K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
201707<<12345678910111213141516171819202122232425262728293031>>201709
とぢし眼のうらにも山のねむりけり・・・・・木下夕爾
001冬景色本命

      とぢし眼のうらにも山のねむりけり・・・・・・・・・・・・木下夕爾

「山眠る」という季語についてだが、春の山は「山笑ふ」、秋の山は「山粧ふ」と擬人法で言うが、冬の山は「山眠る」と言う。
しずかに枯れて、動きのない様子を表している。
『臥遊録』に「冬山惨淡として眠るが如し」とある。この表現を紹介して『改正月令博物筌』という本に「春山淡冶トシテ笑フガ如シ、夏山蒼翠トシテ滴ルガ如シ、秋山明浄ニシテ粧フガ如シ、冬山惨淡トシテ眠ルガ如シ」と書いたあと「冬の山はものさびしうて、しづまつたこころなり」と釈している。
また「山笑ふ」「山粧ふ」「山眠る」の三つを季語に用いて、夏の「山滴る」を季に用いないのは、「俳の掟」だとしている。その当否は別にして、ともあれ冬山の印象の形容である。
この季語を用いた句を引くと

   ■大いなる足音きいて山眠る・・・・・・・・前田普羅

の「大いなる足音」というのは、大自然という畏敬の対象である「季節の歩み」ということであろうか。
そうだとすれば、まことに大きな句意の句であると言える。

   ■眠る山或日は富士を重ねけり・・・・・・・水原秋桜子

この句の趣も壮大なものである。
眠る山に富士山を重ねて想起する、というのであるから何とも大きい句と言うべきだろう。
はじめに掲出した夕爾の句にも、あるいは富士山を重ねることも出来ようか。

   ■水べりに嵐山きて眠りたる・・・・・・・・後藤夜半

この句の場面は京都の嵐山である。
大堰川(保津川)の水辺に対岸の山(嵐山)が映って眠っている、という景である。せせこましくない、大らかな俳意の句である。

   ■山眠る最中(もなか)に我を現じたる・・・・・・・・松本たかし

この句は眠る山に、生臭い、生身の人間を置いたところに「配合」の妙がある。
「現じたる」の「現」=うつつ、である。人間の生きる「うつつ」には、さまざまの魑魅魍魎の跋扈する「現し世」があるのである。

   ■山眠る大和の国に来て泊る・・・・・・・・山口青邨

「大和は国のまほろば」と称せられるところであり、古い神々が鎮座するところでもある。
冬の大和は、まさに「山眠る」というにふさわしい邦(くに)ではないか。
おそらく作者の心の中に去来するものは、そういう心情であろうと推察される。

   ■硝子戸にはんけちかわき山眠る・・・・・・・・久保田万太郎

この句の「山」がどこかは判らないが、この句は、また何と人間臭い句であろうか。
山に向かって開いた窓のガラス戸にハンケチが干されている、という景である。前夜から干されていたのか、ガラス戸のハンケチが、もう乾いている、というのである。
万太郎は、こういうささやかな人事の匂いのする句に秀句がある。

   ■眠りつつ山相怒る妙義かな・・・・・・・・轡田進

「眠る山」は、どこでもよいが、この句の場合には「妙義山」と特定されている。
浅間、妙義辺りの山は活火山で、時折はげしく「怒って」噴火したりする。この句は、そういう事実を踏まえているのは確かだろう。
こういう「地名」の喚起力というものがあり、うまく固有名詞を使うと、句に現実味が出て強い句が出来る。


コメント
コメント
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
トラックバック URL
トラックバック
copyright © 2017 Powered By FC2ブログ allrights reserved.