K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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パンにバタたつぷりつけて春惜む・・・・久保田万太郎
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 ↑ 久保田万太郎生誕地の碑

    パンにバタたつぷりつけて春惜む・・・・・・・・・・・・・久保田万太郎

今日5月6日は久保田万太郎の忌日で、死んだのは昭和38年5月6日である。
梅原龍三郎邸訪問中、食事誤嚥下による気管支閉塞のために急死した。享年73歳。
以下、ネット上に載る経歴を転載しておく。

小説家、劇作家、俳人の久保田万太郎は明治二十二年(1889)東京に生まれました。
中学時代から俳句を作り、慶應義塾大学在学中、機関誌「三田文学」に小説「朝顔」、戯曲「遊戯」を掲載し文壇に登場します。
以来、下町情緒を描く独自の作風で、「末枯」「春泥」「市井人」などの作品を著わしました。
大正八年から七年間慶大の嘱託となり、文学部予科で教鞭をとります。
大正十五年久米正雄とともに東京中央放送局の嘱託となり、後に文芸課長に就任し、放送演劇の振興に貢献しました。
昭和七年築地座が結成されると演出も手がけ、十二年には岸田国士、岩田豊雄らと劇団文学座を結成して活躍し、演劇界の指導的地位を占めました。
俳句は、岡本松浜、松根東洋城に師事し、俳誌「春燈」を主宰します。
俳句は小説や戯曲の片手間につくる余技としながらも、句集に「道芝」「ももちどり」「流寓抄」などがあります。昭和三十八年(1963)七十三歳で亡くなりました。
鎌倉には、昭和二十年空襲で東京の家を失ったため、友人の計らいで材木座に居を定め、三十年に再び東京へ戻るまで十年間住みました。
その間、鎌倉ペンクラブ会長を務めるなど、鎌倉文士との交流を深め、瑞泉寺には句碑があります。

「芸術院会員」に選ばれ、また「文化勲章」を受けた。

2013033018183295e万太郎句集

久保田万太郎については、このBLOGでも再三採り上げた。
万太郎は、俳句を「余技に過ぎず」としたが、自由軽妙、しかも生のありようをかなしく詠う。余技ゆえに絶妙なところがあった。
「傘雨忌」とも言うが、傘雨は一時の俳号である。
「万太郎忌」という季語になっているが、彼を偲んで、こんな句が知られている。

 こでまりのはなの雨憂し傘雨の忌・・・・・・・・・・・・安住敦

 万太郎逝きて卯の花腐しかな・・・・・・・・・・・石田波郷

 あぢさゐの色には遠し傘雨の忌・・・・・・・・・・・・鈴木真砂女

 居流れて閨秀多し傘雨の忌・・・・・・・・・・・・久永雁水荘

 傘雨忌や「春泥」よりの一読者・・・・・・・・・・・・小林旭草子

 万太郎忌ことしのあやめ咲く遅し・・・・・・・・・・・・成瀬桜桃子

 万太郎忌らしくなく晴れあがりたる・・・・・・・・・・・・西山誠

 万太郎忌川のあちこち弟子のゐて・・・・・・・・・・・・大井戸辿

今、私のBLOGで「久保田万太郎」を検索してみたら、なんと114件もの引用をしていることが分かった。先にも書いたが、私は彼の自由軽妙な句作りが好きである。
2009/02/09に採り上げた「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」の最晩年の句の寂しさが、今の私の心に、惻々と迫ってくるものがある。


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