K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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高島屋史料館『与謝野晶子と百選会─作品と資料』・・・・・・木村草弥
高島屋

──新・読書ノート──(再掲載・初出2015/05/10)

     高島屋史料館『与謝野晶子と百選会─作品と資料』・・・・・・・・・・木村草弥
                     ・・・・・・・・高島屋史料館2015年4月刊・・・・・・・・・

戦前「百選会」は「上品会」を生み、戦後は「ヌーベルモード」「シャンブル・シャルマント展」など、洋装や家具、インテリア分野の高島屋オリジナル催事の基になった。
海外ブランドのカルダンなど他店に先駆けて取り入れている。
このような、高島屋における進取の気性やチャレンジ精神は、生活に美や潤いをもたらそうとする呉服店時代から培われていたが、
大正デモクラシーやモダニズムの進展を背景に、百貨店草創期の「百選会」によって育まれた伝統である。
百選会の趣意・テーマづくりや染織業界との協調などの新しいシステムは、高島屋独自の企業文化を生んだ。
百選会はまさに高島屋の「ものづくり」の原点と言えよう。
与謝野晶子招聘(1917年)の役割を果たした宣伝部員・川勝堅一は、のちに取締役就任(1936年)に際し晶子から
   <人に過ぎ抱く心の深ければ世を幸ひす行はんこと>
をはじめ、祝いの歌15首を贈られている。
百選会が一企業の流行催しという枠を超えて美学者、美術家、文学者、詩人・歌人、著名文化人らを集め、文化サロンのような広がりを見せて文化事業と評価されたのには、
与謝野晶子と川勝堅一のベスト・コンビによる二十年余の活動が大きく働いている。
百選会を舞台にした彼女の「きもの賛歌」は、その象徴にほかならない。しかもそれは、ものづくりに精進した人たちへの応援歌であり、人間賛歌でもある。
百選会で、晶子が最後に詠った
  <今ののち世を美しく包むべき朝霧いろと思はるるかな>(1940年)の歌から七五年が経過した。そして彼女の詩歌の全容が初めてまとめられた。

この本には、解説として
「前衛的な百選会と与謝野晶子の貢献・・・・・・・木村重信(大阪大学・京都市立芸術大学名誉教授)」
という13ページに及ぶ文章が載せられているが、この本は同氏から贈られたものである。

この百選会に出品された呉服に寄せて、晶子が詠んだ歌、あるいは晶子の発想によって呉服が製作された、など、百選会と晶子の歌とは、切り離せない関係にある。
詠まれた歌も、みな優れた、芸術性高いもので、与謝野晶子作品集にも未採録と思われるので、関係者によって全集に加えられるよう要望したい。

ここで、百選会に晶子が寄せた歌のいくつかを引いておきたい。

  わたつみのうしほの色を上に着て風流男(みやびを)達へものいひてまし

この歌は百選会に初めて賛歌を所望されたときの冒頭の歌。1921年大正10年、第17回春の回に寄せたものである。

  銀糸もて倭模様を衣におく楊家の女さへしらぬことかな

「楊」とは玄宗皇帝に寵愛された楊貴妃のことである。

  あなめでた秋のものとて少女子(をとめご)もマロンの色を許されにけん

  いにしへの清女も書きぬわれも言ふ春は曙むらさきの佳し


「清女」とは、枕草子の清少納言のことである。

  鹿の子刺繍(ぬひ)しぼり摺箔古代をばひとり忘れぬ高島屋かな

  うぐひすは霧の金紗の手ざはりに胸の迫ると暁に鳴く

  高円の蔦も立田のもみぢ葉もまたたをやめに添ふ日となりぬ

  いつまでも流行の衣が心ひくおのれを保ち行くよしもがな

  新しくルイ王朝のロココをばとりなす色の臙脂と鬱金

  友染も籠も紫雲英(げんげ)と蒲公英(たんぽぽ)を盛りぞ集むる少女子のため


  金糸をば間道とするすさびなど心憎かる機少女かな

  追ひ風の源氏の君の身に沁みし桂の色を衣に着なまし

  この店に購ひがたきものも無し一世紀をば守りこし故


この歌は1932年春のもので、高島屋の創業百年に祝意を表したものである。

  羽の色を人に許してうたふなり鳥の中なるかなりやの貴女

  海越えて来し南国の木の実をば銀の地に織るくれなゐの糸


百選会に寄せた晶子の歌は総数470 に達するという。 ここに引いたのは、ほんのささやかなものに過ぎないが、ご了承を得たい。 
なお、ここに書いた文章は、本誌に載る表田治郎「あとがき」と「きもの賛歌」の記述と、晶子の短歌の引用に多くを頼ったことを明記し、ご了承と、お許しを願いたい。
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この記事を「再掲載」したのには理由がある。
私の兄・木村重信が今年の一月末に亡くなり、表田治郎氏から電話をいただいた。
此処に載せた冊子の出版にあたって表田治郎氏は何度も重信宅を訪問されたらしい。
兄が死んで、何度か連絡を取ろうとされたが繫がらないので私のところに電話して来られたようだ。
しばらく時期を置くように申し上げたが、死の前後というのは仕方のないものである。
そんな経緯があったので、時期的にも二年目となるので敢えて「再掲載」させてもらった。





 


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