K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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菜の花の黄のひろごるにまかせけり・・・・・久保田万太郎
040207nanohana01菜の花

     菜の花の黄のひろごるにまかせけり・・・・・・・・・・・・・久保田万太郎

菜の花は早いところでは、もう一月はじめには咲きはじめて、遅いところでは満開は四月になる、という息の長いものである。
早春を告げる花として庶民的な親しみの持てる花である。
「菜の花」というのは、昔は「菜種油」を採るために栽培されていたのだった。
ずっと昔、電気のない頃は灯心に「菜種油」を注いで明りにしていた。
電気が来てからは、神棚や仏壇の灯明として終戦後も長く使われていたものだった。
菜種油を採る実を振い落したあとの「菜種柄」は、竈などの焚きつけに使われたが、蛍の出るシーズンになると、
それを持ち出して蛍をはたき落すのに使ったものである。
この頃ではエコロジー運動の一環として菜種油で軽油の代わりにディーゼル車を動かそうというような企てもある。

私の歌に

   春が来た春が来たよと菜の花よ生きるは愉(たの)し生きるは哀(かな)し・・・・・・・・・・・木村草弥

というのがある。
この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
掲出した私の歌は、「生きる」ということは「愉しい」ことでもあり、また或る一面では「生きる」というのは「哀しい」ことでもある、
という哀歓を詠んだものである。
「菜の花」を詠んだ歌を、この歌集からまとめて引いておく。

    咲きほこる菜の花いつぽん切りとりて花瓶に挿せり危ふく挿さる・・・・・・・・・・・木村草弥

    春が来た春が来たよと菜の花よ生きるは愉し生きるは哀し

    菜の花を花瓶に挿せば風景が青き地図埋めたちまち展(ひら)く

    見ひらける瞳のかなた産土(うぶすな)のひろごる視野は黄なる菜の花

この頃では「菜の花漬」として蕾の花と茎の先端の部分を塩漬けにして芥子を少しあえて「菜の花漬」というものが季節の浅漬け、
あるいは「おひたし」としてスーパーなどでも盛んに売られている。あっさりしておいしいものである。
時代とともに、菜の花の利用法も変わってくるのである。

俳句の世界でも、芭蕉、蕪村の頃から「菜の花」は盛んに詠まれてきた。
以下、それらを引いて終りにしたい。

 菜畑に花見顔なる雀かな・・・・・・・・松尾芭蕉

 菜の花や月は東に日は西に・・・・・・・・与謝蕪村

 菜の花やかすみの裾に少しづつ・・・・・・・・小林一茶

 菜の花の野末に低し天王寺・・・・・・・・正岡子規

 菜の花といふ平凡を愛しけり・・・・・・・・富安風生

 菜の花や夕映えの顔物を言ふ・・・・・・・・中村草田男

 菜が咲いて鳰も去りにき我も去る・・・・・・・・加藤楸邨

 菜の花に昔ながらの近江富士・・・・・・・・山口波津女

 三輪山の裾ひろがりや菜の花に・・・・・・・・滝井孝作

 家々や菜の花色の灯をともし・・・・・・・・木下夕爾

 菜の花の地平や父の肩車・・・・・・・・成田千空

 菜の花や西の遥かにぽるとがる・・・・・・・・有馬朗人

 一輌の電車浮き来る花菜中・・・・・・・・松本旭

 菜の花の怒涛のごとき黄なるかな・・・・・・・・辰巳あした



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