K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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われわれはどこからきたか われわれは どこへゆくのか ランプをかざす・・・・栗城永好
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    われわれはどこからきたか われわれは
       どこへゆくのか ランプをかざす・・・・・・・・・・・・・・・栗城永好


『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』
原題は '''D'où venons nous? Que sommes-nous? Où allons-nous?  である。
この絵と言葉を日本に最初に紹介したのは大正年間の「白樺派」の雑誌であった。
ゴーギャンの絵の題名としても有名であり、現在はアメリカのボストン美術館に所蔵されている。

以下、ゴーギャンなどについてネット上から引いておく。
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ポール・ゴーギャン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ポール・ゴーギャン(Eugène Henri Paul Gauguin, 1848年6月7日 ~ 1903年5月9日)は、フランスのポスト印象派の最も重要かつ独創的な画家の一人。「ゴーガン」とも表記・発音される。

1848年、二月革命の年にパリに生まれた。父は共和系のジャーナリストであった。ポールが生まれてまもなく、一家は革命後の新政府による弾圧を恐れて南米ペルーのリマに亡命した。しかし父はポールが1歳になる前に急死。残された妻子はペルーにて数年を過ごした後、1855年、フランスに帰国した。こうした生い立ちは、後のゴーギャンの人生に少なからぬ影響を与えたものと想像される。

フランスに帰国後、ゴーギャンはオルレアンの神学学校に通った後、1865年、17歳の時には航海士となり、南米やインドを訪れている。1868年から1871年までは海軍に在籍し、普仏戦争にも参加した。その後ゴーギャンは株式仲買人となり、デンマーク出身の女性メットと結婚。ごく普通の勤め人として、趣味で絵を描いていた。印象派展には1880年の第5回展から出品しているものの、この頃のゴーギャンはまだ一介の日曜画家にすぎなかった。勤めを辞め、画業に専心するのは1883年のことである。

1886年以来、ブルターニュ地方のポン=タヴェンを拠点として制作した。この頃ポン=タヴェンで制作していたベルナール、ドニ、ラヴァルらの画家のグループをポン=タヴェン派というが、ゴーギャンはその中心人物と見なされている。ポン=タヴェン派の特徴的な様式はクロワソニズム(フランス語で「区切る」という意味)と呼ばれ、単純な輪郭線で区切られた色面によって画面を構成するのが特色である。

1888年には南仏アルルでゴッホと共同生活を試みる。が、2人の強烈な個性は衝突を繰り返し、ゴッホの「耳切り事件」をもって共同生活は完全に破綻した。

西洋文明に絶望したゴーギャンが楽園を求め、南太平洋(ポリネシア)にあるフランス領の島・タヒチに渡ったのは1891年4月のことであった。しかし、タヒチさえも彼が夢に見ていた楽園ではすでになかった。タヒチで貧困や病気に悩まされたゴーギャンは帰国を決意し、1893年フランスに戻る。叔父の遺産を受け継いだゴーギャンは、パリにアトリエを構えるが、絵は売れなかった。(この時期にはマラルメのもとに出入りしたこともある。) 一度捨てた妻子にふたたび受け入れられるはずもなく、同棲していた女性にも逃げられ、パリに居場所を失ったゴーギャンは、1895年にはふたたびタヒチに渡航した。

『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』1897-1898年(ボストン美術館) (掲出の図版①の絵)
タヒチに戻っては来たものの、相変わらずの貧困と病苦に加え、妻との文通も途絶えたゴーギャンは希望を失い、死を決意した。こうして1897年、貧困と絶望のなかで、遺書代わりに畢生の大作『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』を仕上げた。しかし自殺は未遂に終わる。最晩年の1901年にはさらに辺鄙なマルキーズ諸島に渡り、地域の政治論争に関わったりもしていたが、1903年に死去した。
死後、西洋と西洋絵画に深い問いを投げかける彼の孤高の作品群は、次第に名声と尊敬を獲得するようになる。
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図版②にゴーギャンの自画像を載せておく。
484px-Paul_Gauguin_111ゴーギャン自画像

掲出した歌の作者・栗城永好は昭和6年生まれの「沃野」という結社に所属する人であり、2007年12月に死去された。
この歌は、はじめに紹介した有名なゴーギャンの言葉を歌の中に取り込みながら、趣ふかい歌に仕立てあげた。
この歌につづいて、こんな連作になっている。

   ランプをかざす・・・・・・・・・・・・・・栗城永好

  希望とは待つことである ひつそりと診察を待つ二時間余り

  点滴は天のしたたり 外は雨 誰もおのれの余命は知らぬ

  サヨナラをいくたび言へどどこらまで己れさらしてゐるのだらうか

  虫けらも人間もいのち奪ひあふ地球は青き星といひつつ

何とも命を深く見つめた佳作であることか。最近こういう、しっとりとした佳い歌に出会うことが少ない。
角川書店「平成19年版・短歌年鑑」に載るものから引用した。



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