K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき・・・・・与謝野晶子
entry_24しだれ桜円山公園

      清水へ祇園をよぎる桜月夜
          こよひ逢ふ人みなうつくしき・・・・・・・・・・・・・・・・・与謝野晶子


この歌は晶子の歌の中でも人口に膾炙した有名な歌である。
京都の地を知っている人ならば、清水、祇園という地名が持つ「喚起力」というものを高く評価する筈である。
そこへ「桜月夜」である。舞台設定は益々的確である。
その上に「こよひ逢ふ人みなうつくしき」と追い討ちをかける。
何とも見事な歌作りであろうか。
晶子の歌の中から「春」を詠んだ歌を少し引いておく。

 経はにがし春のゆふべを奥の院の二十五菩薩歌うけたまへ

 絵日傘をかなたの岸の草になげわたる小川よ春の水ぬるき

 春三月柱(ぢ)おかぬ琴に音たてぬふれしそぞろの宵の乱れ髪

 ひとつ篋にひひなをさめて蓋とぢて何となき息桃にはばかる

 わがいだくおもかげ君はそこに見む春のゆふべの黄雲のちぎれ

 夕ぐれを花にかくるる小狐のにこ毛にひびく北嵯峨の鐘

 下京や紅屋が門をくぐりたる男かはゆし春の夜の月

 春みじかし何に不滅の命ぞとちからある乳(ち)を手にさぐらせぬ

 春ゆふべそぼふる雨の大原や花に狐の睡(ぬ)る寂光院

 川ひとすぢ菜たね十里の宵月夜母がうまれし国美くしむ

 春の雨高野の山におん児(ちご)の得度の日かや鐘おほく鳴る

 わが肩に春の世界のもの一つくづれ来しやと御手を思ひし

 羽じろの桜の童子ねぶりたり春の御国のあけぼののさま

 住の江や和泉の街の七まちの鍛冶の音きく菜の花の路

 ゆく春や高燈台のむらさきの灯(ほ)かげの海に細き雨ふる

 木の間なる染井吉野の白ほどのはかなき命抱く春かな

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201102_28_38_a0029238_3414922晶子歌碑 八坂神社
 ↑ 八坂神社境内にある掲出歌の歌碑

目につくままに、春にまつわる晶子の歌をアトランダムに抽出してみた。まだまだ、いくらでも出てくる。
やはり与謝野晶子と言えば、歌の天才である。余計な経歴など不要である。
ゆっくりと、鑑賞してもらいたい。
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以下、ネット上に載る記事を転載しておく。

与謝野晶子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

与謝野 晶子(よさの あきこ、與謝野晶子、1878年12月7日 ~ 1942年5月29日)は明治時代から昭和時代にかけて活躍した大阪・堺市堺区出身の歌人、作家、思想家。旧姓は鳳(ほう)。戸籍名は志よう。ペンネームの「晶」は「志よう(しょう)」から取った。夫は与謝野鉄幹(与謝野寛)。なお、戦後の漢字制限(当用漢字、常用漢字、教育漢字)により、「与謝野晶子」と表記される。

経歴
大阪府堺市(現在の堺市堺区)甲斐町の生まれ。堺の老舗(しにせ)和菓子(羊羹)屋「駿河屋」の父・鳳宗七、母・津祢の3女である。実の兄にはのちに電気工学者となる鳳秀太郎がいた。9歳で漢学塾に入り、琴・三味線も習った。堺女学校(現・大阪府立泉陽高等学校)に入学すると『源氏物語』などを読み始め古典に親しんだ。また、当時は兄の影響で尾崎紅葉、幸田露伴や樋口一葉の小説も読むようになった。

20歳ごろより店番をしつつ和歌を投稿するようになる。浪華青年文学会に参加の後、1900年に歌人・与謝野鉄幹が創立した新詩社の機関誌『明星』に短歌を発表。翌年家を出て東京に移り、女性の官能をおおらかに謳う処女歌集『みだれ髪』を刊行し浪漫派の歌人としてのスタイルを確立した。のちに与謝野鉄幹と結婚。

1904年9月、『君死にたまふ(う)ことなかれ』を『明星』に発表。1911年には史上初の女性文芸誌『青鞜』創刊号に「山の動く日きたる」で始まる詩を寄稿した。

子だくさんだったが、鉄幹の詩の売れ行きは悪くなる一方で、彼が大学教授の職につくまで夫の収入がまったくあてにならず孤軍奮闘した。来る仕事はすべて引き受けなければ家計が成り立たず、歌集の原稿料を前払いしてもらっていたという。多忙なやりくりの間も、即興短歌の会を女たちとともに開いたりし、残した歌は5万首にも及ぶ。『源氏物語』の現代語訳『新新源氏』、詩作、評論活動とエネルギッシュな人生を送り、女性解放思想家としても巨大な足跡を残した。墓は多磨霊園にある(外部へのリンク参照)。

与謝野という姓は、京都府北部の与謝郡与謝野町に由来がある。

通産大臣や国務大臣(金融・経済財政担当)、自民党政調会長を務めた自民党衆議院議員の与謝野馨は、孫にあたる(東京1区)。

作家・歌人
「情熱的な作品が多い」と評される歌集『みだれ髪』(1901年)や日露戦争の時に歌った『君死にたまふことなかれ』が有名。『源氏物語』の現代語訳でも知られる。

歌集『みだれ髪』では、女性が自我や性愛を表現するなど考えられなかった時代に女性の官能をおおらかに詠い、浪漫派歌人としてのスタイルを確立。伝統的歌壇から反発を受けたが、世間の耳目を集めて熱狂的支持を受け、歌壇に多大な影響を及ぼすこととなった。所収の短歌にちなみ「やは肌の晶子」と呼ばれた。

1904年9月、半年前に召集され旅順攻囲戦に加わっていた弟を嘆いて『君死にたまうことなかれ』を『明星』に発表。その三連目で「すめらみことは戦いに おおみずからは出でまさね(天皇は戦争に自ら出かけられない)」と唱い、晶子と親交の深い歌人であったが国粋主義者であった文芸批評家の大町桂月はこれに対して「家が大事也、妻が大事也、国は亡びてもよし、商人は戦ふべき義務なしといふは、余りに大胆すぐる言葉」と批判した。晶子は『明星』11月号に「ひらきぶみ」を発表、「桂月様たいさう危険なる思想と仰せられ候へど、当節のやうに死ねよ死ねよと申し候こと、またなにごとにも忠君愛国の文字や、畏おほき教育御勅語などを引きて論ずることの流行は、この方かへつて危険と申すものに候はずや」と国粋主義を非難し、「歌はまことの心を歌うもの」と桂月の批判を一蹴した。日露戦争当時は「満州事変」後の昭和の戦争の時期ほど言論弾圧が厳しかったわけではなく、白鳥省吾、木下尚江、中里介山、大塚楠緒子らの戦争を嘆く詩を垣間見ることができ、晶子の詩がそれほど特異だったわけでもない。

大町桂月は「太陽」誌上で論文「詩歌の骨髄」を掲載し「皇室中心主義の眼を以て、晶子の詩を検すれば、乱臣なり賊子なり、国家の刑罰を加ふべき罪人なりと絶叫せざるを得ざるものなり」と激しく非難したが、夫・与謝野鉄幹と平出修の直談判により、桂月は「詩歌も状況によっては国家社会に服すべし」とする立場は変えなかったものの、晶子に対する「乱臣賊子云々」の語は取り下げ、論争は収束する。この後、大正14年6月11日、桂月は57歳で病没するが「横浜貿易新報(現・神奈川新聞)」に晶子は追憶をよせた。

この騒動のため晶子は「嫌戦の歌人」というイメージが強いが、第一次大戦の折は「戦争」という詩のなかで、「いまは戦ふ時である 戦嫌ひのわたしさへ 今日此頃は気が昂る」と極めて好戦的な戦争賛美の歌を作っている。満州事変勃発以降は、戦時体制・翼賛体制が強化されたことを勘案しても、満州国成立を容認・擁護し、昭和17年に発表した「白櫻集」で、以前の歌「君死にたまうなかれ」とは正反対に、戦争を美化・賛美し、鼓舞する歌を作った(例えば、「強きかな 天を恐れず 地に恥ぢぬ 戦をすなる ますらたけをは」)。このようなことから、反戦家としての立場に一貫性がなかった、あるいは時勢により心情を変化させた転向者であると言える。

日露戦争当時に「幸徳秋水の反戦論は大嫌いだ」と公言した。ただし、大逆事件(幸徳事件)では秋水ら死刑になった十二人に「産屋なる わが枕辺に 白く立つ 大逆囚の 十二の棺」という歌を1911年3月7日に「東京日日新聞」に発表している。刑死者の一人大石誠之助は『明星』の同人で関わりも深く、また女性でただ一人死刑となった菅野スガは未決在監中に平出修弁護士に晶子の歌集の差し入れを頼んでいるが、晶子は直接差し入れなかったことを悔恨して小林天眠への手紙に残している。

1911年に『青鞜』発刊に参加、『そぞろごと』で賛辞を贈って巻頭を飾り、「新しい女」の一人として名を馳せた。同年、文部省と内務省が文芸作品の顕彰と称し、諮問機関「文芸委員会」作ったことに対し、晶子は「英太郎 東助といふ 大臣は 文学をしらず あはれなるかな」と皮肉に満ちて批判的な歌を作っている。文芸委員会に対しては、夏目漱石も「最も不愉快な方法で行政上に都合のいい作品のみを奨励するのが見えすいている」と言っている。

1915年に読売新聞に「駄獣の群」という国会や議員に対する不信を詠う長詩を発表した。また、晶子は婦人選挙権を唱え、「婦選の歌」を作っている。この歌は山田耕筰作曲で「第一回全日本婦選大会」にて披露された。

晶子が34歳のとき『新訳源氏物語』を四冊本として出したが、拠り所とした北村季吟の『湖月抄』には誤りが多く、外遊の資金調達のために急ぎ、また、校訂に当たった森鴎外は『源氏物語』の専門家でないなど欠陥が多いものだった。そのため、一からやり直し、元治五十四帖のうち最後の「宇治十帖」を残すまで書き上げたが、関東大震災のために文化学院にあった原稿が灰になってしまう。又も一からやり直し、さらに十七年かけて六巻本『新新訳源氏物語』を完成させる。1938年年10月より刊行し、翌年9月に完結した。

評論家
晶子は日露戦争後から新聞や雑誌に警世の文を書くようになり、評論活動をはじめる。評論は、女性の自立論と政治評論に分類できる。教育問題なども評論している。

女性の自立論は、女性が自分で自己鍛錬・自己修養し、人格陶冶することを説いた。英米思想的な個人主義である。

反良妻賢母主義を危険思想だと見る文部省は取り締まり強化に対し、妊娠・出産を国庫に補助させようとする平塚らいてうの唱える母性中心主義は、形を変えた新たな良妻賢母にすぎないと論評し、平塚らいてう、山田わからを相手に母性保護論争を挑んで「婦人は男子にも国家にも寄りかかるべきではない」と主張した。ここで論壇に登場した女性解放思想家山川菊栄は、保護(平塚)か経済的自立(与謝野)かの対立に、婦人運動の歴史的文脈を明らかにし、差別のない社会でしか婦人の解放はありえないと社会主義の立場で整理した。文部省の意向とは全く違う次元で論争は終始した(現代でも問題になっているアグネス論争も類似した論争である)。

政治評論については反共産主義、反ソ連の立場から論陣を張った。その論文の数は、20本を越える。『君死にたまふことなかれ』を前面に出して一概に反戦・反天皇の人物であったわけではない。また、当時『労農主義』として紹介されていたマルクス・レーニン主義を批判していたことは注目に値する。

シベリア出兵を日本の領土的野心を猜疑され日露戦争の外債による国民生活の疲弊を再び起こす、と反対している。また、米騒動に関して「太陽」誌上に「食料騒動について」という文を書き、その中で当時の寺内正毅内閣の退陣を要求している。

晶子は1919年5月号の『中央公論』に「教育の国民化を望む」(単行本『激動の中を行く』にした時「教育の民主主義化を要求す」と改題)という文を書いている。各府県市町村に民選の教育委員を設けることを提案している。今の教育は「文部省の専制的裁断に屈従した教育」であるから、それを「各自治体におけるそれらの教育委員の自由裁量に一任」し、それによって「教育が国民自身のものとなる」と主張している。他にも、ヨーロッパの老婦人が若い婦人とさまざまの社会奉仕に努力する姿を見て、日本にも成人教育や社会教育の場を作るよう提言している。

羽仁もと子による自由学園の開校と前後して文化学院の創立に尽力、文部省の規定に逆らい、男女共学で開校。のち文化学院女学部長。

著作・文献

自著
『定本 与謝野晶子全集』全20巻(講談社、1979年 - 1981年刊)
『みだれ髪』(新潮文庫)
『みだれ髪 附=みだれ髪拾遺』(角川文庫クラシックス)
『全訳源氏物語』上・中・下(角川文庫クラシックス)
『梗概源氏物語』(武蔵野書院)鶴見大学文学部、池田利夫 編
『蜻蛉日記』(平凡社ライブラリー)与謝野晶子 訳
『与謝野晶子歌集』(岩波文庫)
『与謝野晶子評論集』(岩波文庫)
『愛、理性及び勇気』(講談社文芸文庫 現代日本のエッセイ)
『女人創造 叢書 女性論』(大空社)
『与謝野寛晶子書簡集成』(八木書店)
『私の生ひ立ち』(女性文庫/学陽書房)竹久夢二 挿絵/(刊行社)
『童話 環の一年間』(和泉書院)

関連文献
1954年 『晶子曼陀羅』佐藤春夫著、大日本雄弁会講談社。角川文庫、講談社文芸文庫ほか
1957年 『与謝野晶子書誌』入江春行著、創元社
1967年 『うたの心に生きた人々』茨木のり子著、さ・え・ら書房。ちくま文庫にも
1967年03 『どっきり花嫁の記 ――はは与謝野晶子』与謝野道子著、主婦の友社。角川書店
1968年03 『与謝野晶子』福田清人、浜名弘子編、(清水書院『センチュリーブックス 人と作品』21)、清水書院
1972年 『千すじの黒髪 わが愛の与謝野晶子』田辺聖子著、(『文春文庫』)、文藝春秋
1981年01 『与謝野晶子の秀歌』馬場あき子著、(『現代短歌鑑賞シリーズ』)、短歌新聞社。三一書房の馬場あき子全集にも
1981年03 『晶子の周辺』入江春行著、洋々社
1981年07 『みだれ髪の系譜』芳賀徹著、(『講談社学術文庫』)、講談社、初出は美術公論社
1983年05 『与謝野晶子の文学』入江春行著、(『近代の文学』13)、桜楓社
1984年03 『与謝野晶子 : 昭和五十九年春季特別展』堺市博物館編、堺市博物館
1985年09 『華の乱』永畑道子著、新評論
1985年09 『夢のかけ橋 晶子と武郎有情』永畑道子著、新評論。文春文庫も
1986年09 『山の動く日きたる 評伝与謝野晶子』山本千恵著、大月書店
1988年10 『姑の心、嫁の思い 義母・与謝野晶子との会話』与謝野道子著、PHP研究所
1989年02 『憂国の詩 : 鉄幹と晶子・その時代』永畑道子著、新評論。ちくま文庫にも
1989年05 『アメリカで与謝野晶子をうたえば』吉岡しげ美著、朝日新聞社
1990年08 『与謝野晶子研究 : 明治の青春』赤塚行雄著、學藝書林
1990年10 『与謝野晶子の教育思想研究』平子恭子著、桜楓社
1991年04 『与謝野晶子歌碑めぐり : 全国版』堺市博物館編、二瓶社
1991年03 『与謝野晶子 : その生涯と作品 没50年記念特別展』堺市博物館編、堺市博物館
1991年06 『与謝野晶子』河出書房新社編?、(『新文芸読本』)、河出書房新社
1991年09 『晶子と寛の思い出』与謝野光著、思文閣出版
1992年03 『与謝野晶子』尾崎左永子他著、大岡信編(『群像 日本の作家』6)小学館
1992年07 『恋むらさき : 小説・与謝野晶子』倉橋燿子著、(『mimiヤングガールズ・ブック』)、講談社
1992年08 『日本橋魚河岸と文化学院の思い出』金窪キミ著、卯辰山文庫
1993年03 『愛のうた : 晶子・啄木・茂吉』尾崎左永子著、創樹社
1993年09 『初恋に恋した女 : 与謝野晶子』南条範夫著、講談社。講談社文庫も
1993年10 『与謝野晶子 : 昭和期を中心に』香内信子著、ドメス出版
1993年11 『わが晶子わが啄木 : 近代短歌史上に輝く恒星と遊星』川内通生著、有朋堂
1994年02 『君死にたまふこと勿れ』中村文雄著、和泉書院
1994年10 『与謝野晶子研究 : 明治、大正そして昭和へ 決定版』赤塚行雄著、學藝書林
1994年10 『晶子讃歌』中山凡流著、沖積舎
1995年04 『与謝野晶子 年表作家読本』平子恭子著、河出書房新社
1995年05 『与謝野晶子を学ぶ人のために』上田博、富村俊造編、世界思想社
1996年01 『鉄幹と晶子詩の革命』永畑道子著、(『ちくま文庫』)筑摩書房
1996年01 『君も雛罌粟われも雛罌粟 : 与謝野鉄幹・晶子夫妻の生涯』上・下、渡辺淳一著、文藝春秋。文春文庫も
1996年07 『資料与謝野晶子と旅』沖良機著、武蔵野書房
1996年09 『山川登美子と与謝野晶子』直木孝次郎著、塙書房
1996年11 『女をかし与謝野晶子 : 横浜貿易新報の時代』赤塚行雄著、神奈川新聞社
1997年01 『絵画と色彩と晶子の歌 : 私の与謝野晶子』持谷靖子著、(『にっけんの文学・文芸シリーズ』)、にっけん教育出版社
1997年09 『火の色す : 富村俊造・与謝野晶子アカデミーの軌跡』与謝野晶子アカデミー百回記念誌編集委員会編、『山の動く日』の会
1998年03 『尾崎行雄 : 「議会の父」と与謝野晶子』上田博著、三一書房
1998年07 『チョコレート語訳 みだれ髪』俵万智訳、(『河出文庫』)、河出書房新社
1998年07 『與謝野晶子と周辺の人びと : ジャーナリズムとのかかわりを中心に』香内信子著、創樹社
1998年07 『与謝野晶子と源氏物語』市川千尋著、国研出版
1998年10 『與謝野晶子』渡邊澄子著、新典社
1999年02 『風呂で読む与謝野晶子』松平盟子著、世界思想社
1999年07 『おんな愛いのち : 与謝野晶子/森崎和江/ヘーゲル』園田久子著、創言社
1999年08 『与謝野晶子』渡辺澄子著、(『女性作家評伝シリーズ』)新典社
2000年 『与謝野晶子』新間進一著、(『短歌シリーズ・人と作品』4)おうふう
2000年04 『文に生きる絵に生きる : 与謝野晶子、ビアトリクス・ポター、リリアン・ヘルマン、いわさきちひろ』越水利江子、落合恵子、今関信子、松本由理子著、岩崎書店
2000年10 『与謝野寛・晶子 : 心の遠景』上田博著、嵯峨野書院
2002年06 『九州における与謝野寛と晶子』近藤晋平著(『和泉選書』)和泉書院
2003年04 『与謝野晶子 : 童話の世界』古沢夕起子著、嵯峨野書院
2003年04 『与謝野晶子とその時代 女性解放と歌人の人生』入江春行著、新日本出版社
2003年06 『与謝野晶子の歌鑑賞』平子恭子著、短歌新聞社
2005年03 『與謝野晶子に学ぶ―幸福になる女性とジェンダーの拒絶』 中川八洋著、グラフ社

児童・子ども向け
『きんぎょのおつかい』(架空社)高部晴市、与謝野晶子 著
『与謝野晶子 女性の自由を歌った情熱の歌人』(学習まんが人物館/小学館)入江春行、あべさより 著



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