K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ・・・・・・若山牧水
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      白鳥(しらとり)は哀(かな)しからずや空の青
         海のあをにも染まずただよふ・・・・・・・・・・・・・・・・・・若山牧水


明治41年、早稲田大学英文科卒業の年に自費出版した第一歌集『海の声』に入っている有名な歌である。
「白鳥」はここではカモメのこと。空や海の青に鳥の白を対比させて、広大な自然の中に生きる海鳥の、また作者自身の孤愁を詠っている。
「空の青海のあを」という繰り返しが、表現の流れの中で、見事に生かされて感情を流露させている。
この歌は明治40年雑誌『新声』12月号に発表されたもので、牧水21歳の作。
しかし、残念ながら、詠まれた場所は、どこか判らない。
593b7a36a3ebd64f022b2bb327c64da1長岡半太郎・牧水記念館
 ↑ 長岡半太郎・若山牧水記念館

大正4年3月から翌年12月まで貴志子夫人の病気療養を兼ねて若山牧水も居住したことを記念し、房総半島を望む神奈川県横須賀市長沢の海岸に昭和28年に、
「長岡半太郎記念館・若山牧水資料館」が建てられた。
ここはわが国の物理学の草分け・長岡半太郎博士が長年学問研究や憩いの場としていた別邸を復元した建物で博士の遺品・資料と共に、
近くに住み博士とも親交のあった詩人 若山牧水氏の関連資料などを展示している。

65cddca9c2a8cd0fff0462f24848cf6e牧水・貴志子歌碑
 ↑ 牧水・貴志子歌碑
記念館の近くにある歌碑は、表は牧水、裏は貴志子夫人の歌が長男旅人氏の筆で刻まれている。

   表<海越えて 鋸山は かすめども 此処の長浜 浪立ちやまず>
   裏<うちけぶり 鋸山も 浮び来と 今日のみちしほ ふくらみ寄する>
       (「鋸山」=対岸にある房総の山の名)

この歌碑のすぐ傍に、こちらは有志者の寄付により建立された
   <しら鳥は かなしからずや そらの青 海のあをにも そまずただよふ>の歌碑が立っている。
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若山牧水は短歌結社「創作」を主宰するが、「旅の人、酒好きの人」として有名である。
各地を旅行し、酒のもてなしに預かると、酒の勢いもあって、書画を多く残している。

 白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり

という歌は人口に膾炙した有名な歌である。
以下、少し牧水の歌を抜粋して終わることにする。

 われ歌をうたへりけふも故わかぬかなしみどもにうち追はれつつ

 ああ接吻(くちづけ)海そのままに日は行かず鳥翔(ま)ひながら死(う)せ果てよいま

 君かりにかのわだつみに思はれて言ひよられなばいかにしたまふ

 けふもまたこころの鉦をうち鳴しうち鳴しつつあくがれて行く

 幾山河越えさり行かば寂しさの終(は)てなむ国ぞ今日も旅ゆく

 ちんちろり男ばかりの酒の夜をあれちんちろり鳴きいづるかな

 とろとろと琥珀の清水津の国の銘酒白鶴瓶(へい)あふれ出る

 朝地震(なゐ)す空はかすかに嵐して一山白きやまさくらばな

 山ねむる山のふもとに海ねむるかなしき春の国を旅ゆく

 この手紙赤き切手をはるさへにこころときめく哀しきゆふべ

 たぽたぽと樽に満ちたる酒は鳴るさびしき心うちつれて鳴る

 摘草のにほひ残れるゆびさきをあらひて居れば野に月の出づ

 かんがへて飲みはじめたる一合の二合の酒の夏のゆふぐれ

 さうだ、あんまり自分のことばかり考へてゐた、四辺(あたり)は洞(ほらあな)のやうに暗い

 酒やめてかはりになにかたのしめといふ医者がつらに鼻あぐらかけり

 ウヰスキイに煮湯そぞげば匂ひ立つ白けて寒き朝の灯かげに

 酒ほしさまぎらはすとて庭に出でつ庭草をぬくこの庭草を

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ところどころに、医師から酒を慎むように言われる歌や、酒飲みのいじましい心境の歌なども出てくる。結局は酒で命を縮めたのであろうか。昭和3年没。44歳であった。
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ネット上に載る記事を転載しておく。

若山牧水
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

若山 牧水(わかやま ぼくすい、 明治18年(1885年)8月24日~ 昭和3年(1928年)9月17日)は、日本の歌人。本名・繁(しげる)。

略歴
宮崎県東臼杵郡東郷村(現・日向市)の医師・若山立蔵の長男として生まれる。
明治32年(1899年)宮崎県立延岡中学(現・宮崎県立延岡高等学校)に入学。短歌と俳句を始める。 18歳のとき、号を牧水とする。

明治37年(1904年)早稲田大学文学科に入学。同級生の北原射水(後の白秋)、中林蘇水と親交を厚くし「早稲田の三水」と呼ばれる。 明治41年(1908年)早大英文学科卒業。7月に処女歌集『海の声』出版。翌、明治42年(1909年)中央新聞社に入社。5ヶ月後に退社。

明治44年(1911年)創作社を興し詩歌雑誌「創作」を主宰。この年、歌人・太田水穂を頼って長野より上京していた後に妻となる太田喜志子と水穂宅にて知り合う。明治45年(1912年)友人であった石川啄木の臨終に立ち合う。同年、喜志子と結婚。大正2年(1913年)長男・旅人(たびと)誕生。その後、2女1男をもうける。

大正9年(1920年)沼津の自然を愛し、特に千本松原の景観に魅せられて、一家をあげて沼津に移住。大正15年(1926年)詩歌総合雑誌「詩歌時代」を創刊。この年、静岡県が計画した千本松原伐採に対し新聞に計画反対を寄稿するなど運動の先頭に立ち計画を断念させる。昭和2年(1927年)妻と共に朝鮮揮毫旅行に出発し、約2ヶ月間にわたって珍島や金剛山などを巡るが体調を崩し帰国。翌年夏頃より病臥に伏し自宅で死去。享年43。沼津の千本山乗運寺に埋葬される。

牧水の死後、詩歌雑誌「創作」は歌人であった妻・喜志子により受け継がれた。

旅を愛し旅にあって各所で歌を詠み、日本各地に彼の歌碑がある。大の酒好きで一日一升程度の酒を呑んでいたといい、死因の大きな要因となったのは肝硬変である。自然を愛し特に終焉の地となった沼津では千本松原や富士山を愛し、千本松原保存運動を起こしたり富士の歌を多く残すなど、自然主義文学としての短歌を推進した。

また、情熱的な恋をしたことでも知られており喜志子と知り合う前の園田小枝子との熱愛は有名なエピソードである。出身地・宮崎県では牧水の功績を称え、平成8年(1996年)より毎年、短歌文学の分野で傑出した功績を挙げた者に対し「若山牧水賞」を授与している。

牧水は埼玉県秩父地方を数度訪れて歌と紀行文を残している。秩父市の羊山公園には「牧水の滝」と名づけられた滝があり、そこには

「秩父町出はづれ来れば機をりのうたごゑつゞく古りし家竝に」

という秩父の春を歌った碑がある。

歌集
海の声
独り歌へる
別離
路上
死か芸術か
みなかみ
山桜の歌
など



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