K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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節分の春日の巫女の花かざし・・・・・五十嵐播水
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   節分の春日の巫女の花かざし・・・・・・・・・・・・・・・・・五十嵐播水

掲出した写真は春日大社の節分祭で真夜中に行われる「暁祭」の巫女の神楽奉納。

「節分」は「立春」の前日で、追儺(ついな)──おにやらい、の行事が行われる。
豆を撒いて鬼を退散させ、自分の新しい齢の数だけの豆を食べるのが一般の風習になっている。
関西では戸口に鰯の頭を刺した柊ヒイラギの枝を差したりする。
また、「太巻き寿司」をそのまま、恵方の方角(今年は南南西)を向いて黙って一気に食べる、という風習が流行りだした。
もともと節分は一年に四回あり、季節の変わり目つまり「節」の変わり目にあったが、いつしか立春の前日に集中して行われるようになった。
旧正月で行われた行事──鰯の頭や柊の枝を戸口に差すこと、あるいは十二月晦日ないしは正月の追儺の行事も、節分に移行して、節分の行事となっている。

↓ 写真②は、奈良の春日大社の節分の行事である「春日万灯籠」のもので、三千とも五千とも言われる石灯籠に火が入った様は荘厳かつ圧巻である。
46282753_v1283755338春日万灯籠

京都、奈良には神社仏閣が多いが、この日にはあちこちで盛大な豆まきが行われる。客寄せのために有名人を招いて豆まきをさせたりする。
この節分の行事は室町時代から、今のような形になったと言われている。
壬生寺では壬生狂言「節分」が上演され、参詣者は素焼きの「ほうらく」を買って氏名、年齢などを墨で書いて厄除けを祈願奉納する。
この「ほうらく」は四月の大念仏会で上演される壬生狂言の「ほうらく割り」の中で割られ、これで厄除け、開運が授けられる。
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↑ 写真③は京都の壬生寺の壬生狂言の中の「炮烙ほうらく割り」の場面である。

寺院では「星まつり」と称するところもある。
私の家の菩提寺は日蓮宗だが、特別御祈祷と称して、携帯用の小さい「お札」を呉れるので運転免許証のケースの中に入れて持ち歩くのである。
もちろん御祈祷料が要る。

なぜ節分が年一回になり立春の前日だけに集中したのか、それだけこの日が寒い冬から春に向かう日として一番印象深いからであろう。
その期待感については、明日の「立春」のところで詳しく書きたい。

掲出した句も、春日大社のものであるから、ここで春日大社について少し書いてみたい。

春日大社は710年、藤原鎌足の子、藤原不比等が平城京遷都の際に藤原氏の氏神を祀ったのが始まりとされる。
一方、春日大社の社伝によると、奈良時代後期の768年に現在地に創設されたのが始まりとされている。
このタイムラグは何なのかというと、新興氏族の藤原氏と、すでに他の神々が奈良の山々に居る中で新たに新興の神様を持ってくるためには、
関係者たちとのコンセンサスを得るのに時間がかかったという説があるらしい。(梅原猛『隠された十字架・法隆寺論』新潮文庫)
いわゆる「成り上がり」は「伝統」には弱いということである。
その後、平安時代に入って藤原氏が天皇の外戚となって強大な権力を持つと、皇族や貴族の春日大社詣が増え、庶民の間にも信仰が深まってゆく、というところである。
ついでに書いておくと「興福寺」は藤原氏の「氏寺」であり、現在の寺域は狭いが、当時は今の奈良国立博物館の辺りの奈良公園なども、すべて興福寺の寺領だったという。

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↑ 写真④は滋賀県の多賀大社の節分祭の様子。神官の撒いている豆が鬼にかかるのが見える。

話は春日大社に戻るが、毎年二月と八月に3000ある灯籠に火を入れるが、これらの灯籠の多くは庶民からの奉納であるから、民間信仰の広がりが伺える。
因みに、奈良の「鹿」のことだが、この鹿は「神鹿」として、野生だが人間が限りなく「保護」するものとして今日に至っているが、
御神体であるタケミカズチは白い鹿に乗って鹿島からやって来たとされ、現在に至るまで奈良の鹿は神のお使いということになっている。

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↑ 写真⑤は京都の八坂神社の「福鬼」である。この鬼はわざわざ「福鬼」と断ってあるように、この鬼に頭を撫でてもらうと悪魔が退散して福がもたらされるということである。
以下、節分を詠んだ句を引いて終わりたい。

 節分の何げなき雪ふりにけり・・・・・・・・・久保田万太郎

 節分や灰をならしてしづごころ・・・・・・・・久保田万太郎

 節分や家ぬちかがやく夜半の月・・・・・・・・水原秋桜子

 節分やちろちろ燃ゆるのつぺ汁・・・・・・・・村上鬼城

 節分の豆少し添へ患者食・・・・・・・・石田波郷

 節分や田へ出て靄のあそびをり・・・・・・・・森澄雄

 節分の雪の精進落しかな・・・・・・・・手塚美佐

 米洗ふみづひかりをり節分会・・・・・・・・原けんじ

 節分の陽に透き烏賊の滴れる・・・・・・・・池田和子

 節分の月傾けし軒端かな・・・・・・・・県多須良
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京都の「節分」行事では、色々の面白いものもある。
左京区聖護院の「須賀神社」では江戸時代の風俗「懸想文(けそうぶみ)売り」が出て、良縁を得る縁起物を売る。
上京区の「廬山寺」の「鬼の法楽」という演出は絵画的に面白いものである。
赤青黒三匹の鬼が踊りまわるが、護摩の火を受け、豆と餅を投げられて退散する。

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