K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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かきくらし雪ふりしきり降りしづみ我は真実を生きたかりけり・・・・・高安国世
高安
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無題リルケ詩集

(再録)──Doblog 旧記事──初出2005/01/16

     かきくらし雪ふりしきり降りしづみ
             我は真実を生きたかりけり・・・・・・・・・・・・高安国世


この歌は高安国世の初期の作品で「真実」と題されている。昭和26年刊の第一歌集『Vorfruhling』に載るもの。(お断り・u の上にはウムラウト(・・)が付いている)
高安先生は大阪の開業医の家に生れたが、母・やす子がアララギの歌人だった影響で少年期から短歌に親しみ、またドイツ文学を専攻することになったが、父親は医者にしたかったらしい。
家庭の中で何らの葛藤があったと思われ、そのことが、この歌によく表れている。それは「我は真実を生きたかりけり」という詩句になっている。
この歌は、そういうドイツ文学者として生きてゆくという高安氏の決意表明みたいなもので、先生にとっては、極めて愛着のあった歌らしく、自選歌集でも巻頭に載せられている。
作品としても有名なもので高安国世といえば、まず、この歌が引用される。

先生について詳しくは → Wikipedia─高安国世を参照されたし。

私事になるが、私は大学で第二外国語にドイツ語を選び、その関係から高安先生の授業も受けた。その頃、先生は京都大学助教授になったばかりであった。
その頃から先生は「歌人」としても有名であったらしいが、私はその頃短歌には無関心であったから、そんなことは知らなかった。
先生も教室では短歌のことは一切お話しにはならなかった。
先生は旧制高校の頃は第三高等学校の教授であり、新制大学になって三高は京都大学吉田分校になり、教養課程を担当していた。
三高出身の連中に聞くと、教室では短歌の話を、よくされたという。
先生はアララギ出身らしく「リアリズム」を基礎に置いておられるが、後に短歌結社「塔」を創立されるなど「主知的リアリズム」という主張を確立された。

この歌の出だしの「かきくらし雪ふりしきり降りしづみ」という「たたみかける」ようなリズムが秀逸である。
歌のはじめの「かきくらし」というところは、学者として生活できるようになるまでの「生きる苦しみ」のような生活観を想像させる。
高安先生の私生活について、私は多少のことを知っているが、ここでは書くべきことではないと思うので、触れない。
同じ歌集に載る歌ひとつと、晩年の歌集『光の春』から4首を引いて終りにしたい。

   二人ゐて何にさびしき湖(うみ)の奥にかいつぶり鳴くと言ひいづるはや

   ゆるくゆるく過ぐる病院の一日よ忘れいし生命の速度と思う ──『光の春』より4首──

   わが父のあやぶみしごと何一つ世の表うら知らず過ぎ来し

   われ亡くとも変らぬ世ざま思いおり忘れられつつドイツに在りし日のごと

   焼き棄ててくればよかりしもろもろも恐らくは単純に火にくべられん

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ここに引用した歌を子細に見てみると、はじめのものは旧カナで、後の四首は新カナになっていることが判る。
これは先生が途中から新カナ表記に変わられたからである。
この頃は、そういうのが流行っていた。「未来」の近藤芳美が、そうだった。高安国世は「未来」創刊同人だった。
だが後に旧カナ(歴史的かなづかい)に復帰するのが流行り岡井隆など多くの歌人が復帰したが、近藤芳美は頑固に新カナを押し通した。
永田和宏なども新カナ→ 旧カナに数年前から復帰した。
ついでに書いておくと、アララギ系から出発した高安国世、岡井隆、永田和宏、みなリアリズムである。
先に書いたように高安先生は「主知的リアリズム」を唱えられたし、岡井隆の歌も「比喩」のオブラートにくるまれているので騙されるが、基本的にリアリズムである。
だから彼らは自分や家族のことを詠う。
だが、同じ「前衛歌人」と呼ばれても、塚本邦雄は自分や家族は詠わない。「われ」の把握の仕方が全く違う、と言える。
余り採り上げられないことだが、敢えて言っておく。
また天皇家とのかかわりでも、「歌会始」などを通じて岡井隆や永田和宏は「擦り寄って」行ったが、塚本邦雄は擦り寄らなかった。
歌壇に絶大な支配力を有する岡井隆などが存命中だから今は触れられることが全くないが、これらは塚本、岡井の決定的な違いであることを言っておく。

図版として掲出した『光沁む雲』(短歌新聞社昭和50年刊)は歌集『朝から朝』までの歌を収録したもので解説を永田和宏が書いている。
それとドイツ文学者としてのリルケ詩集の文庫本の表紙を二つ出しておく。
先生はリルケ研究の第一人者だった。
この旧記事にも、もちろん画像があった。しかし、Doblogが不調になったとき今のfc2にデータを移すとき画像は移せなかった。

母親の高安やす子さんの記事をある筈だが、高安病院のことも書いたので、旧記事を少し調べてみる。お待ちあれ。


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