託すものとしてハイドロアクアを飲んでいる朝
 *ちがう生き方もあったのだろう 高地に生まれて蛇行する川を知らず
 *みずうみにヨットを教える君がいて光ふくらみまた夏がくる
 *はつ夏の光のなかにキンレンカが晴ればれと咲く 逢えてよかった

多くの歌が並んでいるので佳い歌を漏らしたかも知れない。 お詫びする。
豊かな才能に恵まれた作者の今後の精進に期待して、ご恵贈の御礼を申しあげて筆を置く。 有難うございました。



 
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