K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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いづこにも貧しき道がよこたはり神の遊びのごとく白梅・・・・玉城徹
ume3白梅

    いづこにも貧しき道がよこたはり
          神の遊びのごとく白梅・・・・・・・・・・・・・・玉城徹


玉城徹は大正末期の生まれで、東京大学美学科卒業という人である。
彼の私生活ないしは辿ってきた道程については知らないが、高校教師をしていたらしい。その頃、教員組合の幹部として政治活動にも携わったらしい。
歌人としては、専攻した学問の教養もあって優れた作品を残し、結社「うた」を主宰していたが、先年解散した。
後継の結社も、「うた」を継承するようなことは許さなかったらしい。彼の父親は玉城肇という高名な学者である。
今をときめく短歌結社「塔」の選者をしている花山多佳子が玉城の娘であり、「うた新聞」を発行しているいりの舎玉城入野は彼の息子であり、西欧文学の翻訳家でもある。
因みに、この人は2010/07/13に八十六歳で亡くなられた。
追悼記事で篠弘は言う

<論作の両面においてディレッタンティズムに徹したひとで、「ことば」をもって新たなる現実を構成しようとする志向は、後続する世代にすくなからぬ影響をもっていた。
まずディレッタントであった証左に、戦後短歌のリアリズムに反発する。
「既成の技法に近代的擬装をほどこし得たに過ぎない」と、果敢に批判視する。・・・・・・・>

この歌は、メタファーによって構成された歌である。
「貧しき道」というのも、いろいろに解釈は出来るが、本当のところは作者自身の自歌自注を聞かないと判らない。
「神の遊びのごとく」というフレーズが独特であり、かつ、この歌の眼目である。白梅が「神の遊びのごとく」咲いている、という表現によって、
漂う雰囲気から、すがすがしい白梅であることが推察される。
言葉を替えれば「神の造化」の力によって──つまり、それが「神の遊び」なのだが──この清らかな、すがすがしい「白梅」が作られた、というわけである。

先に言ったように玉城徹については私は何も知らないし、資料もないが、彼の作品を少し抄出しておきたい。
阿木津英のホームページにも彼のことが記事にしてあるので、参照されたし。
以下、彼の歌を少し引いておく。

宝石のごときがそらに巣を張りて犠牲(いけにへ)を待つ敢へて払はず

足羽川秋の終りのかがやきを越えて入りゆく曙覧の山へ

悄然とゐるにもあらず硝子戸にうつりてわれは李太白読む

夢に聴く箴言一つ棒を把らば棒の力に動かされなむ

おのれよりほつれ出でたる一筋の糸に爪さきのかかりてころぶ

ひばりの音(ね)そらに満つるを縫ふごとくセツカ鳴くなりひねもす浜に

語るべきことにあらねど焼跡の東京に日の沈みゆく見き

海の辺に三年住みつつ今朝われの松原歩む形容(かたち)老いたり

方代の歌碑の石見むと右左口の村に今日くれば桃の花照る

春雷の昨夜(よべ)わたりける朝空を鎮めて富士は雪あらたなり

椅子を起(た)つ。──図録取(と)う出てブラックが晩年作に鳥を見るべく

力なく信なき衆多(あまた)群れ集ひ塔造らむとはたらく見やる

海ばらは白波たてり双ぶごとあひ背くごと限りも知らに

第一次の大戦に出でモダニストのその幾人かいのちを殞(おと)す

軍歌一つ唱へとわれに要(もと)めて言ふカウンターの暗き隅より一人

吾れやこれいかなる手にも把(つか)まれず挙げられざりし觴(さかづき)のごと

今の世に既視感(デ・ジャ・ヴュ)といへることなども書きとどめたり兼好法師

香貫野は田は鋤きにけり日のひかり土くれに沁み午ちかづきぬ

侵略はつねに防衛の名によりきこの単純を言はざるべからず

ワカキヒニモオイタルヒニモイクタビモハゲマシクレキキミハイマナキカ
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いま手元にある資料から歌を抽出したが、さすがに深い教養に裏打ちされた歌群である。いくつかは解説が必要だが、今回は省略する。



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