K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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「桜」の本いくつか・・・・・・・木村草弥
佐野

──新・読書ノート──

      「桜」の本いくつか・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

「桜」の花が咲きみちる爛漫の春となった。 というより、もう散ってしまったか。
今年の冬は、とても寒かったが、桜の開花には、この厳しい寒さが必要なのだという。

今日は「桜」に関する本を採り上げる。
これは私の畏敬する「硯水亭歳時記」さんが、先日「桜」に関する本をたくさんブログにご紹介いただいた中から四冊買ってみたからである。
みなアマゾン扱いの中古品である。この頃のアマゾンの中古本も豊富になって、届けてあるクレジットカードで決済できるから便利である。
今回、買い求めたのは
  ■山田孝雄『櫻史』(講談社学術文庫1990/04/16第二刷)
  ■佐野藤右衛門・小田豊二聞き書き『桜よ』─「花見の作法」から「木のこころ」まで(集英社文庫2004/02/25)
  ■佐野藤右衛門『桜のいのち 庭のこころ』(草思社1998/04/24四刷)
  ■安藤潔『桜と日本人ノート』(文芸社2003/03/20第二刷)

桜史

国語学者である山田孝雄の本は昭和十六年に出たものの文庫化したものであり、文語調の難しい本である。読み方も「おうし」と訓む。
ご存じない人のために少し書いておくと、山田孝雄は明治六年(1873年)富山県生まれの人で東北大学教授などを歴任。専門は国語国文学。
いわゆる「山田文法」を体系化した人。 1957年文化勲章を受章。 1958年歿。
この本のカバー裏に編集者のつけた文章を画像にして出しておくので見てもらいたい。 ↓

うら_0001

ここに書かれているように上古から現代に至るまでの桜に関するもろもろを、厚みにして二センチはあろうかという労作である。
この本が出たのは昭和十六年であるから「ヤマトゴコロ」が最高に強調されたころである。
日本文化は世界の他のところとは違う独特なものである、とされた。
だが、実際には日本文化は中国の老荘思想などから多くのものを受け継いでいるし、日本宮廷の行事、作法なども中国歴代の宮廷のものを踏襲したものが多い。
例えば、芭蕉の思想なども老荘思想に多大の影響をうけている、との芭蕉研究者の比較研究の論考があるのである。
江戸時代は「近世」という時代分けをするが、私は必要があって近世初期の天皇のことを調べてみたので、よく判るが、その頃の宮廷行事は中国の行事そっくりである。
そういう比較研究は戦前には弾圧され、例えば福永光司先生の著述なども陽の目を見たのは敗戦後のことであった。
そんな天皇が尊敬する天子の理想像は、その頃の中国皇帝であったり、文物であったりするのであった。
日本文化の特異性をことさら強調するようになるのは明治維新以後のことであり、それは近代日本を作り上げるために東洋とは「隔て」を置くために「牽強付会」したものと見える。
国粋主義、廃仏毀釈、「神ながらの道」など明治以後の「国家神道」は排外主義となって国を敗戦に導いた。このことに留意したい。
山田孝雄が、そういう思想だという意味ではない。 誤解のないように。
とにかく難しい本である。学者の書く本である。学術的。 詳しくは書かないが、興味のある方はトライされたい。 けだし、そういうことである。

桜よ

佐野藤右衛門の本を二冊あげたが、いずれも彼が話したものを「聞き書き」したもので、「会話体」である。判りやすい。
典型的な京都弁であり、私などには地元の語り口だから読みやすいが、他の土地の人には果たして、どうか。
『桜のいのち 庭のこころ』から一部をスキャナで取り込んでみた。 こんな具合である。 ↓

接ぎ木は夫婦で
接ぎ木は嫁さんと一緒にするんです。おじいさんもおばあさんとやりましたし、親
父もおふくろとやりました。わしもかかとやっています。これもまたその家のという
か、植木屋へ嫁にきたもののひとつの教育みたいなものなんですな。
細こう切ってある枝を台木に接ぐんですが、台木の皮を削いで、接ぎ木の皮も削い
で、形成層の合うところをうまく入れていくんです。その後で、嫁さんが打ち藁で縛
っていくんですわ。
いかに女が上手に締めるか、きつくもなく緩くもなく、 それが実にむずかしいんで
す。共同で、息を合わせなならんのですが、そういう夫婦間の一体的な行動というの
か、そういうものの教えにもなるわけなんですわ。
おじい、おばあが接ぎ木の作業をやっていますわな。私は子供でしたから、接ぎ木
をしとるところにゴザを敷いてもろうて一日遊んでおりますやろ。
でも嫁というか、私の母親はこんなのを見るのは初めてです。まだ若妻ですわな。
それが弁当を持って来たときに、草を引いたりしながら、ついでにおじいやおばあの
やることを見るとはなしに見てますわな。そうして、自分が直接やらんでも、見てい
るうちに仕事に慣れていきますわ。
そして、こんどは接ぎ穂を縛る蓁を打っておいてくれよといわれたら、家でやりま
すわな。そのときでも、打ちすぎてもあかんし、打ってなかったら藁はボリッと折れ
ますやろ。打ち方にもはじめは緩く、だんだんきつくとか、リズムがありますわな。
ただ打ったんではあかんのやから。それで口に水を含んで藁をまわしながら霧を吹き
かけますわな。それらはすべて機械とちごうて、手加減でやっていく仕事です。こう
いう作業を手伝いながら、こつを覚えていくんです。
嫁に来て、すぐに一緒に働きに出るわけではないんですわ。徐々に徐々に、もうほ
んまにちょっと手伝うとか、弁当を運んでいるときにするとか、切った木を持つて帰
つて夜の間に選り分けるとか、何かに少しずつかかわるんですな。それを自然に身体
で覚えていくんです。頭で覚えたことはみな忘れますからね。
初めは外から見るだけですわな。それで、どういうことから始めるのかということ
がわかりますやろ。今のように、あれはああです、これはこうです、こうしなさいで
はあきませんわ。手とり足とり教えてもほんまには覚えませんわ。そういうふうに見
たあとで、こんどは実際にやりながら覚えていくんです。おじいとおばあがやってい
たことを、親父とおふくろがやっていくようになるんです。接ぎ木は、やっぱり夫婦
でするのが楽ですわな。何もいわんでも、「こうせい」というたら、「へい」というよ
りしゃあない。
今はわしが十二センチぐらいの間隔で順番に接いでいくと、かかが後ろから、クリ
クリクリッと巻いてはビューッと藁を伸ばして、切らずにつぎの木をくくつていくん
です。ですから藁はつながっていくんですわ。そうやってつぎつぎとくくって結ばん
でもええのやけど、最後だけはギュッと締めますわな。
この作業をするのは、雨の心配のないときですわ。雨が降ってきたら、すぐに傘を
さしたりしますわな。水が入ってしまうと、形成層がひつつくまでにパッと口があき
よるから。水が入らないように傘がいるんですわ。それからあまりきつく締めてしま
うと、これまたひっつきませんのやわ。両方が脹れようとする力によってひっつきよ
るのやからね。学問的には形成層さえあればひっつきよるというけど、実際には接ぎ
穂と台木の締めぐあいですわ。
だいたい一日仕事でやりますのや。それで、乾きそうになったら、そこに土をすぐ
にかけていくんです。本数はそのときによって、みな違いますけど、千本まではいき
ませんな。
今はビニールでやるものやからみんなだめになるんですわ。ビニールでくくったら、
ひっつくのはよろしいわ。けどそれが腐りませんのや。それで木が脹れたときに木に
食い込んでしもうて、しまいにはポキッと折れよる。
藁だとちょうどついたときに、その藁が腐っとる。だから藁とか荒縄というのは、
うまいことできているんですわ。それなのに街路樹の支柱を見たってややこしいもん
でくくってありますやろ。そやから肥ったときにみんな傷んでますわな。昔の材料は
みな、木が必要でなくなるときには、そのものが腐るようになっておったんです。

桜切るバ力、梅切らぬアホ
大きな桜を新しく植えるときには、まず土を見ますわな。土を見んことには植えら
れへんから。育ってきたところと、違うかどうか、その土が合うか合わんかを見極め
て、悪かったら土を入れ替えてもらう。そして、植えて、立てますわね。立てて土を
かけたときに、なんやおかしいなと思うときがあるんです。どうかなあと思うときも
あるし、もう大丈夫というときもある。大丈夫やというときにはじめて、地の神と天
の神とに感謝して、酒をかけて、幹の高いところにスルメを結わいつけておくんです
わ。スルメは神事や祝い事で必ず使いますやろ。昔からそういうもんですわな。祭り
はみなスルメですわ。そのとき「ごくろうさん」と一升瓶の酒をかけてやりますな。
それで、わしらは.自然界のもろもろの神に感謝して、最後に「たのんます」というて
帰りますのや。
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佐野藤右衛門には一度講演会で話を聞いたことがある。
この本には彼の写真が載っているが、「植木屋」と言ってはばからない。「野人」そのままのような人である。
十六代佐野藤右衛門を襲名しているが昭和三年(1928年)生まれ。京都農林学校卒。祖父の代からの「桜守」を継ぐ。
京都市右京区山越というところで、土地は昔から仁和寺の寺領だったところで、数代まえから仁和寺出入りの百姓で次第に植木の世話をする植木屋となり、庭師となって行ったという。
屋敷には庭木を囲っておく広い養生用の畑があり、そこにたくさんの桜などの苗木を囲ってある。
彼の朝一番の日課は、起きたら畑に出て庭木の機嫌を伺い、弱っている木には小便をかけておくのだという。
一種のショック療法というか、栄養補給だと彼は言う。
豪放磊落に見えて「下戸」であり、甘いものに目がないという。
この本にも書かれているが、イサム・ノグチと一緒に海外で日本庭園を作ったりした。
本願寺の庭園を引き受けたりしているが、これらも仁和寺とのゆかりからの延長だという。
商売がら庭木を囲っておく広い畑が必要だが、都市化の波で自分が死んだら相続税でガッポリ取られ、商売が続けられるかどうか心もとないと書かれている。
京都御苑内に海外の賓客などを迎える迎賓館が建てられ、その庭園も彼が引き受けたが、宮内庁の役人の素人のくせに干渉がひどいと、
「さぁ、休みや休みや」と職人を引き揚げさせたなどのエピソードも彼の口から聴いたことがある。

佐野藤右衛門の本は、読みかけると面白くて、止められない。 ぜひ読んでみてほしい。

安藤

安藤潔は1937年会津若松市生まれ。新潟大学教育学部卒。公立中学、高校の教諭を二十八年。日本随筆家協会会員。
エッセイ、地元の方言にまつわる本など数冊。
この本には
一、「サクラ」とは何か・・・・・・・「サクラ」の語源、漢字「櫻」、「サクラ」の植物学、「サクラ」の品種一覧
二、古代の「桜」・・・・・・・・・・古代の桜と梅と桃と。「左近の桜」
三、「桜」に魅せられて・・・・・・・西行法師と桜、醍醐の花見
四、「桜」の民俗・・・・・・・・鎮花祭。天然記念物になった桜。
五、お江戸の「桜」
六、「さくら」とことば
七、「桜」を象る
八、「サクラ」の名を借りて・・・・・・・・サクランボ。
九、暮らしの中の「さくら」
全国桜名所

漢字「櫻」はいわゆるサクラではなく「ユスラウメ」のことだという。白川静『字統』には「含桃也」として中国の詩文に見える「櫻花」「櫻樹」は全てユスラウメを指す、という。
このように資料を漁って、よく書かれているが総花的な印象を拭えない。
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佐野藤右衛門の本によると、サクラの先祖はヒマラヤサクラ辺りに辿りつくらしい。
それが中国には根付かず、種が鳥に食べられて日本に運ばれて「糞」と一緒に排出され、日本の地に根付いたものかという。

「桜」の木についても、今はソメイヨシノ一色であるのに批判的である。
ソメイヨシノは東京近郊の染井村で生まれた、オオシマザクラとエドヒガンザクラとの自然交配による雑種であり、しかも種の成らない「一代雑種」である。
だから苗は「接ぎ木」で育てられるのみである。今風に言えば「クローン」である。
あらゆる生き物には「寿命」があるから、クローンは「親」の残した寿命の「残り」しか生きられない。
ソメイヨシノは育種されてから、まだ150年しか経っていないが、寿命は短く、弱ってきている。
ただ、この桜は「活着率」が良いので重宝されてソメイヨシノ一色になってしまった、と嘆いている。
古いソメイヨシノの木で残っているのは、日露戦争の戦勝記念というのが一番多い。明治39年(1906年)頃である。
関西で多いのは昭和11年。というのは昭和9年に室戸台風と大水害があって、その復旧の後に植えた。
それから昭和15年(1940年)は紀元二千六百年記念に植えたのが、いま残っている古いソメイヨシノという。
それにサクラは日本軍隊とともに歩んできたので殆どの聯隊のあとにはサクラがある、という。
それでも名を残してゆくのは、やはりヒガンザクラかヤマザクラだという。
ヒガンザクラは枝垂れるから、どちらかというと女性的。ヤマザクラは幹もしっかりしているから男性的。

もっともっと佐野藤右衛門の本などに深入りしたいが、この辺で終わりにしたい。


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