K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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堀井令以知『言語文化の深層をたずねて』・・・・・木村草弥
堀井

──新・読書ノート──(再掲載・初出2015/05/30)

     堀井令以知『言語文化の深層をたずねて』・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・・・・ミネルヴァ書房2013/05/30刊・・・・・・・・

先に「エッセイ」として堀井令以知の死去にまつわるエピソードなどを載せたが、彼の「自伝」の本である。
先のエッセイと一緒に読んでもらいたい。
さっそくアマゾンから取り寄せたのが、画像に出した本である。
このシリーズの本としては2012年に日本史学者・上田正昭の本を買って読んだことがある。 
堀井令以知の本は、もっと分厚くて詳細な索引も付く学術的な体裁である。

この本に入る前に、ネット上で「京都流・古都技」というサイトに堀井令以知のインタヴュー記事が三回にわけて載っていたので紹介する。
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2007年1月17日水曜日

≪特別編≫関西外国語大学 堀井令以知教授 <前編>
今月の京師は≪特別編≫でお送りします。
特別編第二回目は『関西外国語大学 堀井令以知教授』です。

幼い頃から言語学者を目指し、現在フランス語と京ことばと共に教壇に55年立っておられる堀井先生に身近に使われている“京ことば”の意外に知られていない裏話をじっくりと三話に分けて掲載いたします。お楽しみ下さい。
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教壇に立って55年
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―― 京都出身とお伺いしたのですが、幼い頃はどのようなお子さんだったのでしょうか。
“言語”には興味がおありでしたか?

私は大学の教壇に立って55年になります。非常勤なども含め、全部で11大学で教えてきました。
1925年生まれで、中学校1年生の時の志望欄に夢は『言語学者』と書きました。幼い頃から『言葉』には興味がありましたし、関心を持っておりました。

子どもの頃も今と変わりません。終始そんなに目立つところもなければ、それほど引っ込むこともなく、普通の子でした(笑)。

私の住んでいた京都の家は、今ではもう建築150年経っております。古い家ですが、今でもまだ残っており、親戚の者が守ってくれています。

うなぎの寝床、間口が狭い割には奥行きがある家、いわゆる町家で暮らしていたので、当然京都の伝統ともふれあい、京都御所によく散歩に行きました。

現在、私は関西外国語大学で言語学とフランス語も教えています。戦前、私の家が『欧文の印刷屋』をやっていたことと関係があります。
東一条に関西日仏学館があるのですが、初代の学館長ルイ・マルシャン氏は印刷の用事で自宅に来られました。テキストを作ったり、学館の仕事を請けていたのです。
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言語学者
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―― どうして言語学者になろうと思われたのですか?

中学生の頃、私が言語学者になろうと思っていたのには、新村出先生という広辞苑の著者でもある先生の影響があります。

広辞苑はその当時はまだ前の辞苑の段階でした。印刷屋の父は、その辞典に非常に敬意をはらっており、父も私を言語学者にするつもりだったようです。

そんな中、私が旧制中学4年の時に太平洋戦争が始まりました。印刷屋の仕事も、欧文の仕事が出来なくなり、日本語の印刷に切り替えたのです。

そして私も軍隊へ行きました。昭和20年の6月18日まで広島の部隊でした。
原爆投下前、運よく京都の部隊へ転属になり、私は京都で「忍び難きを忍び」という終戦の詔書を聞きました。

それから、大阪外大の前身、大阪外専に復学しました。そして、言語学を勉強するために京大に行き、そこで勉強をして今日に至っているのです。
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ふるさとの言葉
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―― どのような経緯で言語を研究されるようになったのですか

大学で始めはヨーロッパ系の言語に関心を持っていました。
しかし、1950年(昭和25年)に、当時の言語学会、社会学会、民俗学会など8つの学会が連合しまして、第1回長崎県対馬の総合調査を行ったとき、『言語学会』から、一番若かったのですが、私がメンバーに加えてもらい調査に行き、全島をまわり方言を調べました。

今も元気ですが、その当時はもっと元気でしたので、上島から下島までのほとんどを周ったことが、日本語を研究しなければと思ったきっかけなのです。

私の知っている方言と言うと、何といっても、『京ことば』です。当時は京ことばの字引が一つもありませんでした。

他の地域の方言集は出版されていたのですが、肝心の京都が空白地帯だったのです。それは、研究の上で不思議なことでした。
地元のこともわからないなんて、と思い、それから少しずつ調査を始めたことが、京ことばを研究するようになったきっかけなのです。

まず考えたのは、小さい頃から、一番近くて、よく散歩をしていた御所のこともわからない、ということでした。

そこで、御所の中では、どのような言葉が話されていたか、と疑問に思ったのです。そして京都の御所のことを調べだしました。

≪特別編≫関西外国語大学 堀井令以知教授 <中編>
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京ことば
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―― 京ことばの地域の範囲はどこからどこまでなのですか?

「上がる」「下がる」

「上がる」「下がる」という地域ですね。
東入(イル)、西入という所が、おおよそ京ことばの範囲だと思ってください。ほとんど間違いありません。
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いろいろな京ことば
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私は、祇園の舞妓さんがよく使う「京ことば」は3つあると考えています。

「おたのもうします」・「すんまへん」それから、「おおきに」この3つが一番よく使われるのです。
フランスのパリで生活していても、この3つに当たることばをよく使います。おたのもうします「シルブプレ」、すんまへん「パルドン」、おおきに「メルシー」。
京都では、その3つの言葉を祇園の花街でよく使っています。おもしろいでしょ?

室町の問屋街でも使われている、いわゆる商人の言葉。ちょっと独特なのですが、これがおおよそ京ことばの典型的な町家のことばです。

もう1つは西陣のことばです。織屋さんのことば。室町ことばと共通性はありますが、ちょっとまた違います。

京都には伝統産業というのが50種類程あります。扇屋さんは扇屋さんの。そこで使われている職人ことばは他の人ではわからないような言葉です。
他には、友禅染、清水焼、竹細工、京漆器、和菓子屋、京料理などの職人ことばがあります。だから、一概に京ことばと言っても、総合的に見なければならないのです。
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はんなり
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『京都の雅びなことば』の代表のひとつは「はんなり」という言葉。元々「はんなり」というのはどういう気持ちを表すかというと、色彩について言うことが多いのです。
だから「まぁ、奥さん、ええ帯しめといやすなぁ。はんなりしたええ帯どすなぁ」と使います。

『明るい、上品、雅び、すきっとしている』という意味をかね合わせたのが「はんなり」です。
部屋がスキッと綺麗になっていることも「あぁこの部屋ははんなりしてますな」と使います。

まったり「まったりする」というのも使われ方が変わってきているんですよね。
元々は“料理用語”だったのです。またい(全)の語幹に接尾語「り」を付け、「まったり」と言ったのが起源なのですが、料理用語での使われ方は「梅酒も、数年つけますと、まったりした味やな」というふうに使うのです。とろっとしてコクがある、穏やかな味のことです。

京都は正月の雑煮は白味噌ですね。白いお味噌、御所ことばではしろのおむしと言います。しろのおむしでね、とろけるようなとろっとした味が出てくるでしょ。
そういうときの味加減のことを、「まったり」と言うのです。

ところが、その意味を若者が変えだしたんです。日曜なんかに「明日家でまったりしよう」と、そういう風に使うようになったのです。

だから、たぶん料理用語が全国区の地位を占めてきて、料理用語として、テレビなんかで放映されたんですね。
それを原宿か新宿か、あの辺の若者たちが使い出して、逆輸入されてきてしまったのです。それでこの辺にも広がってのんびりする意味になりました。
だからその意味は広辞苑には載っていません。そういう風に若者の使うことばが変遷している。
さまざまな京ことばが、若者ことばの意味に代わりつつある。急にここ数年の現象なのです。

≪特別編≫関西外国語大学 堀井令以知教授 <後編>
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言葉は常に『揺れている』
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―― 言語は変わっていきますが、言語が乱れているのをどうお考えですか?

意外とどんな言語も乱れているのです。だから私は「乱れている」という言葉は使いません。「揺れている」といっているのです。
日本語が生きている限り、動いている、揺れているのです。

そんな今の時代に、奈良時代の人が来ても平安朝時代の人が来ても何を言っているのかわからないはずです。

例えば、「つらら」と言う語がありますよね。「つらら」と言ったら、平安時代には氷のことだったのです。
当時は「つらら」のことを「たるひ」と言っていました。氷が垂れるから「たるひ」なのです。

現在でもそれは東北地方に残っていて、そこでは「たるひ」とか「たろひ」と言われています。平安時代の使い方が各地に残っていて、面白い現象ですね。

では、何故「つらら」と言うかというと、元来氷はつるつるしているから「つらら」というのです。

英語にも意味が大きく変わる語がありますよ。「ナイス」というのも、今ではいい意味で使っていますが、元々は「ばかな」という意味でした。
このように、どの言語も揺れているのです。
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「たこ」と「いか」
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普通に言うとお正月にあげるのは「たこ」ですよね。ところが、私どもが小さい時は「いか」と言っていました。
「いか」といったらみんな笑うのですが、本来このあたりは「いか地帯」なのです。

江戸時代の文献を見ると、江戸は「たこ」、上方は「いか」と言うと書いてあるのです。江戸と京都を比較して並べて記載されています。

うちの祖母は文久元年生まれなのですが、「いか」と言っていました。私の小さい時は「いか」と「たこ」どちらも知っていましたね。

何故「たこ」になってしまったかというと、『お正月』の歌が原因だと思います。
「もういくつ寝るとお正月、お正月にはたこあげて」と歌いますよね。「いかあげて」とは言わないでしょ。(笑)

京都学研都市付近を調べると「いーか」と言ったり、洛北でも、「いかのぼり」とか「いかのぼし」と言います。どうやら京都市を跨いだ南北には残っているようです。
まだ他の名称もあるのです。面白いでしょ、京都では「いか」というと逆に笑われてしまいますね。

こんなことを話し出したら、何時間あっても足らへんよ(笑)
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『おおきに』
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―― 変わってくるのが当たり前でこれは残さなあかんって言う言葉はありますか?

全国広しと言えども、京都で使われる言葉だけは京都弁・京都方言ではなく、「京都語」や「京ことば」と言い、私の著作の中でも「京ことば」・「京都語」と書きます。
それほど京都というのはプライドが高いということなのです。

京都の人が一番残したい言葉のトップは何だと思いますか?大阪の人と偶然にも一致したのです。

―― 「おおきに」ですか?

そうやね。「おおきに」がトップなのです。この頃、若い人は使わないようになっています。「ありがとう」と言うようになっていますね。

『おおきに』は江戸時代後期の後半から使い出されはじめました。
元は「おおきに」は「はなはだ・大いに」ということだったので「おおきに、お世話さん」とか、他のことばに付けられていました。
ありがとうだけでは物足りなくなって「おおきに」を付け出し、「おおきにありがとう」といった。それでは長いので省略して、「おおきに」が残ったのです。
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『ほっこり』
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『ほっこり」は本来疲れて帰ってきた時に、「やっと会議が済んでほっこりしたわ」と疲れを休める時に使います。

昔はそういう時も使ったのですが、今は使わなくなりました。今の人は「あそこの喫茶店へいってほっこりしよう」という意味で使っています。
このように、時代によって意味が変わった京ことばがいろいろあるのです。

―― 今の学生さんと先生が学生さんだったころとどう教育は変わっていますか?

それは違いますね。「先生かわいいね」と言われることがあります(笑)。でも、『かわいい』というのが始めは理解できなかったのです。
何故かわいいと言われているのか、もう言葉の感覚が違っているのです。私は常に学生と喋っていても、言葉の動態をキャッチしています。  ―終わり―
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なぜ、このようなインタヴュー記事を長々のせたかというと、本書にも同様のことが書かれていて重複するからである。
先の「エッセイ」に引いた記事にも書かれていたが、彼・堀井令以知は、この本の校正「初校」を済ませて亡くなったという。
だから、この本のはじめに書房の編集部からの「添書き」が載せられている。 
普通、校正というのは二校、三校あたりまで行うのだが、著者が亡くなったので、あとは書房の編集部が責任をもって校正したということである。

46堀井令以知
 ↑ 晩年の堀井令以知

この本の「はしがき」をスキャナで引いておく。 (文字化けがあれば指摘されたい。直します)

     はしがき
本書は私が言語学者として、幼少のころから、どのようにことばについて関心を抱き、ことばを学
習し、研究してきたかを自伝としてまとめたものである。
老齢になった私は、今では語彙論の分野で、京ことばの研究、特に御所ことばの研究において上げ
た業績によって一般に知られている。また、言語学の視点から本格的な語源研究を行い、ことばの由
来を解明するなど、日本語の研究を促進していることによっても、多くの人から評価を得ている。
ヨー口ツバの諸言語について若いころから関心があったことも、本書によつて理解していただけるで
あろう。
今までのささやかな業績は次の三分野に大別される。
第一に、京ことばについて『京都のことば』『京都府ことば辞典』『京都語を学ぶ人のために』『お
公家さんの日本語』など多くの著書・論文を執筆した。特に御所ことばは、明治維新まで京都御所で
使用され、日本語の研究に重要な位置を占めるにもかかわらず、従来、理解する人は少なかった。皇
室の御所ことば使用が減少している現今、御所ことばの研究は貴重であろうとおもう。
第二に、私は語源研究についても多くの書物を残している。『日本語の由来』のような啓蒙書をは
じめ、本格的な『語源大辞典』を作成し、『日常語の意味変化辞典』 『上方ことば語源辞典』を著し、
『決まり文句語源辞典』 『外来語語源辞典』を刊行した。
語彙論の分野において、多くの人々に日本語への関心を喚起するのに役立つように努力したつもり
である。
第三に、私は若いころから、フランス語の意味論を研究し、フランス文化の発展に尽した功績によ
り、昭和四九年(一九七四)にはフランス政府からパルム•アカデミック勲章、昭和五一年には功労
国家勲章を受けた。その成果の一郤も本書に収めることにした。
私の言語学研究の態度は、言語と人間・社会•文化を結ぶ絆を大切にする方針に基づいている。著
者独自の言語一般理論の探究は今も続けている。
深く広い視点から言語研究を促進し、『一般言語学と日本言語学』 『ことばの不思議』『比較言語学
を学ぶ人のために』などの著書にみられるように、ョ—ロッパ諸言語についても言及し、日本語と諸
言語との意味の対照比較研究も行ってきた。
NHKの大河ドラマやスペシャルドラマでは多くのシーンで言語指導を行い、かっては「クイズ日
本人の質問」に出演して、ことばのルーツを解説し,民改にもことばの問題で出演の機会に恵まれた。
朝日新聞には「ことばの周辺」と題して三年間毎週執筆し、平成二○年度は「折々の京ことば」を京
都新聞に毎日執筆掲載して好評を得た。
自分のたどってきた言語研究の道筋を述べることは、いかに困難な仕事であるかを痛感している。
幸い、幼少のころからの資料を保存しておいたので、忘れられようとする記憶をたどりながら、ここ
に大正・昭和・平成を生きてきた私の、ことばの研究を通じての自叙伝をまとめることができた。失
われた言語生活の時を求めようとする人達の参考にしていただければ幸いである。
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この本は
第一章 少年のことば
第二章 言語学習期
第三章 言語研究を始める
第四章 西ヨーロッパの言語生活
第五章 フランス語と印欧語
第六章 語源をさぐる
第七章 京都語の研究
第八章 言語一般の理論
第九章 方言の研究
第十章 「わたくし」について         という構成になっている。

第二章には、学徒出陣のため繰り上げ卒業となり「豊橋第一陸軍予備士官学校」に入る頃のことが詳しく書かれている。
古い資料が保存されており、その周到さには感心するばかりである。
巻末には「年譜」も載っているが、これを見ると彼・堀井令以知は、私の次兄・木村重信と同年であり、「豊橋第一陸軍予備士官学校」も同期であることが判る。
彼らは「特甲幹」と称する身分で、入校した時点で「伍長」に任官している。戦争で一般兵のみならず、将校も消耗が激しく、即戦力化が急がれたのである。
面識があったかどうかは判らない。私の兄もポツダム少尉である。 機会があれば聞いてみたい。
この豊橋陸軍士官学校の跡地は「愛知大学」になり、後日、彼・令以知が勤務することになるが、その奇縁についても書かれている。
第三章の中に「自由間接話法」というところがあり、私も教えてもらった大阪外語の和田誠三郎先生の名前も出てきて、その和田先生から「自由間接叙法」について教わった記憶が戻った。

「年譜」によると、彼の父は堀井二郎といって明治32年生まれ、とある。私の母は33年(1900年)生まれである。
父親は、伯父さんの経営する京都の弘文社という印刷所に勤めて印刷技術を覚え、昭和11年に独立して「堀井欧文印刷所」を起すことになる。
ここに「伯父」とあるから、父親の兄ということになるが、父親の兄というのも早くから京都に出て、印刷屋を営んでいたことになる。
主な得意先が関西日仏学館だったことなどは先のエッセイに書いた通りである。
結婚は遅く、35歳になってからだと判る。

大部の本であり、詳しく引くことは出来ないが、私も「ことば」に関わることをやっているので、彼の言語学などについての専門的なことも関心があり、面白い。
これからも折々にひもといて読んでみたい。
不完全ながら、今日は、このくらいにする。


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