K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
201705<<123456789101112131415161718192021222324252627282930>>201707
NHK朝ドラ「べっぴんさん」のモデルについて・・・・・・木村草弥
pic_ishizu02.jpg
↑ 石津謙介
122d4bd9f5e84c95932392512e4a973c.jpg
↑ 「ファミリア」創業者・坂野惇子

──映画鑑賞──

     NHK朝ドラ「べっぴんさん」のモデルについて・・・・・・・・・・・・・木村草弥

このドラマは実在した神戸の会社「ファミリア」などがモデルになっている。
このドラマについてはWikipediaなどに詳しい。
ドラマに登場する人物などの詳しいブログ「べっぴんさんのモデル・坂野惇子の立志伝」というサイトはドラマの進行に合わせて読めるので、ご覧ください。
ここでは、それらの事実について追っかけることはしない。
私の青春時代にも存在した事象に触れて、回想的に書くことになる。

キアリスのモデルは老舗子供服メーカーの「ファミリア」
連続テレビ小説『べっぴんさん』がいよいよ今週をもって終わる。
清川あさみさんが刺繍担当されたオープニングにはじまり、夢に向かって邁進する女性たちの姿に、朝から元気をもらえた。
ドラマで躍動する4人の女性たち、「きみえ」「あけみ」「りょうこ」「すみれ」。
それぞれの頭文字をとって「キアリス」と名付けられたメーカー。
そのモデルとなっているのが、今でも多くの人々に愛される老舗子供服メーカー「ファミリア」である。
主人公・坂東すみれのモデルとなった人物が、ファミリアの創業者の一人、坂野惇子(ばんのあつこ)氏。

●坂野惇子
レナウン創業者佐々木八十八の3女として誕生した坂野さんは、戦後の神戸山の手で、労働経験の少ない女性友人たちと力を合わせベビー洋品店を開店。「子どものため、ママのため」の服作りに情熱を注いだ。
昭和25年に創業したメーカー「ファミリア」は、阪急百貨店への出店を皮切りに、その後多くの百貨店に出店を続け、今や皇室御用達の子供服メーカーになるまで成長を遂げた老舗子供服メーカーである。

この店舗はママ同士がコミュニケーションを取りやすいように設計されており、ワークショップやパーティーイベントなども数多く企画されている。
創業当時の「子どものため、ママのため」というコンセプトが、今なお強く受け継がれていることがわかる。

株式会社ファミリアは神戸市に本社を置くベビー・子供服メーカーの名門だ。終戦まだ間もない1948(昭和23)年に4人の主婦が始めた「赤ちゃんにも、お母さんにも、誠実な製品作り」をポリシーにしたビジネスは堅調に成長した。いまや社員825名(男性88名、女性737名)を擁し、年商は119億9200万円(いずれも2016年1月期)に達する。
 創業〝主婦〟の一人・坂野惇子さんの孫で、同社代表取締役社長・岡崎忠彦氏(46)はこう語る。
 「小さい頃、実家から近かったので、毎週末、おじいちゃん・おばあちゃんの家に泊まりに行きました。その際に、明日着る服やズボン、靴をおばあちゃんにプレゼンテーションします。『この洋服にはこれを合わせて、この靴を履きます』といった感じです。でも、ダメだしが出ることもあるんですね。その時には家までダッシュで帰り、別のコーディネートを提案します。今思うと、これが私のセンスを磨くのにとても役立ちましたね」
 ファミリアを創業した主婦とは、坂野惇子、田村光子、田村枝津子(のちに江つ子と改名)、村井ミヨ子の4氏である。その中で岡崎社長が愛情を込めて「おばあちゃん」と呼ぶ坂野惇子さんが、NHK朝ドラ「べっぴんさん」のヒロインである「坂東すみれ」のモデルにほかならない。
 惇子さんと夫・通夫みちお氏との間にできた一人娘は、神戸を拠点とした岡崎財閥の流れをくむ岡崎晴彦氏(のちのファミリア2代目社長)に嫁ぎ、2人の間にできた長男が忠彦氏だ。忠彦氏は惇子さんにとっての初孫にあたる。

 4人の創業者の中で最も年上なのが田村光子さんで1907(明治40)年に生まれた。以下、18(大正7)年生まれの坂野惇子さん、19(大正8)年生まれの田村枝津子さん、23(大正12)年生まれの村井ミヨ子さんと続く。
 この4人の主婦には極めて特徴的な共通点がある。いずれも正真正銘、筋金入りの「深窓の令嬢」だったという点だ。
 惇子さんは佐々木営業部(現・株式会社レナウン)の創業者で貴族院議員を務めた佐々木八十八氏を父にもつ。光子さんの父も同じく貴族院議員で、洋反物卸問屋・神田屋田村商店(現・田村駒株式会社)の創業者・田村駒治郎氏だ。また、光子さんの義妹であり、惇子さんと甲南女学校で同級生だった枝津子さんの父は、ゴムベルトを製造する阪東調帯護謨株式会社(現・バンドー化学株式会社)の社長・榎並充造氏である。最後のミヨ子さんは日綿実業株式会社(現・双日株式会社)の東京支店長で、海外赴任も長かった中井栄三郎氏を父にもつ。

このドラマの中で英輔として登場するが、ドラマはあくまでもフィクションであり、モデルの生きた事実とは違う。
モデルになったのは、私たちの青春時代に一世を風靡した「ヴァン・ルック」を創始した石津謙介である。

石津 謙介(いしづ けんすけ、1911年10月20日 - 2005年5月24日)は、20世紀に活動した日本のファッションデザイナー。「ヴァンヂャケット(VAN)」の創業者。高度経済成長期にあたる1960年代の日本に登場した男性ファッション「アイビールック」の生みの親で、“メンズファッションの神様”と呼ばれた。日本メンズファッション協会最高顧問。岡山県岡山市出身。
明治大学在学時には自動車部や航空部を創部した
岡山の紙問屋の次男として生まれる。岡山師範学校附属小学校から旧制第一岡山中学(現・県立岡山朝日高校)を経て、明治大学商科専門部に入学。スポーツ万能であるとともに流行の先端をいく遊びに長け、明大在学中はオートバイ・クラブ、自動車部、航空部などを創部した他、ローラースケート、乗馬、水上スキーなどにも興じた。また、現在の金額にして約40万円程度にもなる背広を誂え、当時最先端の流行・風俗を楽しむという学生生活を送った。
明大卒業後は実家の紙問屋の経営を引き継ぐ。趣味でグライダーを自製・操縦し、日本軍航空兵の訓練の教官などもしていた。1939年には妻子とともに中華民国・天津の租界に移住し、服飾関連の仕事に従事した。太平洋戦争終戦後、米国東海岸の名門大学(アイビーリーグ)出身者である米国兵士の通訳を担当し、伝統を活かしたアイビーファッションの魅力を学んだ。
帰国後は佐々木営業部(レナウン)勤務を経て、1951年に独立し、大阪市南区に石津商店を設立。1954年には「有限会社ヴァンヂャケット」に改組し、「VAN」ブランドを発表する。ネーミングは「前衛」「先駆」を意味するヴァンガード (Vanguard) にちなんでおり、写真評論家の伊藤逸平が出版していた風刺雑誌「VAN」から使用許可を得ていた。
特にブレザーとボタンダウンシャツをベースとした学生のファッションスタイルを「アイビールック」として紹介し、若者のファッション文化に改革をもたらした。さらに銀座にある「みゆき通り」をそれを着た若者で埋め尽くす「みゆき族」まで登場した。

このドラマに「坂東営業部」として登場するのは、「レナウン」である。
「レナウン、レナウン」と連呼する華やかなコマーシャルなどは、今も耳に残る。それは、こんな会社。 ↓

株式会社レナウン(Renown Incorporated)は、東京都江東区に本社を置くアパレル企業である。中国の繊維会社大手、山東如意グループ(山東省)の連結子会社。
創業者の佐々木八十八が、1902年(明治35年)に大阪で衣料品の販売を手掛ける「佐々木商会」を設立。その後メリヤスを中心とした繊維商品の製造も手掛けるようになり、1923年(大正12年)から、その前の年にイギリスの皇太子エドワードが訪日した際の御召艦「レナウン」にあやかり、「レナウン」を商標に登録し用い始める。また、グループ内のダーバンも、供奉艦として「レナウン」に同行していたイギリス巡洋艦「ダーバン(英語版)」からの命名である。
1960年代より、若い女性向け衣料品メーカーとして人気を博した。NETテレビ(現:テレビ朝日)の『日曜洋画劇場』でCMを放送し、特に小林亜星作曲によるCMソング「レナウン娘」と「イエイエ」でなじみの、弘田三枝子歌唱による「ワンサカ娘」のプロモーションは、ポップなファッショナブルさと女性を全面的に押し出した内容で、日本で初めて日本国外のCM作品賞を受賞し「日本のCM製作レベルを国際級に押し上げた」と評されている。また、1980年代には、CMのサウンドロゴに電子音を用いるという、現在でも画期的な試みをしたこともある。(1990年1月にロゴマークを一新していた。

しかし繊維産業の浮沈はひどく、レナウンも今や中国企業の子会社となっているのである。




コメント
コメント
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
トラックバック URL
トラックバック
copyright © 2017 Powered By FC2ブログ allrights reserved.