K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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蝌蚪生れて白き窓もつ文学部・・・・・原田青児
img1098ヒキおたまじゃくし
 
       蝌蚪生(あ)れて白き窓もつ文学部・・・・・・・・・・・・・・原田青児 

「蝌蚪」(くわと)とは「おたまじゃくし」のことだが、以前にも書いたが、この字は中国の上代に、竹簡に漆の汁をつけて字を書き、その字の形が頭が大きく尾が小さい、おたまじゃくしに似ているので、そう名づけられ、それを明治以降、俳人たちが「音読」利用しているものである。
なお「生れて・ウマレテ」という言葉は、古来、「あれて」と読むようになっているので、念のため。「音数揃え」のためである。
類句はいくつもあるが、掲出句は「白き窓もつ文学部」と詠んでいて、かつて文学部に居たことのある私として、懐かしくて、頂いた。

私の歌にも
   
    春くれば田んぼの水に蝌蚪(おたまじゃくし)の語尾活用を君は見るだらう・・・・・・・・・・木村草弥

というのがある。
この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るもので、自選にも採っているのでWebのHPでもご覧いただける。

私の歌は、「おたまじゃくし」の尻尾を、日本語の「語尾活用」と捉えて、いわば「比喩」的に表現したものである。一種のユーモアと受け取ってもらっても結構である。
歌としては、取り立てて、どうという歌ではないが、「比喩」表現を理解する人には好評だった。
歌作りでは、こういう「凝った」作り方を時としてやってみたくなるものである。
所詮は短歌も「歌遊び」「言葉遊び」であるから、さまざまの趣向を考えることが必要だろう。
こういう「言葉遊び」を理解しようとしない頭の固い人が往々にして存在するので、困るのである。
いかがだろうか。

「おたまじゃくし」は俳句の世界では「春」の季語で、歳時記には多く見られる。
先に引いたものと多少は重複するかも知れない。ご了承を。

 川底に蝌蚪の大国ありにけり・・・・・・・・・・村上鬼城

 蝌蚪の水わたれば仏居給へり・・・・・・・・・・水原秋桜子

 流れきて次の屯へ蝌蚪一つ・・・・・・・・・・高野素十

 枕べに蝌蚪やすみなき手術以後・・・・・・・・・・石田波郷

 蝌蚪に足少しいでたる月夜かな・・・・・・・・・・長谷川双魚

 蝌蚪つまむ指頭の力愛に似て・・・・・・・・・・金子兜太

 吾のため歌ふ子蝌蚪の水昏るる・・・・・・・・・・佐藤鬼房

 蝌蚪かくも群れて天日昏めたる・・・・・・・・・・桑田青虎

 蝌蚪沈みゆけり頭を真逆さま・・・・・・・・・・大橋敦子

 蝌蚪の水少年のなほ女声・・・・・・・・・・辻田克巳

 心ざし隆々たりし数珠子かな・・・・・・・・・・大石悦子

 散り散りの幼な馴染や蝌蚪の陣・・・・・・・・・・船平晩秋

 蝌蚪離合集散のたび数を増す・・・・・・・・・・長田等

 うたたねのはじめに蝌蚪の紐のいろ・・・・・・・・・・鴇田智哉

 紐を出て紐に縋れる蛙の子・・・・・・・・・・木場瑞子

 泡一つ置きに来て蝌蚪沈みけり・・・・・・・・・・江川虹村

 やはらかき泥にくすぐりあうて蝌蚪・・・・・・・・・・高田正子

 蝌蚪生(あ)れてまだよろこびのほかしらず・・・・・・・・・・和田知子

 尾を振つて蝌蚪と生れたる嬉しさよ・・・・・・・・・・井上松雄

 底深く動かぬ蝌蚪の生きくらべ・・・・・・・・・・谷口栄子



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