K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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島が月の鯨となって青い夜の水平・・・・・荻原井泉水
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seisen2荻原井泉水

     島が月の鯨となって青い夜の水平・・・・・・・・・・・・・・荻原井泉水

自由律俳句の先駆者である荻原井泉水の、この句に初めて触れたのは、私の少年時代であり、亡長兄の蔵書で彼の句集を見たときである。
彼の経歴を、先ずお見せする。
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 荻原井泉水

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

荻原 井泉水(おぎわら せいせんすい)1884年6月16日(明治17年) ~ 1976年5月20日(昭和51年))日本の俳人。本名・幾太郎のち藤吉。

経歴
東京府芝神明町(現・東京都港区浜松町)で雑貨商・新田屋を営む荻原藤吉の3番目の子として生まれる。
長男・長女を幼くして失ったため、延命地蔵で占ったところ「今度生まれる子は男の子であるから、幾太郎と名づけよ。必ず長命する。」というお告げがあり幾太郎と名づけられる。荻原家は家督を継ぐものは代々藤吉を名乗ることとなっており井泉水もこれを継いだが、幾太郎の名を好んだようだ。

麻布中学の頃より俳句を作り始める。正則中学、第一高等学校(一高)を経て、明治41年(1908年)東京帝国大学文学部言語学科卒業。明治44年(1911年)新傾向俳句機関誌「層雲」を主宰。河東碧梧桐もこれに加わる。この年、桂子と結婚。大正3年(1912年)、自由律俳句として層雲より創刊した初の句集『自然の扉』を刊行。大正4年(1913年)季語無用を主張し、自然のリズムを尊重した無季自由律俳句を提唱した井泉水と意見を異にした碧梧桐が層雲を去る。この頃、一高時代の同窓であり1歳年下の尾崎放哉や、種田山頭火が層雲に加わる。しかし彼らが実際に面会したことはなかった。

大正12年(1923年)妻・桂子死去。また同年、母も死去し、京都に転居。昭和4年(1929年)寿子と再婚。翌昭和5年(1930年)、長男海一誕生。昭和40年(1965年)日本芸術院会員となる。昭和51年5月20日死去。享年91と、門弟の放哉や山頭火と違い、延命地蔵のお告げ通り、天寿を全うした。

なお、俳号は当初、荻原幾太郎のイニシャルから愛桜(あいおう)としていたが、生年の納音(なっちん)から井泉水と改めた。因みに、山頭火も井泉水に倣い俳号を納音から付けたが、これは本人の生まれ年からでなく単に音の響きが良いので決めたようだ。

代表著作

句集
『湧出もの』(1920年)
『流転しつつ』(1924年)
『無所在』(1935年)
『金砂子』(1946年)
『原泉』(1960年)
『長流』(1964年)

評論
『山頭火を語る』
『放哉という男』
『一茶随想』
など
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先にも書いた通り私が彼の句に触れたのは少年の頃であり、彼の句集も次兄の蔵書になってしまったから、いま私の手元にはないので、掲出句のほかには引用出来ない。
ネット上に載る記事を以下に引いておくが、これらの句が彼の代表作であるとは、私には思えないが仕方がない。
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荻原井泉水の俳句

秀句とその鑑賞

 佛を信ず麦の穂の青きしんじつ

「佛を信ず」に思い至らす麦の穂の青さ。季感の把握が的確。一粒
の麦から育ち、青い穂に幾多の実を結ぶ。麦の穂の、先ずは形とな
っと青さに佛の一途さを見たのであろうか。麦の穂の青さが訴える
強い印象に佛性が象徴される。 (高橋正子)

 力一ぱいに泣く児と啼く鶏との朝

 空を歩む朗々と月ひとり

 石のしたしさよしぐれけり

 南無観世音杉間より散るは櫻よ


萩原井泉水、日田を詠む

 行く水日永し遠山水いろに暮れていく

 水音水棹の石にふれる音の暗く涼しく

 灯して灯のうつる水を水上へとる

 更けて月はと思う涼しすぎるへさきをめぐらす 

 今は流れに放ちたる舟の舟灯との棹

 山は日を入れて水のひろびろとあるヤナ番

 手からはねてヤナにはねる鮎を手にする

 闇を一つの灯が鵜のはしに鮎がいる

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 井泉水講演から

フォーラムへのコメント

「写生」という言葉が出てきましたので、小豆島で発見された井泉水講演の記録から取り上げてみます。これは昭和初期のころ、井泉水が小豆島で行った講演を伊東俊二が筆記したもので、提供は井上泰好さんです。長文ですから、2、3回に分けてアップします。

「子規は写生主義の主張には非常に真剣で、命を打ちこんで句作に没入したので

ありましたが、晩年になって病床六尺に捕らわれてしまい、自然に接する機会が

無くなったが為に、その句も遺憾ながら新鮮味を欠くようになってしまいました。

その時、周囲の人が子規に頼ってばかりいないで、写生ということを一層深く

掘り下げて研究して、もっと気張ればよかったのですが、そのことをしなかった

が為に写生主義が一つの新しい袋小路に迷い込んでしまいました。

(ここで4句実例を上げてありますが、1例だけ取り上げます)

 職業のわからぬ家や枇杷の花

こういう句になると、句を作る人と否とでその味わい方も異なってきますが、

この句の勘所は、あまり美しくないボヤッとした感じの枇杷の花と、職業のわか

らない家というものを、くっつけたものなのです。こんな句は写生して出来たの

ではなくて机の上で作ったということが直ぐに判ります。枇杷の花と職業の判ら

ぬ家を取り合わせたところに手品のたねがあるのです。病床にばかりいた子規の

晩年は実際に見て作ったと見せかけるようにだんだんなりました。

そういう風になると、味わう上にも写生そのままの句は面白味が無く、こしら

えた句が面白い、物心一如という気持からではなくて、句として面白いのがいい

ということになってきました。

前にも言ったように、俳句は俳句であればいいのではありません。精神がなけ

ればいけないのです。ところが子規の晩年は真精神から一歩退いたものでありま

す。

今日のホトトギスの人達の句の作り方は子規の跡を継いだもので、写生主義を

根本として題による作り方しています。子規が亡くなってから三十年も経

った今も子規の晩年の頃(明治三十五年頃)もちっとも相違がありません。何故

そうであるのか、それは、俳句を題で作ることを、子規が勧めたことが原因であ

るのです。

昔も全然題詠をしなかったのでもありませんが、元禄時代には、今日のような

題ではなく、「山によせて」とかいう風な和歌で出すような題で作ったものでし

た。子規が連句は文学でないといって止めてしまってから、大勢集まった俳句の

会のときに題を出すようになったのです。」

 

承前、これは井泉水が小豆島で行った講演を伊東俊二が筆記したものです。仮名遣いは現代風にしました。
 

「その頃俳句会を運座と言いました。旧派の方でもよくやりますが、運座という

のはたとえば、十人ばかりの人が寄ったとしますと封筒を十枚用意して各人に一

枚ずつ渡し、各人が好きな題を、牡丹なら牡丹、或いは時鳥とか若葉とか書いて

次へ回す。次の人は麦なら麦と書く、こうして隣から隣へと回します。
 

その中には滋養食だとか鍋祭りだとか、ちょっと解らないような題を出して人

を困らせるというような悪戯をする者もあったりします。

鍋祭りというのは近江の国の津久摩神社の祭礼のことなのですが、そのお祭り

には、里の女が婚家の数によって鍋の数を増して頭にいただいて神幸に従う、奇

習があります。それが珍しい風俗なので俳句の題になっているのですが、一茶な

ども、「今一度婆もかぶらんつくま鍋」と・・・こんな句を作ったりしています。
 

運座ではどんな題が回って来てもそれには必ず一句を詠まねばならない掟にな

っていますので、隣から回ってきた題が難しいと困るわけです。

それで懐に忍ばせている季寄せや歳時記などをそっと取り出して、俄か勉強を

して十七字にまとめて出すようなことをします。
 

私もその頃、運座の句会に好んで出歩いた頃は、歳時記を片っ端から読んで、

題に出るものの意味や趣味を研究したものです。
 

子規に夏木立十句とかいうものがありますが、一題十句といって一つの題でた

くさんの句を作る、そういう風な作り方もしたものです。
 

こうなると、自然面白そうにこしらえて行くようにならざるを得ないことにな

り、写生主義の真実の建前を通すことが難しくなりました。写生俳句が行詰まっ

たのはこの為であります。」(つづく)

 
承前、
 

「それから、句の形が、五七五を離れたら俳句でないということを鉄則として

いた為に行詰まらざるを得ないわけなのです。
 

難しく言いますと、数学のパーミテーション(錯列法)によって数えてみても、

僅か十七字に過ぎない俳句の数は決まった数でしかないのです。例えば、時鳥の

題ならば、ホトトギスで五字とられますからあとは十二字です。十二字でホトト

ギスらしい事を詠もうとしたところで、人の想像にも、物にも限りがあるのです

が、そうそう良い句が限りなく出来る筈はないのです。
 

俳句が十七字の物とすると俳句の全数はパーミテーションの式による四十八字

の十七乗という限られた一定の数になります。その中には、いろはの並んでいる

ものもありましょうし、勿論、俳句として価値のないものも込めての数でありま

す。
 

俳句が一升のものとすると、元禄時代に三合、天明時代に三合、明治時代に三

合出てしまって、あと一合だけしか残っていないのだ・・・・と、ある人が言いまし

たが、ちょうど小豆島の水不足のようなもので・・・俳句の行詰まりは数学的の運

命なのです。」

 

このあと、子規晩年の作品から新鮮味を失った経過、さらに新傾向俳句運動、野村朱鱗洞の紹介と続きますが、いちおうここまでとします。
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「短歌」の世界でも同じだが、俳句の世界でも「自由律」というと、定型を墨守する連中からは毛嫌いされている。
戦争中は自由律は弾圧されたので、彼もすっかり逼塞してしまったようである。
先にも書いたように私は「詩」を書いていたので、そんな定型云々ということは何ら気にならなかった。
当時は、この句以外にもいくつか覚えていたのだが、今では、この句以外は忘れてしまった。
平井照敏編「現代の俳句」(1993年講談社学術文庫刊)にも彼は含まれていない。
種田山頭火や尾崎放哉は収録されているのに残念である。彼の句集などが手に入れば後日に書きたい。
なお、彼のペンネーム「井泉水」が納音から付けられた、とあるが「納音」とは少し詳しい「暦」なら載っているので参照されたい。
念のために下記にネット上に載る資料を転載しておく。
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納音
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

納音(なっちん)とは、六十干支を陰陽五行説や中国古代の音韻理論を応用して、木・火・土・金・水の五行に分類し、さらに形容詞を付けて30に分類したもの。生れ年の納音によってその人の運命を判断する。

荻原井泉水、種田山頭火などはこの納音から俳号をつけた。

海中金 かいちゅうきん 甲子・乙丑
爐中火 ろちゅうか 丙寅・丁卯
大林木 たいりんぼく 戊辰・己巳
路傍土 ろぼうど 庚午・辛未
釼鋒金 じんぼうきん 壬申・癸酉
山頭火 さんとうか 甲戌・乙亥
澗下水 かんかすい 丙子・丁丑
城頭土 じょうとうど 戊寅・己卯
白鑞金 はくろうきん 庚辰・辛巳
楊柳木 ようりゅうぼく 壬午・癸未
井泉水 せいせんすい 甲申・乙酉
屋上土 おくじょうど 丙戌・丁亥
霹靂火 へきれきか 戊子・己丑
松柏木 しょうはくぼく 庚寅・辛卯
長流水 ちょうりゅうすい 壬辰・癸巳
沙中金 さちゅうきん 甲午・乙未
山下火 さんげか 丙申・丁酉
平地木 へいちぼく 戊戌・己亥
壁上土 へきじょうど 庚子・辛丑
金箔金 きんぱくきん 壬寅・癸卯
覆燈火 ふくとうか 甲辰・乙巳
天河水 てんがすい 丙午・丁未
大駅土 たいえきど 戊申・己酉
釵釧金 さいせんきん 庚戌・辛亥
桑柘木 そうしゃくもく 壬子・癸丑
大溪水 だいけいすい 甲寅・乙卯
沙中土 さちゅうど 丙辰・丁巳
天上火 てんじょうか 戊午・己未
柘榴木 ざくろぼく 庚申・辛酉
大海水 たいかいすい 壬戌・癸亥
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因みに、私の干支から言うと、私の納音は「路傍土」となるらしい。
私は「草」や「土」が好きなので、この路傍土という納音は気に入っている。
正確には生年からの「年納音」と、生まれ日からの「日納音」というのがあり、「納音配当」というのに当てはめると

 あなたの結果

 生まれ年の干支 庚午
 生まれ年の九星 七赤金星
 生まれ年の納音 路傍土
 生まれ日の納音 霹靂火

という結果が出てきて、私の生まれ日の納音は「霹靂火」というらしい。
私は一時、同人雑誌に所属していたときの雑誌の名前が「霹靂」(かむとき)だったので、この不思議な一致にも驚いている。


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