K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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平和とはそら怖しく無花果啖ふ・・・・・高島茂
高島茂句集しょういき

──高島茂の句──再掲載・初出2009/04/22

  平和とはそら怖しく無花果啖ふ・・・・・・・・・・高島茂

この句は高島茂第五句集『麞域』(しょう・いき)(平成5年7月14日 卯辰山文庫刊)に載るものである。
この本はネット上の「古書店」で1500円で買った。
箱入りで本も箱も「硫酸紙」で巻いたもの。昔は、このように「硫酸紙」で巻いた本が多かったが、今では珍しい。
「謹呈」札が挟み込まれていて、作者がどなたかに進呈されたもののようで、読んだ形跡のないような新品同様の本である。
こういうことは私にも経験がある。
歌でも俳句でも、その筋のトップの人々には大量の歌集や句集が毎日贈られて来るから、彼らは「読むこともなく」定期的に古書業者を呼んで引き取らせるのである。
因みに、私の歌集も古本としてネット上に売りに出ている。
むしろ、こうして古書として出回ることを私は喜んでいる。
読んでくれない人のところにあるよりも、ネット上で探して買ってくれる人があるというのが幸せである。

征夫氏からご提供いただいた高島茂の略歴を引いておく。
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高島茂の略歴

大正9(1920)年1月15日、東京・芝神明町に生まれる
昭和16(1941)年1月6日 麻布歩兵第一連隊に入営。1月16日、満州へ送られる
昭和17(1942)年 肺結核を発病。療養中「ホトトギス」投稿、翌年初入選
昭和18(1943)年 内地に送還。終戦まで福島の療養所生活。満州の戦友の部隊は南太平洋ロタ島に送られほぼ全滅す
昭和20(1945)年 終戦。秋に実家の高円寺に帰り、魚屋を手伝う
昭和21(1946)年 新宿西口に「ぼるが」の前身の酒場を開く
昭和22(1947)年 俳句結社「暖流」に入会

昭和24(1949)年 「ぼるが」創業

昭和30(1955)年 第三回暖流賞受賞

昭和34(1959)年 「ぼるが」を現在地に移転

昭和61(1986)年 第34回現代俳句協会賞受賞 この間、初句集『軍鶏』(昭和39年)、『冬日』(昭和50年)『草の花』(昭和59年)を刊行し、この年『鯨座』を上梓

平成2(1990)年 「獐(のろ)の会」発足 代表となる

平成5(1993)年 『麞(しょう)域』刊

平成11(1999)年8月3日心不全により死去。享年79歳 この年2月まで大腸癌の療養中にもかかわらず、「ボルガ」に出て陣頭指揮。生涯現役を貫く。

平成12(2000)年 遺句集『ぼるが』刊

平成13(2001)年 遺句帖『武川抄』刊
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先ず、この難しい字は「鹿かんむり」の下に「章」という「旁」が一字になったものである。(図版参照のこと)
これは、この結社「獐」(犭偏に章)と同じ意味の字であり、東アジアに生息する「のろ鹿」のことである。
判りにくいので、今は結社としても「noRo」と表記されている。
なぜ、こんな「のろ」という名前を結社の名にされたのかを考えると、おそらく兵士として満州の地に居たときに野生の「のろ鹿」をよく見られたのではないか。
戦地で結核を発病したことと言い、この地の風物が作者の句作の原点になっているからであろうか。

句を見てゆくと、作者は戦地に行ったことの体験から、この句があるのである。
そんな体験からすると、今の世相は「平和ボケ」のように見えたのではないか、それが「そら怖ろしく」のフレーズになっている。
「啖う」は「食う」にも「食らう」にも訓(よ)めるが、ルビがないので、どちらにも訓んでもらっても結構だ。
はじめにお断りしておくが、「いちじく」は今の時期の季語ではないが、この句集全体の中から選んだ句なので了承を得たい。
アダムとイブの西洋の「肉欲の原罪」の神話に「禁断の木の実」として出てくるイチジクの「喩」も、この句の鑑賞の場合には重要だろう。
あれこれ考えて、この句の「訓みかた」としては「無花果」は「いちじく」とは訓まずに漢字のまま「ム・カ・クワ」と発音し、「啖ふ」は無難に「くう」として5音に収めたい。

以下、私の選んだ句を列挙したい。合計46句になるが約一割弱ということだ。

■眼には見えぬトリハロメタン水温(正字)む

■狙撃(正字)の日連翹遠く眩しめり

■いくたびも少年と遇ふ日永かな

■羅や虚(正字)子に會ひたる日に似たる

■しいんと灼け鏡太郎忌の氣球浮く

■妄執に似たり青(正字)梅手の中に

■のつそり出る霧の太陽蟹臭し──網走

■富士見えず二十三夜の湖に彳つ──山中湖

■登校拒否身近に雨の冬至なり

高柳重信逝きて
■あざやかな沒後を雨のゆすらうめ

中村草田男死す
■汗で濡れる體つめたく汗流る

「鏡太郎」とは高橋鏡太郎のことで、先に書いた『俳人・風狂列伝』にも名が挙がる人であり、また高浜虚子、高柳重信、中村草田男など著名な俳人との交友が偲ばれる。
俳句では「弔」句というのが重要視される。その意味でも、これらの句は大切にしたい。
「登校拒否」の句は、恐らくご子息あるいは孫のことだろうが、他人事のように聞いてきたことが身近に起こったのを句にされた。
こういう「時局性」も俳人には必要である。
「トリハロメタン」の句も同様であり、時事性を捉えて秀逸である。
「狙撃の日」の句から、先に述べたような印象を私は抱いたのである。

■眼を病みてしみじみ雪の角館

■金蘭を生けてはるかな土偶の目

この句は、征夫氏が私の歌

    呼ばれしと思ひ振り向くたまゆらをはたと土偶の眼窩に遇ひぬ・・・・・・・木村草弥

と「唱和」して彼のBLOGに掲載していただいた思い出の句である。

■認識票肌になかりし今朝の秋

「認識票」とは、軍隊で兵士の体に付けさせるもので、このことからも作者が戦争体験があるという私の認識の根拠となるのである。
兵士たりし日々には肌身離さず身につけていた「認識票」が今はもう身にはまとっていない、ああ平和なんだなぁ、という感慨である。
その「平和」というのも、掲出句のように「そら怖ろしい」ものなのである。この辺の屈折した作者の「想い」を汲み取りたい。

■けもの臭き忘れ襟巻茂吉の忌

■笹のひと葉身に食ひ入りて蟇交る

■平等村手押ポンプも春なれや

■しばらくは鶴の見えゐし陶枕

■鮟鱇などわが風狂の友にして

■梧桐の寒の芽むつくり脂ぎる

■冬日のぬくさ背にありエル・グレコの繪

■空即(正字)是色はるかなる白さるすべり

■凡兆のその後知らず牽牛花

■手のさきの闇ふかぶかと鉦叩

■秋暑し死魚をむさぼる龜のをり

■疵ひとつなくて大きな朴落葉

■しぐれゐてやがて本降り桂郎忌

■おのづから瞠るくらさの寒卵

■軍靴に似しゴッホの短靴かなしかり

■へくそかづらなんじやもんじやも梅雨しとど

■うらごゑのどこかしてをり夾竹桃

七月十三日
■あと幾日生きては梅雨の五日月

■鳥となり還りきませり梅雨ふかし

この「七月十三日」という日付がどういう意味か、また、この句につづく「鳥となり」の句は、今の私には判りかねるが、重い句である。

■うすうすと山茶花の襞わがエロス

■それとなくいのちのことを息白し

■佐伯祐(正字)三のたましひの繪と五月は會ふ

■聲あげて花火の傘下誰か老ゆ

■點鬼簿に入りしその名を蟲のこゑ

■ふたり子の描きし凧を枯田に置く

■哲學をまなびし道の雪蟲よ

■銀河鐵道の夜の劇に出て卒業す

この三句を詠んだ対象の人が、どなたか私には判らないが昭和終末の頃の作品ということから、「孫」のことであろうか。

■荒梅雨やこんなところにへのへのもへじ

■東京を追はれし守宮の塀もなし

■ガラス繪の裸婦うしろむき無月なり

■戰爭の火の消えざるに昭和終る

■ながかりし昭和を悼み白鳥みる

この句集は昭和63年─つまり昭和の終焉を以って終っている。大正生まれとは言え、生涯の殆どを「昭和」とともに生きた作者として格別の感慨があったであろう。
引用した終わりの二句に、それがよく出ている。
この句集は編年で作られており、昭和57年─77句、58年─58句、59年─59句、60年─58句、61年─60句、62年─92句、63年─96句、合計500句が含まれている。この中から私の恣意で、上のような句を選んだもので、選びきれていないものも多いと思うが、今回は、この位にして終る。気がつけば加筆、訂正したい。
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TB9ボルガ
 ↑ ただし壁面を這っていた「蔦」は、今は無いようである。

先にも引用したが
高島茂氏創業の「ぼるが」の紹介記事を引いておく。


新宿西口・老舗の居酒屋『ぼるが』

高島東さんにお話を伺いました。

 新宿駅西口から徒歩3分、小田急ハルクの裏手にある居酒屋『ぼるが』。煉瓦造りの建物にはツタがからまり、なんとも風格のあるたたずまい。店先からは焼き鳥のいい匂いがたちこめ、その煙につられて毎晩多くの人々が集います。150席ある店内は、20時を過ぎるとほぼ満席に。

 「当店は昭和24年に思い出横丁に開店し、昭和33年に現在の場所に移転しました。山小屋をイメージして造られた店内では、テーブルや椅子、ランプなどの照明器具も当時からのものを使っています。看板メニューの『ばん焼き』は、豚のモツ焼きと焼き鳥の盛り合わせ。開店当初は“ばん”という鳥の焼き鳥をお出ししていたことから、この名前で呼ばれています。また、今ではすっかり居酒屋の定番となった『酎ハイ』も、当店ではかなり昔からのメニュー。『焼酎を他の飲み物で割ってみたら美味しいんじゃない?』というお客さまからのリクエストから生まれたそうです。他にも、“山のキャビア”と呼ばれる『とんぶり』や、季節のメニューなどもおすすめですよ。」

 『ぼるが』という店名は、俳人でもあった先代オーナー(高島茂氏)がロシア南西部を流れる大河・ボルガ川にちなんでつけたもの。お店にはこの先代オーナーを慕い、多くの映画人や文学者、画家などが集まり、文化人のたまり場としても有名です。

 「映画監督の山本薩夫さんや、熊井啓さん、直木賞作家のねじめ正一さんなど、多くの方と家族ぐるみでお付き合いさせていただいています。みなさん、我が家のようにくつろいでくださってますよ(笑)。また、先代から受け継いだ俳句の会『(のろ)の会』(現在は先代オーナーの息子さん・高島征夫氏が主宰)も当店を拠点に活動していますので、文芸に興味のある方はぜひ一度いらしてみてください。」

 幼い頃から新宿に縁の深い高島さん。ご自身は映画の大ファンで、週末などはお店が終わってからオールナイト上映を見に行くこともあるそうです。そんな高島さんが語る、新宿の魅力とは?

 「新宿は言わずと知れた大都会。新しいお店や流行りのスポットなどが次々とできる一方で、人の暖かみを感じさせてくれる昔からのお店も残っている。人々が求めるその両方を兼ね備えているところが1番の魅力ですね。『ボルガ』も、これからもずっと変わらずに、ここで皆さんのお越しをお待ちしています。初めての方、お久しぶりの方、もちろん常連さんも大歓迎です!」
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住所: 東京都新宿区西新宿1-4-18
TEL: 03-3342-4996
営業時間: 17:00~23:00(ラストオーダー 22:00)
日曜・祝日休み
アクセス: 「新宿」駅西口より徒歩3分

一見居酒屋には見えない個性的な店構え。バックには高層ビル群がそびえます。

木の温もりあふれる店内。カウンターには民芸品なども飾られています。

テーブル席やお座敷など、さまざまなスタイルで楽しめる2階フロア。

やさしいランプの明かりが、和みの空間を演出。


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