花八つ手生き残りしはみな老いて・・・・・・・・・・・・・草間時彦
八つ手の花は冬の今の時期に、ひっそりと咲く。日面ではなく、北向きの蔭のところに植えられていることが多い。
草間時彦の句は、人生の盛りを過ぎた者どもの哀歓を湛えて秀逸である。
私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るもので、こんな歌がある。
ひともとの八つ手の花の咲きいでて霊媒(れいばい)の家に灯りつき初む・・・・・・・・・・・・木村草弥
霊(たま)よせの家のひそけきたまゆらを呼びいださるる幼な子の頃
この「霊媒」とか「霊よせ」ということについては、少し説明が必要だろう。
今では青森県の下北半島の「恐山」のイタコなどに、その名残りをとどめるに過ぎないが、昔と言えば昭和初年の頃までは、こういう「霊媒」「霊よせ」というのが、まだ伝統的に各地に残っていたのである。
大都市では、いざ知らず、私の生れたのは純農村であったから、「あの家は霊媒の家だ」という風に職業としてやっている人がいたのである。
もっとも当時は「神さん」とか「お稲荷さん」とかいう名で呼ばれていた。「コックリさん」という呼び名もあった。
科学的な解明というよりも、神がかりな「加持、祈祷」が幅を利かせていた時代である。
「八つ手」の木というのは家の裏の日蔭の「鬼門」とかに、ひそやかに植えられているもので、八つ手の花はちょうど今頃12月頃に咲くのである。
そういう冬のさむざむとした風景の中に咲く八つ手の花と「霊よせ」の家というのが合うのではないかと思って、これらの歌が出来上がった、ということである。
八つ手の葉は文字通り八つ前後に裂けていて「天狗のうちわ」という別名もある。
八つ手の花を詠んだ句を引いて終りにしたい。八ツ手の花言葉は「分別」。
たんねんに八手の花を虻舐めて・・・・・・・・山口青邨
八ッ手咲け若き妻ある愉しさに・・・・・・・・中村草田男
一ト時代八つ手の花に了りけり・・・・・・・・久保田万太郎
遺書未だ寸伸ばしきて花八つ手・・・・・・・・石田波郷
八ッ手散る楽譜の音符散るごとく・・・・・・・・竹下しづの女
花八つ手貧しさおなじなれば安し・・・・・・・・大野林火
踏みこんでもはやもどれず花八ツ手・・・・・・・・加藤楸邨
花八つ手日蔭は空の藍浸みて・・・・・・・・馬場移公子
寒くなる八ッ手の花のうすみどり・・・・・・・・甲田鐘一路
すり硝子に女は翳のみ花八つ手・・・・・・・・中村石秋
かなり倖せかなり不幸に花八ツ手・・・・・・・・相馬遷子
みづからの光りをたのみ八ツ手咲く・・・・・・・・飯田龍太
花八ッ手さみしき礼を深くせり・・・・・・・・簱こと
どの路地のどこ曲つても花八ッ手・・・・・・・・菖蒲あや
人に和すことの淋しさ花八つ手・・・・・・・・大木あまり
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