K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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みほとけの千手犇く五月闇・・・・能村登四郎
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 ↑ 京都・三十三間堂の千手観音の一部

    みほとけの千手犇く五月(さつき)闇・・・・・・・・・・能村登四郎

今日5月24日は能村登四郎の忌日である。
それに因んで記事を載せる。

昼なお暗い五月雨(さみだれ)どき。大寺の御堂の中にたたずんでいると、不意に眼前に立つ千手観音の手がひしめくような気配を感じたのである。
この観音は多分大きな仏像であろう。
五月闇と言われるほど陰鬱な梅雨時の薄暗がりの中で、長い歳月を経た仏像に秘められている魔性が、ふとざわめいたような思いのする肌寒さ。
「千手犇く」が次の「五月闇」と重なって、仏像のある意味では不思議に官能的な側面を引き出している。
千手観音像は普通40本の手で表わされる。
掌中にはそれぞれ一眼を備え、一本の手毎に二十五有(う)を救うとされているところから、25×40=1000で「千手」と言われる。

昭和59年刊『天上華』に載る。

能村登四郎は明治44年東京生まれ。国学院大学卒。水原秋桜子に師事。「沖」主宰。
第8句集『天上華』で1984年「蛇笏賞」受賞。第11句集『長嘯』で1993年第8回「詩歌文学館賞」受賞。
平成13年没。

↓ 写真②は、石川県七尾市和倉温泉に建つ能村の句碑である。 <春潮の遠鳴る能登を母郷とす  登四郎>
略歴には、みな「東京生まれ」と書かれているが、この句のように、彼は石川県の「能登」を母郷としている、と言う。
この句碑の説明文によると、祖父が、ここの出身だという。

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すこし能村の句を引く。

 くちびるを出て朝寒のこゑとなる

 ぬばたまの黒飴さはに良寛忌

 寡作なる人の二月の畑仕事

 妻のほかの黒髪知らず夜の梅

 白鳥の翅もぐごとくキャベツもぐ

 梅漬けてあかき妻の手夜は愛す

 白川村夕霧すでに湖底めく

 優曇華や寂と組まれし父祖の梁

 秋蚊帳に寝返りて血を傾かす

 花冷えや老いても着たき紺絣

 夢の世と思ひてゐしが辛夷咲く

 男梅雨かな三日目は蘆伏して

 朴散りしのち妻が咲く天上華

 墓洗ふみとりの頃のしぐさにて

 秋蒔きの種子とてかくもこまかなる

 ほうたるの火と離れたき夜もあらむ

 今思へば遠火事のごとくなり

 ゆつくりと来て老鶴の凍て支度
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あたらしき声出すための酢牡蠣かな
おぼろ夜の霊のごとくに薄着して
きのふてふ遥かな昔種子を蒔く
すぐ帰る若き賀客を惜しみけり
たわいなき春夢なれども汗すこし
てのひらの艶をたのめる初湯かな
ひだり腕すこし長くて昼寝せり
べつたりと掌につく春の樹液かな
むばたまの黒飴さはに良寛忌
ゆつくりと光が通る牡丹の芽
よき教師たりや星透く鰯雲
ガニ股に歩いて今日は父の日か
一雁の列をそれたる羽音かな
一撃の皺が皺よぶ夏氷
一度だけの妻の世終る露の中
羽蟻ふり峽のラジオは悲歌に似て
煙管たたきて水洟漁夫の不漁(しけ)ばなし
遠い木が見えてくる夕十二月
夏つばめ同齡者みな一家なす
火を焚くや枯野の沖を誰か過ぐ
火取虫男の夢は瞑るまで
花冷えや老いても着たき紺絣
潟人の大長靴が枯るゝ戸に
葛の花遠つ江(あふみ)へ怨み文
気に入りの春服を出す心当て
去年よりも自愛濃くなる懐手
教師に一夜東をどりの椅子紅し
教師やめしその後知らず芙蓉の實
隙間入る雪四十なる平教師
月明に我立つ他は箒草
己が糞踏み馬たちに冬長からむ
吾子すがる手力つよし露無量
今思へば皆遠火事のごとくなり
今日の授業誤ちありし青葉木萸
紺の厚司で魚賣る水産高校生
妻死後を覚えし足袋のしまひ場所
削るほど紅さす板や十二月
鮭の切身の鮮紅に足止むる旅
子とみれば雪ゆたかなり童話劇
子にみやげなき秋の夜の肩車
子等に試驗なき菊月のわれ愉し
紙魚ならば棲みてもみたき一書あり
秋づきし母の嶺負ひし檜挽き
秋燕をくらきが吸ふ遠山家
秋風に突き当りけり首だせば
春ひとり槍投げて槍に歩み寄る
初あかりそのまま命あかりかな
身にしみて一つぐらいは傷もよし
甚平を着て今にして見ゆるもの
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明治44年に東京に生まれる。
国学院大卒。市川高校に40年勤務し、俳人として活躍する。戦前から水原秋桜子の「馬酔木」に投句し昭和24年に同人となる。
昭和45年俳誌「沖」を創刊し平成13年春まで主宰。
昭和31年句集『咀嚼音』で現代俳句協会賞、昭和60年句集『天上華』で蛇笏賞、平成4年『長嚼』で詩歌文学館賞を受賞し、俳壇の賞を総なめにした。
身辺の日常の中に幻想や心象を見るイメージ俳句を追求し評論もおこなっていた。
代表句に「春ひとり槍投げて槍に歩み寄る」がある。
平成13年5月24日八幡にて逝去。

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