K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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日動画廊扉の把手は青銅の女体にて腰のくびれをつかむ・・・・・阿木津英
CHR_6029ピエール
↑ 「クリスティン・ピエール展」から──パリ日動画廊ホームページより

──東京風景いくつか──

   ■日動画廊扉の把手は青銅の
      女体にて腰のくびれをつかむ・・・・・・・・・・・・・・・・・阿木津英


日動画廊(にちどうがろう)は1928年創業の洋画商。日本国内の洋画商としては、最も歴史があるとされる。
店の名前の由来は、最初の画廊は日本橋の高島屋の近くだったが、立ち退きをせまられ、旧日本動産火災保険会社の粟津社長の好意で敷金、家賃なしで西銀座の新築ビルの1階に日動画廊を出すことになる。
日本動産火災が日動火災と呼ぶようになるのは、その後のこと。
HPを見ると、系列に名古屋、福岡、フランスのパリ、軽井沢、茨城県の笠間日動美術館がある。ギャラリーは銀座にあり、今の所在地は銀座5-3-16。
毎年作家の個展を開催している。現在まで多数の作家たちを輩出してきた伝統ある画廊とされる。
取り扱い作家は油彩、彫刻、版画を主に、内外の物故・現役作家あわせて数百名になる。
関連するネット上を閲覧すると、こんな記事があった。

<日動画廊の長谷川智恵子副社長が2009年11月19日、フランス大使公邸で行われた叙勲式で、レジオン・ドヌール勲章オフィシエに叙されました。
長谷川智恵子氏は夫の長谷川徳七氏(日動画廊社長、1998年芸術文化勲章コマンドゥール受章)とともに、フランス美術を印象派から近代、現代美術に至るまで日本に広く紹介し、国内多数の美術館のコレクション形成に貢献したほか、笠間日動美術館(茨城県笠間市)の創立にも尽力しました。>

今の社長は長谷川徳七というらしい。

私の記事をご覧になった光本恵子さんから、次のようなメールをもらったので感謝して、披露しておく。 ↓

< 日動画廊の長谷川氏の先祖が鳥取県の赤碕の出身で、その関係で赤碕の港に三度笠の石彫ができました。
それは神戸の港のメリケン波止場にも同じ人の作品で「海援隊」の石彫があります。
作品紹介には、
「著名な彫刻家・流政之氏が「波しぐれ三度笠」というタイトルで制作した彫刻で、日本海に映えるすばらしい景色をつくり出している。」
と書かれています。 
赤碕の菊港(明治の半ばまで千石船が通っていた港――私は幼い頃この港で泳いでいました)の丸石で組んだ防波堤の先端にこの彫刻があります。
この地は日本海でも最もたくさんの墓地が日本海に沿って「花見潟墓地」があります。それは見事な墓地です。司馬遼太郎の書いたものの中にもあります。 >

光本恵子さんも、ここ赤碕のご出身である。

掲出の阿木津英の歌は、店のドアの把手が青銅製の「女体」だとして、その腰のくびれをつかむことになるのを、巧みにエロチックに表現して秀逸である。

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   ■電脳に追いたてられてふらふらの
        僕は歩くよ夜の地下鉄・・・・・・・・・・・・・・・・・・栗明純生


この人は確か「銀座短歌会」というところに所属する若手の都会派歌人である。
写真は「地下鉄博物館」に展示される丸の内線301号車と奥は銀座線1001号車である。以下は、その説明。

<未だファンの多い丸ノ内線の真っ赤な車両。いくつかは払い下げになり個人で所有している方もいらっしゃるとか。
そんな人気の真っ赤な300型車両は、どんな活躍をしてきたのでしょうか。
博物館では、車内に入ると窓に映写機で映し出された開通当時から博物館に納められるまでの映像を見ることが出来ます。>

   ■地下鉄の赤き電車は露出して東京の眠りしたしかりけり・・・・・・・・・・・・・・前登志夫

この歌も青春の日々に過ごした東京を偲んで作られている。奈良・吉野山住みだったが先年亡くなった。

   ■大江戸線地下ふかぶかと降りゆくに青きあやかしかケータイ光る・・・・・・・・・・・・小島熱子

大江戸線が開通して、もう数年になるが、それまで不便だったところが大変便利になった。
後発の路線ということで、走る深度はとても深いから、駅について地上にでるのに急角度のエスカレータに延々と乗ることになる。
そのエスカレータの速度が遅いのでイライラする。こんなときに思い出されるのがロシア・モスクワの地下鉄のエスカレータの速さである。
ここも地下深いので、必然的にエスカレータが速くなったものだろう。各駅もそれぞれ装飾的で、個性があって面白い。
東京で一番新しい地下路線は「りんかい線」だろうか。ここも便利になって埼京線川越まで直通で行ける。
私は京都人なので、東京には時たま行くだけで詳しくないので、間違いがあったら訂正してほしい。

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    ■鶯も通ったろうかうぐいすだに 
      かつて東京は川と谷と武蔵野の森だった・・・・・・・・・・・・光本恵子


鶯谷駅は大ターミナルである上野駅の隣に隠れて影が薄く、都区内のJR駅の中でもとりわけ地味で小規模である。
それを裏付けるかのように、山手線の駅ではいちばん乗降客数が少ない。
駅の西側は上野の山で、寛永寺の墓地になっている。
東側は市街地だが、なぜかラブホテルが密集している。駅ホームから眺めても、ラブホテルばかりが目につく。
こんなにも駅からラブホテルが見える駅も珍しい。

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   ■「笹の雪」の暖簾(のれん)のかたる昔もあって
            根岸の里の入り陽の朱・・・・・・・・・・・・・・・・・梓志乃


「根岸」というと正岡子規が住んでいたところで、今は台東区になっているが、ここには私は、まだ行ったことがない。
古い家並などが残っているのだろうか。この歌からは、そんな気配も感じられるのだが。。。。
ネット上に載る記事によると、この「子規庵」のあるのは「笹の雪」の看板のある辺りらしい。そこで聞けば判ると書いてある。
Wikipediaに載る記事を引いて終りたい。
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俳句・短歌の改革運動を成し遂げた子規は、近現代文学における短詩型文学の方向を位置づけた改革者として高く評価されている。

俳句においては、所謂月並俳諧の陳腐を否定し、芭蕉の詩情を高く評価する一方、江戸期の文献を漁って蕪村のように忘れられていた俳人を発掘するなどの功績が見られる。
またヨーロッパにおける十九世紀自然主義の影響を受けて写生・写実による現実密着型の生活詠を主張したことが、俳句における新たな詩情を開拓するに至った。

その一方で、その俳論・実作においてはいくつかの問題を指摘することもできる。
俳諧におけるゆたかな言葉遊びや修辞技巧を強く否定したこと。
あまりに写生にこだわりすぎて句柄のおおらかさや山本健吉の所謂「挨拶」の心を失ったこと。
連句(歌仙)にきわめて低い評価しか与えず、発句のみをもって俳句の概念をつくりあげたこと、
などは近代俳句に大きな弊害を与えているといってよい。

俳句における子規の後継者である高浜虚子は、子規の「写生」(写実)の主張も受け継いだが、それを「客観写生」から「花鳥諷詠」へと方向転換していった。
これは子規による近代化と江戸俳諧への回帰を折衷させた主張であると見ることもできる。

短歌においては、子規の果たした役割は実作よりも歌論において大きい。
当初俳句に大いなる情熱を注いだ子規は、短歌についてはごく大まかな概論的批評を残す時間しか与えられていなかった。
彼の著作のうち短歌にもっとも大きな影響を与えた『歌よみに与ふる書』がそれである。

『歌よみに与ふる書』における歌論は、俳句のそれと同様、写生・写実による現実密着型の生活詠の重視と『万葉集』の称揚・『古今集』の否定に重点が置かれている。

特に古今集に対する全面否定には拒否感を示す文学者が多いが、明治という疾風怒涛の時代の落し子として、その主張は肯定できるものが多い。

子規の理論には文学を豊かに育ててゆく方向へは向かいにくい部分もあるという批判もあるが、「写生」は明治という近代主義とも重なった主張であった。
いまでも否定できない俳句観である。

日本語散文の成立における、子規の果たした役割がすこぶる大きいことは司馬遼太郎(司馬『歴史の世界から』1980年)によって明らかにされている。


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